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柳希奮(ユ・ヒブン)光海君の義兄は反乱で処刑

朝鮮重臣 未分類

柳希奮(ユ・ヒブン)は16末から17世紀初期の李氏朝鮮の政治家。

光海君の正室・柳氏の兄です。

光海君を支持する大北派の主要メンバーで。

李爾瞻(イ・イチョム)、朴承宗(パク・スンジョン)とともに光海君時代の朝廷内で大きな力を持ちました。

臨海君、永昌大君の殺害、仁穆大妃の廃位活動にも関わっています。

史実の柳希奮(ユ・ヒブン)はどんな人物だったのか紹介します。

 

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柳希奮(ユ・ヒブン)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1564年
没年月日:1623年

名前:柳希奮(ユ・ヒブン)
称号:文昌府院君
本貫:文化 柳氏
雅号:華南

父:柳自新
母:不明
妻:不明
妹:文城郡夫人 柳氏(光海君正室)

子供:不明

彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の宣祖から光海君時代です。

日本では戦国時代末期から江戸時代初期の人になります。

宣祖の時代

1564年に生まれました。
父は役人の柳自新。

1587年。妹(文城郡夫人 柳氏)が光海君と結婚しました。

1589年。恩威で役人になりました。

父が光海君派なので柳希奮も光海君派になりました。

1597年。科挙の文科に合格しました。

礼曹佐郞、成均館典籍、弘文館修賛などを歴任しました。

1608年。宣祖が死去。光海君が国王になりました。

宣祖末期、小北派の柳永慶(ユ・ヨンギョン)が永昌大君を世子にしようとしました。柳希奮(ユ・ヒブン)たち大北派が弾劾を起こして阻止しました。

柳永慶は「ノクドゥ伝」ではヒロイン・ドンジュの父親の設定になっています。

 

光海君の時代

光海君の即位で柳希奮(ユ・ヒブン)は王の義理の兄になりました。

光海君の即位後、光海君の即位を助けたということで「朝鮮—功臣」に選ばれました。

柳希奮は李爾瞻(イ・イチョム)、朴承宗(パク・スンジョン)とともに朝廷で力を持つ有力な政治家でした。

鄭昌衍(チョン・ヤンヨン)、金尚憲(キム・サンホン)たち有力な政治家とも親戚でした。

礼曹参判で太子右副賓客を兼ね、大司間、兵曹参判、都承旨などを歴任。

大司憲まで昇進。李爾瞻、朴承宗とともに大きな力を持っていました。

その後、兵曹判書に任命され、兵権まで握りました。

右議政の候補に上がったこともありましたが、他に有力な人がいたので選ばれませんでした。その後、左議政の候補にも上がりましたが、このときも左議政になれませんでした。

 

陰謀に加担

大北派の重鎮として李爾瞻とともに臨海君、永昌大君の謀殺に関わりました。

また宣祖の継妃仁穆王后金氏(仁穆大妃)の廃位運動に加担しました。光海君時代のいくつかの横暴は大北派が主導して行ったものです。支持勢力の少ない光海君は、大北派の強行な行いを止めることはできませんでした。

ところが1623年。陵陽君や西人派たちが反乱を起こしました。光海君が廃位され、妹の柳王妃も王妃の座を奪われ流罪になりました。

柳希奮は李爾瞻たちとともに逮捕され、死刑になりました。

 

テレビドラマ

王の女 2003年、SBS 演:チェ·ジョンファン
華政治(ファジョン) 2015年、MBC 演:ユ・スンモク

 

 

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