中国ドラマ「三国志・SECRET of THREE KINGDOMS」には唐瑛(とう えい)という女性が登場します。
三国志にも登場する「唐姫」がモデルです。三国志を扱った作品でも唐姫が登場するものは少ないです。
唐姫は歴史上はどのように描かれているのか紹介します。
歴史上の唐姫
唐姫は会稽の太守・唐瑁の娘。
後漢の皇族・劉弁の正室になりました。
189年。劉弁が題13代皇帝になりました。
ところが5ヶ月後、董卓が都を占領して廃位させられてしまいます。
劉弁は弘農王という地位に格下げになってしまいました。
190年。董卓に反抗する勢力が劉弁をかつごうとしたので董卓が劉弁の処刑を決めます。董卓は部下の李儒(り じゅ)を劉弁のもとに派遣し殺すよう命令しました。
李儒は劉弁のもとに行って毒を飲み自決するように要求しました。劉弁は最初は断りましたが圧倒的武力を持つ董卓や李儒には逆らえません。自害することを決めた劉弁は処刑の前、妻の唐姫や側室を集め別れの宴をひらきました。
劉弁はその場で詩を作りました。
「天道易兮我何艱、棄万乗兮退守蕃。逆臣見迫兮命不延、逝将去汝兮適幽玄」
現代語訳:
(天の定めた運命が変わった。私はどれほど苦しめばいいのだろう。私はかつて注目を集めたが今は粗末な小屋に追いやられた。裏切り者に苦しめられ私の人生は終わりに近づいている。今、私はあなたの元を去り、永遠の旅に出る)
唐姫も劉弁の詩に返すように詩を作りました。
「皇天崩兮后土穨、身為帝兮命夭摧。死生路異兮従此乖、奈我煢独兮心中哀」
現代語訳:
(天は崩れ、地は滅びました。私は皇帝の妻として私が彼に従わなければ悲しむでしょう。でも私達に別れが来ました。生者と死者が一緒に歩むことはできません。ああ!悲しいです。私は心に悲しみを抱えています)
その様子があまりにも悲しかったので出席していた人々はすすり泣きました。
劉弁は死の前に唐姫に対して、「君は帝王の妻だプライドを持ちなさい。役人や民と再婚することのないようにな。病気などしないように体を大切にしなさい。これでさらばだ」と言い残して毒を飲み自害しました。
劉弁の死後
劉弁が死んだ後、唐姫は故郷に戻りました。父親は再婚させようとしましたが、唐姫は断りました。
董卓の家臣だった李傕(り かく)は董卓の死後、長安を征服しました。その後、唐姫が住んでいる地域にも略奪に来ました。李傕は唐姫を捕まえ自分の妾になるように迫りました。唐姫は断りました。このとき唐姫は自分が劉弁の妻だったとは言いませんでした。李傕は劉弁の妻の顔を知らなかったようです。
あとで賈詡(か く)がこの事実を知って献帝・劉協(りゅう きょう)に報告しました。献帝は驚いて唐姫を呼び寄せました。唐姫を「弘農王妃」に任命して劉弁の墓の管理を任せました。
その後、劉協も死亡し諸侯が争う三国志の時代になります。
歴史の記録にないその後の話
歴史上知られているのはここまでです。
その後、唐姫がどうなったのかはわかりません。
劉弁は廃位されたため歴史上は皇帝とは認められていません。「少帝弁」という言い方もあります。唐姫も皇后とは認められていません。
劉協死亡後の話として作ったのが中国ドラマ「三国志・SECRET OF THREE KINGDOMS」に登場する唐瑛(とう えい)なのです。記録にほとんど登場しない人物なので自由に描かれていますね。
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