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ソンドギムの死因と実在した宜嬪成氏との違いとは?【赤い袖先】

ドラマ『赤い袖先』のヒロインはソン・ドギム。彼女のモデルは 正祖の側室 宜嬪成氏です。

でも史実とは違う描れ方をしています。ドギムも宜嬪成氏と同じように若くして亡くなりますが、その死因や描かれ方はドラマならではの演出が加えられています。

この記事では
  • ソンドギムのモデル 宜嬪成氏の生涯と死因
  • ドラマと史実の違い
  • ソンドギムの死因 

について解説します。ドラマをもっと楽しみたい方は、ぜひ参考にしてくださいね。

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ソンドギムは実在したの?

ソンドギムは実在する?

ドラマ『赤い袖先』のヒロイン・ソンドギムのモデルは朝鮮第22代王・正祖(チョンジョ)の側室 宜嬪(ウィビン)成氏です。

ドラマの名前「ソンドギム」は「朝鮮王朝実録」など歴史書に名は出てきません。英祖・正祖時代の学者 黃胤錫(ファン ユンウク)(1729~1791)の書いた記録『而齋亂藁』によると、宜嬪の名は「成徳任(ソン ドクイム)」とされています。ドラマではその説を採用しているのですね。

ドラマ「イサン」撮影時には解読されていなかった資料も参考にしているので。家族関係や恵慶宮との関係など「イサン」に比べ史実に近い部分もありますね。

でもドラマの「ソンドギム」の現代人に近い性格や価値観に設定されていますから、当時ではありえない言動も多いです。

宜嬪成氏は確かに実在しました。でもドラマ「赤い袖先」の「ソンドギム」は宜嬪成氏をモデルにドラマ用に脚色した人物です。実在した宜嬪成氏そのものではないのですね。

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ソンドギムのモデル宜嬪成氏とは?

正祖に最も愛された女性

宜嬪成氏(ぎひん せいし/ウィビン ソン氏、1753~1786年)は朝鮮第22代王 正祖(イ・サン)の側室。正祖に最も愛された女性と言われます。

イ・サンの求愛を拒んだ?

10歳くらいで宮女になって恵慶宮に仕え。世孫だった李祘(イ・サン)の側室になるよう言われましたが成氏は辞退しています。王子の求めを断るというのは当時としては勇気のいることだとは思います。

辞退した理由については、正祖が宜嬪の死後に書かせた「御製宜嬪墓誌銘」によれば李祘の正室に遠慮したと書かれています。

正祖が強引に側室にした?

でも李祘は諦めませんでした。正祖の即位後に側室にしたのです。このときも成氏は側室になるのを断ろうとしたのですが、正祖が成氏の部下を罰するというので仕方なく側室になったようです。それを考えるとかなり強引ですよね。

そこまで正祖を引き付けたのは何だったのでしょうか?

その後、成氏は王子を産んで「宜嬪(ウイビン)」になります。

ドラマ化では「なぜ李祘が成氏をそこまで気に入ったのか?」「なぜなかなか側室にならなかったのか?」をどう表現するのかが見せ所になりますね。

34歳の若さで他界

でも残念ながら王子を産んだ直後に亡くなってしまいました。34歳の若さでした。

歴史上の宜嬪成氏の詳細な生涯や死因については[イサンの側室 宜嬪(ウイビン)成氏と死因とは?] で詳しく解説しています。

ソンドギムの死因と最後(史実との比較)

出産と側室への昇格

サン(正祖)の側室になったソンドギムは間もなく男子を出産。これをドギムは宜嬪(ウィビン)になって宮廷内での立場も変わりました。

麻疹で息子(文孝世子)が死亡

生まれた息子(文孝世子)は幼くして麻疹にかかり、命を落とします。このころソンドギム自身は妊娠中。しかも麻疹の感染経験がなかったので病床の息子に近づくことを禁じられます。結局、文孝世子はサンの腕の中で亡くなってしまいます。

わが子を失った悲しみ

ドギムはわが子の最期を看取ることができませんでした。

「母なのにわが子の最期を見守れない」というのが悲劇的な要素。これがドギムの心身を衰弱させ死に至らしめる理由のひとつとなります。

ただし、ドラマの展開としてはドギムが側室になったと思ったらいきなり文孝世子の死亡なので。「いつ文孝世子が生まれたの?」「息子をかわいがる場面なんてあった?」となり、見ている側にはなぜドギムが衰弱するほど悲しんでいるのかが伝わりにくいと思います。

その演出のせいもあって「ドギムの死因は何だったの?」と思う人がいるのもわかります。

悲しみと妊娠で衰弱するドギム

『赤い袖先』全26話(オリジナル版では17話)ではソンドギムは我が子を失い、悲しみのあまり生きる意欲を失ってしまいます。妊娠中という状況も重なって食欲も体力も失い次第に衰弱。寝込んでしまいました。

