王連壽(おう・れんじゅ)は愛新覚羅溥儀の乳母。
映画「ラストエンペラー」で愛新覚羅溥儀が阿嬤(アーモ)と呼んでいる人物です。
阿嬤(アーモ)は実在の人物で本名は王連壽(おう・れんじゅ)と言います。
王焦氏ともいいます。
「阿嬤」は「お婆さん」と訳すこともありますが。祖母という意味ではなく「年長の女性」という意味です。「おばさん・おねえさん」が近いかもしれないです。
王連壽は溥儀の乳母になりました。
溥儀が9歳の時、端康太妃の命令で宮廷を出されました。溥儀の成長後に呼び戻されています。
溥儀が満洲国皇帝になると満洲国に呼ばれそこで暮らしました。第二次世界大戦後、共産軍の捕虜になりました。しかし通化事件に巻き込まれ死亡しました。
史実の王連壽(おう・れんじゅ)はどんな人物だったのか紹介します。
王連壽(おう・れんじゅ) の史実
いつの時代の人?
生年月日:1886年
没年月日:1946年
名前:王連壽(おう・れんじゅ)
旧姓:焦
幼名:狗盼
愛称:阿嬤(アーモ)
父:焦升
母:不明
夫:王氏
子供:娘、早世
清朝末期から中華民国の時代の人物。
日本では明治から昭和の人になります。
王連壽のおいたち
1886年。貧しい農村に生まれました。
5人兄弟姉妹の4番目です。
1889年。故郷で洪水が起こり、一家は北京に逃れました。難民になった一家は順天府の食糧配給に頼って生活していました。食糧支給が終わると故郷に戻りました。
1900年。八カ国連合軍が北京を攻撃。戦果がその周辺に移るとまた避難。北京で床屋をしていた兄弟を頼りました。
16歳のとき「王」という使用人と結婚。
そのため王焦氏ともよばれます。
このあと王連壽に改名します。
結婚後に「王連壽」に改名したという説と、溥儀から「王連壽」という名が与えられたという説があります。
この記事では一般に知られている「王連壽(おう・れんじゅ)」という名で紹介します。
愛新覚羅溥儀の乳母になる
1906年。娘を出産後、夫が死亡。
この年、醇王府で愛新覚羅 溥儀が誕生。
内務府で 太監をしていた兄・焦仲升の紹介で溥儀の乳母になりました。
1908年。王連壽の娘が栄養不足で死亡。内務府はそのことを秘密にしました。王連壽の母乳に原因があるのではないかと追求されるのを防ぐためといわれます。
溥儀は慈禧皇太后(西太后)から皇位継承者に選ばれ紫禁城に移り住みました。王連壽も溥儀とともに宮中に入りました。
王連壽は溥儀を大変可愛がり。溥儀も王連壽を紫禁城で唯一の家族と思うくらい懐きました。
1914年。溥儀が9歳のとき。王連壽は宮中の太監や宮女と喧嘩になり。端康太妃は王連壽を解雇。王連壽は紫禁城から出ました。
1923年。16歳の溥儀は王連壽を紫禁城に連れ戻しました。溥儀は北京橋の近くに家を与えて住まわせました。王連壽の生活費をすべて支給、宦官と年配の侍女二人を派遣しました。
1924年。中華民国で政変が起こり。溥儀が紫禁城から追放されると彼女への支援は途絶えました。
満洲国に招かれる
1934年。溥儀が満洲国の皇帝になると。溥儀は北京に人を派遣。王連壽を新京(満洲国の首都、現在の長春市)に呼びました。
溥儀は満洲国の帝宮の一角に屋敷を立ててそこに王連壽を住まわせ、生活費を支給しました。
1945年。第二次世界大戦末期。満洲にソ連軍が侵攻。
1945年8月13日。溥儀は新京を放棄して大栗子(中国吉林省 白山市)に臨時の御所を置きました。王連壽は溥儀たちとともに大栗子まで避難しました。
8月19日。溥儀は日本に亡命しようと飛行場に向かいましたが。途中でソ連軍に捕まりました。
残された王連壽や婉容皇后や浩皇弟妃(溥儀の弟・溥傑の妃)たちは八路軍(中国共産党軍)に捕まりました。
その後、王連壽や婉容皇后たちは通化(満洲国通化省通化市、現在の中国吉林省通化市)の共産党施設に収容されました。
王連壽の最期・通化事件
1946年2月3日。共産党占領下の通化(満洲国通化省通化市、現在の中国吉林省通化市)で公安局施設に監禁されていた時のことです。
当時の通化には満洲から引き上げ途中の人も含め多くの日本人がいましたが日本に帰れずにいました。共産党の支配は国民党よりも過酷で街では共産軍による略奪・暴行が起きていました。さらに日本人が皆殺しにされるという噂も何度か流れてました。そのため現地の日本人が国民党と協力して反乱を起こしました。しかし一部が小銃や刀を持っているだけで大半はスコップや棍棒で武装した人々でした。
反乱部隊は満洲国の皇族を救出しようと王連壽や婉容皇后たちが監禁されているいる公安局施設を襲撃。一時は公安局を占領しました。しかし八路軍(共産軍)に包囲され施設は機関銃や大砲の激しい攻撃にさらされました。
王連壽は婉容皇后を守ろうと庇いました。しかし銃撃で手首を吹き飛ばされ出血多量で死亡しました。
通化の街で起きた反乱は八路軍が鎮圧しました。
この事件を「通化事件」といいます。
婉容皇后、浩皇弟妃は無事でした。その後、共産党の別の施設に移されています。
映画
ラストエンペラー(The last Emperor) 1987年、伊・中・英・仏・米 合作 演:イェード・ゴー 役名:アーモ
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