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英祖(ヨンジョ)の王妃(妻)と側室

英祖妃嬪 2 李氏朝鮮の妃・側室

英祖 李昑は李氏朝鮮王朝の21代国王。

英祖は王子の延礽君(ヨニングン)時代から政争に巻き込まれ。何度か危ない出来事がありました。

粛宗~景宗~英祖~正祖は党派争いが激しかった時代。様々な事件が起きています。

英祖は当時としては長生きだったので在位期間も長いです。52年は朝鮮史上でもトップクラスに長いです。

王になった後も様々な出来事がありました。

そのため延礽君~英祖は多くのドラマに登場します。

ところが英祖の妃や側室は意外とドラマに登場しません。でも英祖にも正室や側室はいます。

英祖の妃嬪で面白いのは。側室は全員宮女出身ということ。王妃はもちろん両家の両班から選ばないといけません。でも自由に選べる側室はなぜか宮中にいる宮女から選んでいるのです。

母親の淑嬪崔氏が宮女出身だったからというのも影響しているかもしれませんが。激しい派閥争いに巻き込まれている英祖はプライベートでは派閥争いとは縁のない女性を求めたのかもしれません(両班出身の妃嬪ならほぼ実家の思惑が影響する)。

そこで英祖の正室と側室をリストにしてみました。

ちなみに
英祖・李昑の生没年は
生年:1694年(粛宗20年)
没年:1776年(英祖52年)
享年:83(数え歳)です。

参考にしてください。

 

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正室

貞聖王后 徐氏

(チョンソンワンフ ソシ)

本貫:達城徐氏
生年 1692年
没年 1757年
享年 66歳
王妃在位:1724~1757年

地位:世弟嬪→王妃

1703年(粛宗29年)。12歳のとき延礽君 李昑と結婚。
義父の粛宗からはたいへん可愛がられました。

1721年(景宗元年)。世弟嬪になりました。
1724年(景宗4年)。王妃になりました。

王妃在位33年は朝鮮史上最長記録。在位期間が長いわりにはあまりドラマに登場しません。英祖との仲は悪くはありませんが子はいません。

貞聖王后は思悼世子をたいへん可愛がり、英祖と思悼世子の関係をとりもちました。思悼世子が死に追いやられるのは貞聖王后の死から5年後です。

貞聖王后の詳しい説明はこちら

主な登場ドラマ

トンイ 2010年
仮面の王イ・ソン 2017年
ヘチ 2019年

貞純王后 金氏

(チョンスンワンフ キムシ)

本貫:慶州 金氏
生年 1745年
没年 1805年
享年 61歳
王妃在位:1759~1776年

地位:王妃→王大妃(正祖時代)

貞聖王后の死後、新しく選ばれた王妃。
15歳で王妃になりました。英祖からは大切にされました。
正祖時代には大妃になりました。
兄の金亀柱は荘献世子を支持する洪鳳漢たちと対立。正祖即位後に流罪(流刑先で死亡)になりました。
ドラマでは貞純王后が黒幕のように描かれますが。貞純王后本人が荘献世子や正祖と対立した記録はありません。
それよりも、純祖即位後に大王大妃になって垂簾聴政をおこない正祖の行った改革を否定。古い体質に戻してしまったことのほうが問題。

・貞純王后 金氏の詳しい説明はこちら

主な登場ドラマ

洪国栄 ホン・グギョン 2001年
イ・サン 2007年
正祖暗殺ミステリー8日 2007年
風の絵師 2008年
ペク・ドンス 2011年
秘密の扉 2014年

英祖の側室

靖嬪 李氏

(チョンビン イシ)

延祜宮

本貫:咸陽 李氏
生年 1694年
没年 1721年
享年 28

地位:宮女→昭訓→昭媛(死後)→靖嬪(死後)

英祖が延礽君時代に側室になりました。どのような経緯で王子の延礽君のもとに来たのは不明。
延礽君から寵愛をうけ英祖の長男・孝章世子を出産しました。

延礽君が世弟になった1721年に病死。
翌年、靖嬪李氏の死は老論の毒殺、首謀者は世弟嬪徐氏(後の貞聖王后)の弟・徐徳修だと訴えがあって徐徳修や老論関係者が処分されました。老論に支持されていた延礽君の立場を危なくする事件でした。

英祖即位後に「靖嬪」の称号が与えられました。

英祖即位後は靖嬪李氏は毒殺ではない、徐徳修は冤罪と発表しました。
孝章世子は英祖4年に病死。

子供:
和憶翁主 香艶 (1717~1718年)
孝章世子 緈 (1719~1728年) 
和順翁主  (1720~1758年)

 

暎嬪 李氏

(ヨンビン イシ)

宣禧宮

本貫:全義 李氏
生年 1696年
没年 1764年
享年 69

地位:宮女→淑儀→貴人→暎嬪

思悼世子(荘献世子)の生母。
正祖の祖母。

英祖が最も寵愛した側室。
粛宗時代に宮女になり。英祖即位後に側室になりました。その後も大変な寵愛をうけ1男6女を出産しました。

孝章世子の死後は息子の愃が世子(思悼世子(サドセジャ))になりました。
でも思悼世子は問題行動が多く、宮中での暴力事件や死傷者がでました。政敵からの批判を浴び、このままでは孫の祘(サン)まで巻き添えになって危ないと心配。暎嬪李氏は英祖に「息子を処罰することで孫を助けてくれるように」訴えを起こすほどでした。

末娘の和緩翁主(ファワンオンジュ)は英祖からも非常に可愛がられました。その一方で思悼世子からの暴力にも苦しみ、思悼世子や正祖に怨みをもつ原因になります。
和緩翁主は思悼世子の死に関わったということで正祖時代に廃されました。

和平翁主 (1727~1748年)

翁主 (1728~1731年) 早卒
翁主 (1729~1731年)
翁主 (1732~1736年)
和協翁主 (1733~1752年)
荘献世子 愃 (1735~1762年)
廢 和緩翁主 (1738~1808年)

 

・暎嬪 李氏の詳しい説明はこちら

貴人趙氏

(クィイン チョシ)

本貫:豊壤 趙氏
生年 1707年
没年 1780年
享年 74

地位:宮女→淑媛→淑儀→貴人(正祖時代)

粛宗の晩年に宮女になり英祖の時代に側室になりました。

翁主 (1735~1736年)
和柔翁主 (1740~1777年) 貴人趙氏

廢淑儀 文氏

(ペスギ ムンシ)

生年 ?
没年 1776年
享年 ?

地位:宮女→昭媛→淑儀

宮女出身で英祖の寵愛を受けて側室になりました。
思悼世子とは仲が悪かったようです。
領議政の金尚魯たちと協力して正祖の即位を阻止しようとしました。

正祖即位後に賜死。

和寧翁主 (1753~1821年)
和吉翁主 (1754~1772年)

尚宮李氏

生年 1720年以前?
没年 ?
享年 70以上

詳しいことは不明。
1794年(正祖18)の記録には、70歳を越えた老尚宮。先代の承恩をうけたので大切にしなければいけない。という内容のことが書かれています。

 

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