そんなドギムにサンは子をなくした者は他にもいる。王族として毅然とした態度でいるようにと言うのですが。ドギムは立ち直ることはできませんでした。

ソンドギムの最後

やがてサンも熱病で倒れてしまい、ドギムは力を振り絞りサンを看病しますが、ドギムも倒れてしまいました。ドギムはなかなか目を覚ましません。

やがて眼を覚ましたドギムは友達を呼んでほしいと希望するのですが。やってきたのはサンでした。サンは自分よりも友が大切なのかと納得のいかない様子です。

 最後にドギムは「来世では知らないふりをしてほしい」とサンに告げ、若き日の幸せな夢を見ながら静かに息を引き取ります。

ドラマで描かれる死因

このように『赤い袖先』でのソンドギムの死因は一部でうわさされた「毒殺」ではなく、 「子を失った悲しみと妊娠・病による衰弱死」 として描かれています。

ソンドギムの死因:史実とドラマの比較

区分 史実(宜嬪成氏) 『赤い袖先』のソンドギム
死亡年齢 34歳(1753〜1786) 20代後半〜30代前半として描写
死因 出産時の合併症あるいは妊娠中毒症(第2子出産後まもなく死去) 息子を失った悲しみ・妊娠中の衰弱・病による消耗
子供の有無 文孝世子を出産するも麻疹で早世 史実と同じ
母子関係 記録上は「愛情深く育てた」との記述も 愛情深く育てた様子は描かれず、看取れなかった無念さが強調される
死の描かれ方 文孝世子が亡くなった後、宜嬪は心を病み重い病にかかりました。一時は病状が少し改善しましたが、妊娠9ヵ月で死亡。 サン(正祖)の腕の中で最期を迎える、愛情ドラマとして描写
物語的役割 正祖が最も愛した女性として記録 「愛と自由」をテーマに悲劇性を強調

史実の宜嬪成氏も若くして亡くなりました。定説では文孝世子出産後の悲しみと、妊娠中毒が重なったためと考えられていますが。毒殺説など諸説あります。

『赤い袖先』はその史実をベースにしていますが、王の最愛を受けながら早逝した部分はドラマに取り入れられているものの。ドラマでは恋愛や宮中の葛藤が大きく描かれています。

  • 史実では宜嬪成氏は「出産が原因で亡くなった」とされ、宮中の記録にもその経緯が残されています。
  • ドラマでは劇的なストーリーにするために「子を失った悲しみ」と「病による消耗」が死因として描かれています。
  • 史実では「産褥による早すぎる死」と解釈されますが、ドラマでは「悲劇的な恋の終わり」というニュアンスに変化しています。

ドギムにとっての「愛」と「自由」

史実の宜嬪成氏は「正祖が最も愛した女性」として伝わっています。ドラマ『赤い袖先』でもその設定になってます。でも実際のドラマの描かれ方は少し違いますす。

ドラマのドギムは確かにサンから愛される存在でした。でもドギム自身がサンをどれだけ愛していたのかは、最後まで曖昧に描かれています。

むしろ強調されているのは「王の愛を受け入れる=自由を失う」という葛藤です。

最期のシーンでドギムが「来世では知らないふりをしてほしい」と願いますが。これは愛を拒む言葉ではなく、サンを王としてではなく一人の男として自由に生きさせたい、そして自分も自由でありたいという願いなのでしょう。

ドラマのドギムは「愛よりも自由を求めた女性」としての部分が強調されています。そこが現代の視聴者が共感するポイントのように思います。

まとめ:ソンドギムの死因は消耗と病気

韓国ドラマ「赤い袖先」のソン・ドギムの死因は毒殺や陰謀ではありません。わが子を失った悲しみによる消耗と病が合わさったものでした。しかも彼女の心には「王の愛を受け入れること」と思う一方で「自由に生きたい」という思いもありました。

史実では正祖に最も愛された女性とされる宜嬪成氏ですが。ドラマのソンドギムは史実をベースに大きく脚色。現代的な価値観を取り入れ、自由と愛の間で葛藤する女性として描かれているのです。

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ソンドギム Q&A

Q
ソンドギムは実在した人物ですか?
A

ソンドギムは歴史上は正祖の側室・宜嬪成氏と呼ばれる人物です。ただし大幅に脚色されています。

Q
ソンドギムの死因は何ですか?
A

ドラマ『赤い袖先』のソンドギムの死因は毒殺ではなく「病と悲嘆による衰弱」として描かれています。子を失った強い悲しみが心身を蝕み、妊娠中の体調不良も重なって命を落としました。

Q
史実の宜嬪成氏の死因は?
A

史実の宜嬪成氏の死因は病とだけ書かれています。子を失った悲しみや妊娠中毒が重なったようです。一部で毒殺説もありましたが信ぴょう性は薄いです。”

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この記事を書いた人

執筆者:フミヤ(歴史ブロガー)
京都在住。2017年から韓国・中国時代劇と史実をテーマにブログを運営。これまでに1500本以上の記事を執筆。90本以上の韓国・中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを史料(『朝鮮王朝実録』『三国史記』『三国遺事』『二十四史』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。類似サイトが増えた今も、朝鮮半島を含めたアジアとドラマを紹介するブログの一つとして更新を続けています。

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