中国ドラマ「女医明妃伝~雪の日の誓い~」のヒロインは譚(杭)允賢(こういんけん)。
譚允賢には父親の譚杭綱がいます。
譚綱は允賢が医術を覚えるのを禁止したりと厳しい父親です。それにはわけがあるのです。
ドラマの譚綱とモデルになった談綱についてわかりやすく紹介します。
ドラマの設定
祖父・譚復は皇帝の侍医だった
杭綱の一族は代々医師でした。
姓も「杭(こう)」ではなく「譚(たん)」でした。
譚綱(杭綱)の父(つまり允賢の祖父)譚復(たん・ふく)は皇帝の侍医を務める医者でした。
ところが譚復は朝廷内の争いに巻き込まれ、濡れ衣を着せられます。譚綱の父・譚復は無実を訴えて自害しました。
その後、譚一族は朝廷から医術を行うのを禁止されました。
ちなみに皇太后は譚復のせいで自分が流産したと思いこんでいます。
ドラマ中盤で允賢は譚復の孫だとバレてしまいます。そのため允賢は皇太后から目の敵にされます。
父・杭綱は姓をかえて軍人として生きる
残った譚一族は杭と名を変えて軍職についていました。允賢の父・杭綱もその一人です。
ところが娘の允賢は医術に興味をもってしまいました。祖母・黄氏(杭綱の母)から医術を学び病人の治療をはじめます。
杭綱は自分たちが譚一族だとバレるのを恐れました。そこで允賢が医術を行うのを禁止します。
杭一家は汪国公や皇太后のはなった刺客に襲われますが、何とか助かります。その後、杭綱には杭州への辞令が出ます。杭綱は譚家の再興をあきらめて一家揃って杭州に移りました。
その後、皇帝の許可が出て都に戻り允賢と再開します。
明とオイラトの戦争が始まると杭綱は将軍として戦場に向かいます。ところがオイラトとの戦いに負けて戦死。
しかも戦に負けたのは杭綱が寝返ったからだと勝手な噂を立てられ、允賢を含めた一族は投獄されてしまいます。後に無罪となり允賢は釈放されます。
実在した談綱
杭允賢(こう・いんけん)のモデルになったのは談允賢(だん・いんけん)。明時代の女性医師です。女性の地位が低い明では女性が医師になるのは珍しいことでした。その時代に女性のための医師として活躍したのが談允賢です。
談允賢には父がいます。談綱(だん・こう)です。
談綱(だん・こう)
生年 1438年。
没年 1507年。
父:談復
母:親茹氏
子供:二男一女
常州府(現在の中国・江蘇省)出身。
1469年に科挙に受かり役人になります。南京刑部主事などを務めました。
歴史上は目立たない中堅クラスの役人です。
その談綱の娘が談允賢。
娘が中国四大女医として有名になったので、談允賢の父として知られるようになりました。
でも談綱本人はこれといった記録もありません。とくに手柄もなければ事件も起こしていない、ごく普通の役人だったようです。
コメント