蕭啓元(しょう けいげん)は中国ドラマ「長安賢后伝」の登場人物。
ヒロイン 賀蘭茗玉の息子。
父は皇帝の蕭承睿。
母親に望まれずにこの世に生を受けた不幸な生い立ちの皇子。でも誕生後は賀蘭茗玉も息子を我が子として大切にしています。
ところが賀蘭茗玉と蕭承睿、蕭承煦の人間関係のこじれから。蕭啓元が皇帝になることに。
この蕭啓元(しょう けいげん)にはモデルになった人物がいます。
ホンタイジの息子。順治帝 フリン(福臨)です。
清朝の人物がモデルになってるのは「長安賢后伝」が「孝荘秘史」のリメイク作品だから。「孝荘秘史」は後金から清朝の時代が舞台でした。「長安賢后伝」は設定を唐の雰囲気がする中華王朝に置き換えたドラマです。
蕭啓元(しょう けいげん)のモデルになった順治帝 フリンとはどのような人物だったのか紹介します。
ドラマ「長安賢后伝」の蕭啓元(しょう けいげん)とは?
演:趙東澤
少年時代:廖振豪
子役:趙東澤
蕭承睿の六皇子
広陵王→大晟皇帝→大晟世祖
蕭承睿の長男。
母は賀蘭茗玉
蕭啓栄、蕭啓碩、蕭啓達は異母兄弟。
父・蕭承睿の遺言で皇帝になりました。幼くして皇帝になり、幼い頃はわがままでした。蕭承煦の教育で立派な青年に成長しますが。やがて蕭承煦とは対立。
重臣の娘・董若萱が好き。親が選んだ皇后を嫌がり、董若萱を妃にするのですが。
蕭啓元のモデルになった順治帝 フリンとは?
姓 :愛新覚羅(アイシンギョロ、あいしんかくら)
名称:福臨(フリン、ふくりん)
父は大清の2代皇帝ホンタイジ(ドラマでは蕭承睿)。
母は永福宮荘妃ボルジキト氏ブムブタイ(ドラマでは賀蘭茗玉)。
1638年3月15日生まれ。
フリンはホンタイジの9男として生まれました。
崇徳8年(1643年)。大清皇帝ホンタイジが死去。ホンタイジは後継者を決めなかったので王族会議が開かれました。
有力候補はホンタイジの長男ホーゲ(蕭啓翰)とホンタイジの弟ドルゴン(蕭承煦)でした。ところがどちらが即位しても清が分裂しそうな勢いでした。
そこで「ホンタイジの息子の中からホーゲでない皇子を選ぶ」という妥協案が出され。皇子の中で最も母親の家柄がいいフリンが皇帝に決まりました。
ドラマのような陰謀はなく。話し合いで一番争いが少ない人物を選んだ結果、フリンになったのです。歴史は案外平凡な理由で決まったりします。
フリンは6歳と幼かったのでジルガランとドルゴン(蕭承煦)が摂政になりました。
ドルゴンの摂政時代
順治帝フリンが即位してしばらくしたころ。
順治元年(1644年)3月。反乱軍の李自成が明の首都・北京を占領。
明の崇禎皇帝(明徳帝)が紫禁城の裏山で首を吊って自害。明が滅亡しました。
ドラマでは蕭承煦が明徳帝を殺して大梁を滅亡させ長安を占領していますが。歴史上は明を滅ぼしたのは清ではなく、反乱軍の李自成でした。
清ではドルゴンがジルガランやホーゲを追い落として権力を握ろうとしていました。
ジルガランをモデルにした人物はドラマにはいませんが。ドラマではホーゲをモデルにした蕭啓翰が登場。いろいろと悪巧みをして最後にはいなくなります。
ドラマでは蕭承煦が「いい人」の設定。歴史上ドルゴンと対立した人がモデルになってる場合は悪者にされています。
順治帝とホーゲは異母兄弟ですが仲が良かったようです。ドルゴンはホーゲに謀反の罪をきせて処分しようとしました。でも順治帝は兄のホーゲの命乞いをしてかばいました。
ドルゴン率いる清軍は李自成を北京から追い出して北京を占領。順治帝も盛京から北京の紫禁城に入りました。
ドルゴンの指揮のもと李自成軍や明の残党を討伐しました。
張献忠(張開元)が四川で反乱を起こし 大西国(西蜀)の皇帝を名乗ると、ホーゲを大将軍にして張献忠を討たせました。
やがてドルゴンが横暴になります。ドルゴンは摂政ジルガランから摂政の位を奪って自分の弟・ドド(蕭承軒)を摂政にしました。
ドルゴンはホーゲを謀反の罪で処刑しようとしました。このときも順治帝がかばいましたが、ドルゴンはホーゲを冤罪で捕らえて幽閉。ホーゲは獄中死しました。
このころドルゴンは「皇父摂政王」と名乗りました。
順治7年(1650年)。もともと病気がちだったドルゴンが病死。
順治帝の親政時代
順治帝はジルガランとともにドルゴン派を粛清しました。
順治帝は中華風に憧れて清を中華風の王朝にしようとしました。漢人を多く採用しました。順治帝があまりにも中華風にのめり込むので満洲貴族たちの反発をうけます。
妃との関係
順治帝にはドルゴンが決めたエルデニブンバ(ボルジキト氏)と結婚しました。エルデニブンバは孝荘文太后ブムブタイの姪です。
でも順治帝はドルゴンが決めた妃は嫌だったので廃しました。孝荘文太后ブムブタイは次の皇后に姪のアラタンキキゲ(孝恵章皇后ボルジキト氏)を選びました。でも順治帝は孝恵章皇后も嫌い。二人は仲良くありません。
順治帝が寵愛したのがドンゴ(董若萱)氏です孝恵章皇后を廃してドンゴ氏を皇后にしようとします。でも孝荘文太后が反対して廃位を阻止しました。
順治帝の皇后にはアラタンキキゲ(孝恵章皇后)とエルデニブンバがいます。その二人を足した人物がドラマの司徒珍になります。
ドラマでは漢人官僚の娘・董若萱が登場。蕭啓元と恋仲になります。その董若萱がドンゴ氏です。歴史上のドンゴ氏は満洲人ですが、漢人説もあって。董小宛がドンゴ氏の正体だという都市伝説があります。この董小宛=ドンゴ氏説をもとにドラマのキャラクター「董若萱」が作られています。
もちろんドラマでも蕭啓元は董若萱を潮位愛して妃にします。
順治17年(1660年)。ドンゴ氏が病死。順治帝は大変悲しみます。
その後、順治帝も天然痘にかかりました。死の間際。順治帝は第三皇子の玄燁を次期皇帝に指名。
順治18年1月8日(1661年2月5日)。順治帝が死去。享年22歳。
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