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桃源君(トウォングン)・懿敬世子

3 李氏朝鮮の王子

 

桃源君、あるいは懿敬世子といいます。韓流時代劇を見てる人でもあまり知らない人も多いと思います。

でも世祖の長男、仁粋大妃の夫、成宗の父親。周囲に有名人が多い人なんです。

彼自身は19歳という若さで亡くなりました。

でも、彼の存在が李氏朝鮮に与えた影響は大きいのです。

史実の桃源君(トウォングン)っはどんな人物だったのか紹介します。

 

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桃源君(トウォングン)・懿敬世子の史実

いつの時代の人?

生年月日:1438年
没年月日:1457年9月20日

名前:李暲(イ・スン)
称号:桃源君(トウォングン)
諡 :懿敬世子(ウィギョンセジャ)、徳宗(トクジョン)
父:世祖(7代王)
母:貞熹王后尹氏
妻:昭恵王后(仁粋大妃)
側室:
貴人權氏
貴人尹氏
淑儀慎氏

子供
昭恵王后(仁粋大妃)との子供
長男:月山大君
長女:明淑公主
次男:成宗(9代王)

彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の7代世祖の息子です。

日本では室町時代になります。

 

おいたち 

1438年。首陽大君の屋敷で産まれました。
首陽大君(後の世祖)と三韓國大夫人(後の貞熹王后)の長男です。

1445年。桃源君の称号が贈られました。

1450年。韓確(ハン・ファク)の娘・韓氏(後の仁粋大妃)と結婚しました。

韓確は明の王室とも親しい外交官でした。朝鮮国内でも影響力がありました。朝廷内で発言力を高めたい首陽大君が嫁に選んだのでした。

桃源君は幼い頃から礼儀正しく学問好きな賢い子供でした。母・貞熹王后にとっても自慢の息子だったといいます。でも体が弱く病気がちでした。

1453年。父・首陽大君が対立していたキム・ジョンソ達を殺害。クーデターに成功して庁建て以内の権力を握りました。

桃源君は興祿大夫の位を与えられました。

1455年。父・首陽大君が王になりました。
桃源君は元子になりました。元子とは王の嫡子という意味。王の後継者に決まったも同然でした。すぐに世子となります。

1456年2月。成三問(ソン・サンムン)らが世祖暗殺計画をたてました。世祖だけでなく桃源君や弟の海陽大君(後の睿宗)も殺害のターゲットになっていました。成三問の計画は仲間の裏切りで世祖にばれて失敗。成三問らは逮捕され処刑されました。成三問ら6人は死六臣といいます。

8月。世祖の命令で、尹沂の娘(後の貴人尹氏)、慎先庚の娘(後の淑儀慎氏)、權致命の娘(後の貴人權氏)が選ばれ、側室になりました。しかし桃源君と側室との間には子供は生まれませんでした。

病に倒れます。母・貞熹王后は21人の僧侶を呼び、祈祷をおこなわせました。しかし桃源君は回復しませんでした。

1457年9月20日。景福宮資善堂で病死しました。

享年19。

 

桃源君没後の混乱

10月21日に魯山君(かつての端宗)が死亡しました。

その後、端宗が殺されたから端宗の母・顯徳王后の恨みで桃源君が死んだという噂がたちました。

実際には桃源君が先に死んでいるのですが、亡くなった時期が近かったこともありそのような噂が出たのでしょう。

世祖は桃源君の死後、顯徳王后の墓を暴いて顯徳王后の棺を放置してしまいました。

桃源君は世祖の長男ということで直接自分が関わってないことでも噂になったり事件の元になったりしました。

自分自身は王にはなれなかったものの、妻の仁粋大妃らの尽力で息子が王になりました。それが成宗です。

 

テレビドラマ

朝鮮王朝500年-雪中梅 MBC 1984年 演:パク・ビョンフン
ハンミョンフェ KBS 1994年 演:ユン・ダフン
王と非  KBS 1998年 演:イ・クァンギ
王女の男 KBS 2011年 演:クォン・ヒョンサン
インス大妃 JTBC 2011年 演:ペク・ソンヒョン

 

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