ドラマ・華政(ファジョン)のヒロイン・貞明公主(ジョンミョンコンジュ)は実在の人物。
日本では知られてなかった人物です。
ドラマでは大胆なアレンジでヒロインになりました。でも王女があんなに活躍したのか不思議ですよね。
貞明公主はどんな人だったのでしょうか。
史実の貞明公主(ジョンミョンコンジュ)を紹介します。
貞明公主(ジョンミョンコンジュ)の史実
プロフィール
生年月日:1603年
没年月日:1685年
彼女が生きたのは1603年~1685年。朝鮮王朝(李氏朝鮮)の14代宣祖~19代粛宗宗の時代です。
日本では江戸時代初期の人になります。
家族
母:仁穆王后金氏
子供
息子・ホンテマン(洪台望、1625〜?)
息子・ホンマンヨン(洪萬容、1631〜1692)
息子・ホンマンヒョン(吏曹左郞 洪萬衡、1633〜1670)
息子・ホンマンフイ(洪萬熙、1635〜1670)
息子・ホンテリャン(洪台亮、1637〜?)
息子・ホンテユク(洪台六、1639〜?)
娘・ホンテイム(洪台妊、1641〜?)
息子・ホンマンカイ(洪萬恢、1643年〜1709)
貞明公主の家系図
貞明公主(ジョンミョンコンジュ)の生涯
宣祖の嫡女として生まれる
宣祖と仁穆王后金氏の間に生まれました。宣祖にとってはなんと21人目の子供でした。すごい子沢山ですね。でも意外なことに宣祖にとっては唯一の公主(正室との間に産まれた娘)なんです。
宣祖の52歳のときに産まれた娘なので大変可愛がられました。
宣祖亡き後、光海君が即位すると弟の永昌大君(ヨンチャンテグン)は流罪。
母の父・金悌男(キム・ジェナム)は処刑されてしまいました。永昌大君は流罪先で死亡しました。病死だといわれます。光海君は殺すつもりはありませんでした。イ・イチョムら大北派の指示を受けた者が殺したといわれます。監禁している小屋のオンドル(床暖房)の温度を上げて寝られないようにしたり、食べ物に砂を混ぜたりして衰弱死させたと言われます。
母とともに幽閉される
貞明公主(ジョンミョンコンジュ)は仁穆王后(インモクワンフ)とともに西宮に幽閉されました。仁穆王后は「大妃」と呼ばれず「西宮」とだけ呼ばれるようになりました。事実上の廃妃です。
仁穆王后は娘まで失うことを心配しました。光海君には貞明公主は死んだと嘘の報告をしました。
幽閉中、貞明公主は父・先祖に似た文字を書いて失意の母を慰めようとしました。
ドラマ「華政」では日本に来たことになってますが、史実では日本に来たことはありません。
1623年。仁祖が反乱を起こして光海君を追放しました。
洪柱元と結婚
貞明公主と仁穆王后は開放され身分も回復しました。仁穆王后と一緒に昌徳宮に入って暮らしました。
貞明公主はすでに21歳。当時の王族としては婚期が遅れていました。そこで夫選びが始まりました。
しかし歳をとっていたため、希望者は全国で9人しか集まりませんでした。さらに年齢制限をゆるくして募集をしてようやく花婿候補を選びました。
中枢府・洪霙(ホン・ヨウンウイ)の息子・洪柱元(ホン・ジュウォン)が府馬(王女の夫)として選ばれました。ホン・ジュオンは貞明公主より3歳年下でした。
仁祖は光海君が建てた宮殿・仁慶宮を壊してその木材やタイルを使って貞明公主のための家を建てました。王女の家としてはかなり大きな家だったようです。慶尚道に膨大な土地を与えられました。華政でも貞明公主は私有地を持っていたことになっています。仁祖から与えられたものだったのですね。
貞明公主は後世の人には書道家としても知られています。父・先祖や母・仁穆王后に似た男っぽい文字を書いていました。韓石峯体という力強い文字を好んで書いたといいます。
大人しく暮らした仁祖時代
しかし30~40歳の間は書道を止め、漢文を書くこともしませんでした。仁祖や孝宗に気を使って裁縫や歌をたしなんでいました。政治的には野心がないことをアピール、当時の女性らしく振る舞ったのです。
仁祖の時代には貞明公主の書いた詩が問題となり「投獄せよ」という意見も出ました。張裕や崔鳴吉(チェ・ミョンギル)らが騒ぎが大きくなることを防ぎ離宮に移動するだけで助かりました。
崔鳴吉(チェ・ミョンギル、号は遅川:チチョン)は「華政」でも貞明公主の味方となって金自點(キム・ジャジョム)(実在の人物です)やカン・ジュソン(架空の人物です)に対抗していた人物です。
孝宗の時代にも政治的な意味が込められているのではないかと疑われるような書がみつかって問題になることもありました。
でも儒学者は恋の詩にも「政治的な意味が隠されている」と言っていいががりをつける人たちです。儒学者は悪意をでっち上げて批判するのが得意な人たちですから、たとえ貞明公主に王を批判する気持ちがなくてもたまたま作った詩が政争の道具に使われることはあったでしょう。
貞明公主はそんな政争に明け暮れている臣下たちに嫌気がしていたのかもしれません。
ドラマ「華政」でも貞明公主は最終回に孝宗を支えるのではなく「敵になる」と王を見張っているみたいな発言をしていました。史実の微妙な関係を表現しているのかもしれません。
仁祖・孝宗の時代には王との間に多少の問題もあったようですが、彼らが亡くなると扱いが変わってきます。
王族の年長者として尊敬を集める
顕宗・粛宗の時代になると王族の中でも長老格となり最高のもてなしを受けました。
洪柱元と貞明公主の夫婦仲はよかったらしく、8人の子供ができました。
1685年。83歳で亡くなりました。李氏朝鮮史上最も長生きした王女でした。
華政の意味
ドラマ”華政”のタイトルに使われている”華政”という文字は実在のジョンミョン公主が幽閉時代に書いたものを元にデザインされているそうです。
華は”光”や”花”を意味する漢字。国を治める”政”をあわせた造語です。花のように咲いた律する政治。輝き治めることを意味するそうです。
輝くとは「派手な」とか「きれいな」という意味ではありません。争いのない、律する心を持った人達によって治められる世の中という意味だったようです。自分を戒める人こそが美しいという想いが込められているのでしょう。争いに巻き込まれ幽閉されていた彼女らしい言葉です。
貞明公主の子孫
貞明(ジョンミョン)公主は18代顕宗、19代粛宗の時代には王族の年長者として尊敬を集めました。その威光もあって洪一族は朝廷でも大きな力を持ちます。
息子の洪萬容(ホン・マンヨン)は19代粛宗の時代に礼曹判書になりました。21代英祖の時代に権力をもっていた洪鳳漢 (ホン・バンホン)、洪麟漢(ホン・インハン)兄弟はジュオンの5代あとの孫。
正祖(イ・サン)の母・恵慶宮洪氏は6代あとの孫。
洪国栄(ホン・グギョン)、元嬪洪氏(イ・サンの側室、ホン・グギョンの妹)は3男マンヒョンの5代あとの子孫です。
イ・サンやホン・グギョンが産まれたのも貞明公主と洪柱元(ホン・ジュオン)のおかげかもしれませんね。
テレビドラマ
宮廷女官金尚宮 KBS、1995年 演:パク・ルチア
三銃士 tvN、2014年 演:ハン・ミン
華政 MBC、2015年 演:イ・ヨニ
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