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大宋宮詞:潘玉姝のモデル。章懷皇后・北宋 真宋 趙恒の最初の妻は短命だった

宋 4.2 宋の皇后・側室・公主

章懷皇后(しょうかいこうごう)は10世紀の北宋の女性。
北宋第3代皇帝 真宗 趙恒が皇帝に即位する前、韓王時代の正室でした。

しかし 趙恒が即位する前に若くして亡くなってしまいます。

なので生前は皇后にはなっていません。

藩氏の死後、章懷皇后の称号が贈られました。

中国ドラマ「大宋宮詞(だいそうきゅうし)」では潘玉姝(はん・ぎょくじゅ)の名前で登場します。でもなぜか側室扱いです。

史実の章懷皇后はどんな人物だったのか紹介します。

 

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章懷皇后の史実

いつの時代の人?

生年月日:968年
没年月日:989年

姓 :潘氏
名称:不明

国:北宋
地位:韓王妃
称号:章懷皇后(死後追尊)

父:潘美(はん・び)?
母:
夫:趙恒

子供:なし

彼女が生きたのは北宋2代皇帝 太宗の時代です

日本では平安時代になります。

 

おいたち

北宋太宗の時代。
潘氏は開宝元年(968年)。大名府大名県(現在の河北省邯鄲市)で生まれました。

父は忠武軍節度使の潘美(はん・び)と言われます。
潘美の孫という説もあります。

というのも潘美は925年生まれで潘氏が潘美の子なら、潘美が43歳のときの子供になってしまうからです。

潘美は長生き(925~991年)で子だくさんでした。43歳のときに娘が生まれても不思議ではありません。潘美の子の場合、潘氏は八女といわれます。

また、別の説では

父:潘惟熙(潘美の子)
母:興平郡主(趙徳芳(太宗の四男)の娘)

という説もあります。

雍熙2年(985年)閏9月。韓王趙恒(後の真宗)と結婚。莒国夫人になりました。

端拱2年(989年)5月。潘氏が死去。

997年。真宗 趙恒が即位。
潘氏には「荘懐皇后」諡(おくりな)が与えられました。

仁宗の時代。
慶暦4年(1044年)11月。「章懐皇后」の諡が与えられました。

 

テレビドラマ

大宋宮詞 2021年、中国 演:錢東旎

名前は 潘玉姝(はん・ぎょくじゅ)

検校太保 潘伯正の娘。
ドラマでは 潘美の子ではなく潘美の孫説を採用。

16歲で韓王 趙恒と結婚。「莒国夫人」になりました。

史実では先に藩氏が趙恒と結婚。藩氏の死後、郭氏が趙恒と結婚していますが。
ドラマでは先に郭清漪が趙恒と結婚。その後、潘玉姝が趙恒に嫁ぎました。潘玉姝は側室扱いです。

史実では趙恒が即位する前に亡くなっていますが。

ドラマでは真宗 趙恒 の即位後に淑妃になり、その後、貴妃になりました。史実では短命でしたがドラマでは10年以上生存しています。

史実では藩氏も郭氏も二人とも正妻でした。ドラマでは二人同時に登場させて片方を正妻、片方を側室にしています。宮廷ドラマらしい盛り上がりを演出しようとしているようです。

「大宋宮詞」は時代考証がメチャクチャなのでこのくらいの脚色は些細な方かもしれません。

 

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