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蕭啓翰(しょう けいかん)は実在する?モデルになったホーゲとは?長安賢后伝

長安賢后伝 2 ドラマ人物

蕭啓翰(しょう けいかん)は中国ドラマ「長安賢后伝」の登場人物。

蕭啓翰は王になった蕭承睿の息子でお馬鹿な王子のような描かれ方ですが。主人公の賀蘭茗玉・蕭承煦の敵というか引き立て役になる人物です。

蕭啓翰(しょう けいかん)にはモデルになった人物がいます。

ホンタイジの長男。ホーゲです。

清朝の人物がモデルになってるのは「長安賢后伝」が「孝荘秘史」のリメイク作品だから。

「孝荘秘史」は後金から清朝の時代が舞台でした。「長安賢后伝」は設定を唐の雰囲気がする中華王朝に置き換えたドラマです。

 

蕭啓翰(しょう けいかん)のモデルになったホーゲとはどのような人物だったのか紹介します。

 

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ドラマ「長安賢后伝」の蕭啓翰(しょう けいかん)とは?

演:韓承羽

粛王。
蕭承睿の長男。
母は蘭昭儀

蕭尚遠の孫。

兄弟は蕭啓碩、蕭啓達。

蕭啓元、蕭啓栄は異母兄弟。

喬恵妃のめいと結婚。

賀蘭茗玉によって監禁され。
蕭啓元の死後。後に赦免されます。

 

蕭啓翰のモデルになったホーゲ(豪格)とは?

父は清(後金)の第2代皇帝 ホンタイジ。(ドラマでは蕭承睿)
ホーゲはホンタイジの長男。
1609年生まれなのでドルゴン(1612年生まれ)より3歳年上です。

母は継妃 ウラナラ(烏喇那拉)氏。

継妃 ウラナラ氏は女真のウラ国の出身。ウラ国の王族。

ヌルハチのマンジュ国とウラ国が戦い、ウラ国が敗北。ウラナラ氏は人質としてマンジュ国にやってきてホンタイジの側福普(側室)になりました。
ホンタイジの福普(正妻)ニオフル氏の死後、ウラナラ氏が福普になりました。

ウラナラ氏の没年は不明。途中から記録が無くなっているのでよくわかりません。

ホンタイジが後金のハン(王)になったときにはすでに死亡していたのかもしれません。

一説にはヌルハチやその弟アジゲに会いに行ったとき輿から降りなかったのでヌルハチが激怒。ホンタイジが離縁したとも言われます。

ホーゲは武勇に優れた武将です。モンゴルとの戦いで手柄をたててヌルハチから「ベイレ(貝勒)」の称号を与えられていました。

ホンタイジの時代

崇徳元年(1636年)にホンタイジが皇帝に即位。国名を「大清」に変えました。ホーゲは「粛親王」になりました。戸部事を担当していました。

錦州の戦いでは明軍と戦って破りました。その後もモンゴルや明との戦いで手柄をたてました。

モンゴル・チャハル部との戦いではホーゲはドルゴンとともに活躍。リンダン・ハーンの皇后 ナムジョン、息子のエジェイを降伏させ。ナムジョン皇后から「伝国の玉璽」を受け取りました。

そしてホンタイジは「皇帝」になりました。

粛親王ホーゲはその後も手柄をたてて昇進。有力な王位後継者候補になりました。同じように手柄をたてて昇進した伯父(でも年下)のドルゴンの強力なライバルになりました。

謀反を疑われ妻を殺害

ホーゲはホンタイジの姉妹マングジの娘と結婚していました。

ところがマングジの同母兄マングルタイはホンタイジのライバル。マングルタイは謀反を理由にホンタイジに粛清され、マングジも謀反に加わったとして処刑されました。そして妻の母マングジと親しくしていたホーゲも疑われて降格になってしまいます。そこでホーゲは自分の無罪を証明しようと妻を殺害してしまいました。

 

後継者争い

ホンタイジは後継者を決めないまま死去。もともと満洲人(女真人)には王が生前に後継者を決める習慣がなく。王の死後、王族(部族長)会議で後継者を決めていました。

皇帝候補になったのはホーゲとドルゴン(ドラマでは蕭承煦)。

当時、ホーゲは満洲八旗のうち正藍旗を配下にしていました。ヌルハチの弟ジルガラン、兄ダイシャン。ホンタイジの指揮下にあった正・鑲黄旗もホーゲを支持。

でもホーゲは重臣たちから支持されても「私は徳のない男だからその器ではない」と消極的でした。徳のない男とは妻を殺したことを言っているのでしょうか。ホーゲはいざという時の意思の弱さに問題があったようです。

ドルゴン・アジゲ・ドドの同母兄弟は正・鑲白旗を配下にしていました。ドルゴン派の重臣たちもホーゲの即位には強硬に反対。

どちらが即位しても清が分裂しそうな勢いでした。

やがてホーゲの消極性に失望したのでしょうか。正・鑲黄旗の将軍たちはホーゲにはこだわらず「先帝(ホンタイジ)の息子だけは譲れない」と主張を変えました。するとドルゴンも「自分の即位にはこだわらない」と態度を変えました。

そこで王族や重臣たちはまだ幼いホンタイジの九男のフリン(順治帝、ドラマでは蕭啓元)を次の皇帝にしてジルガラン(ホーゲ派)とドルゴンが摂政になることで決着しました。

順治帝の時代は戦場で活躍

その後、ドルゴンと順治帝は北京に入り。ホーゲは中原を駆け巡り各地の李自成軍や明の残党と戦いました。

李自成軍壊滅後。ホーゲは四川で抵抗を続ける張献忠の討伐に向かい、張献忠を討ちました。ホーゲが張献忠を鎮圧して戻ってくると順治帝はホーゲを褒め称えました。

ところがホーゲとドルゴンは長年のライバルで。ホーゲの活躍はドルゴンには面白くありません。順治帝は兄のホーゲと仲がよく、ドルゴンがホーゲを陥れようとするとホーゲをかばいます。

ドルゴンは「部下の罪を隠した。罪人の兄弟を使った」という理由でホーゲを投獄。爵位を奪いました。順治帝が泣いて頼んでもドルゴンは許しませんでした。ホーゲは獄中死しました。

ホーゲの死後。ホーゲの妻はドルゴンに奪われます。

そのドルゴンの死後。順治帝によってホーゲの地位が回復しました。

ホーゲは戦場では強かったのですが。政治的な駆け引きや決断力や野心ではドルゴンに劣りました。

史実ではホーゲはドルゴンの甥ですが年齢が近いのでドルゴンのライバルでした。
ドラマでは蕭啓翰(ホーゲ)と蕭承煦(ドルゴン)は直接は後継者争いをせず、蕭承睿(ホンタイジ)が蕭啓元(順治帝)を指名して死んでいきます。

蕭承煦(ドルゴン)が蕭啓翰(ホーゲ)の敵なのは同じ。

ホーゲはドルゴンの死後、順治帝によって赦免されるのですが。ドラマの蕭啓翰は蕭啓元(順治帝)の死後。次の皇帝(康煕帝)の時代に赦免されるところも違います。

 

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