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福晋那拉氏・爾晴のモデルになった傅恒の正妻は不倫した?

大清 1.6 清の福普・夫人・女達

福晋 那拉氏(フージン・ナラ氏)は清朝の傅恒(ふこう)の正妻。

福晋(フージン)というのは王族の正妻に与えられる称号です。那拉氏は重臣の正妻ですが死後、特別に与えられました。

傅恒(ふこう)は第6代皇帝・乾隆帝けんりゅうていのに仕えた重臣。皇后 富察(フチャ)氏の弟。

「瓔珞<エイラク>」では 喜塔臘(ヒタラ)·爾晴 (じせい)として登場します。

ドラマでは姓は喜塔臘(ヒタラ)になっていますけれど、実際は那拉(ナラ)です。「ナラ」と名乗る人が多くなると紛らわしいので変えたのでしょう。

史実の 福晋 那拉氏 はどんな人物だったのか紹介します。

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福晋 那拉氏 の史実

いつの時代の人?

生年月日:1722年
没年月日:1793年

姓:那拉(ナラ)氏
称号:傅忠勇夫人
地位:一品夫人
父:納蘭 永綬
母:不明
夫: 富察(フチャ)傅恒(ふこう)

子供:福康安

清王朝の第6代皇帝・乾隆帝の時代です。

日本では江戸時代になります。

名門・葉赫那拉氏の一族

傅恒の妻・福晋那拉氏の記録はあまり多くありません。

生前は「一品夫人」の位をもっていたことが分かっています。重臣の妻に与えられる地位では最高位です。

夫の傅恒は乾隆帝が最も信頼する重臣。傅恒の姉は孝賢純皇后 富察(フチャ)氏。

重臣の夫人たちの間でもかなり高い地位にいた人のようです。

当時の記録には「傅恒は明氏の婿」と書かれていました。当時は明氏といえば康煕帝時代の重臣・納蘭(ナーラン)明珠(めいじゅ)の一族です。

つまり 福晋那拉氏は納蘭 明珠のひ孫になります。納蘭 明珠は葉赫那拉(イェヘナラ)氏の出身。(中国式に エホナラ と発音することもあります)

福晋・那拉氏の那拉は葉赫那拉の那拉だとわかります。

おいたち

一説によれば。福晋・那拉氏の父は納蘭 明珠の孫・永綬といわれます。

1754年(乾隆19年)。息子の福康安が誕生。

那拉氏は福康安のことを「伊子」と呼んでいました。満洲族の習慣では妾の子も「伊子」と呼ばれることもあります。漢民族ほど嫡子と庶子を区別しないのです。

1782年(乾隆47年)。那拉氏は乾隆帝に上奏文を書きました。ひとつは平和を願うもの。もうひとつは息子の福康安が太子太保(従一品)という位をもらったことへのお礼です。太子太保は皇太子に仕える役職ですが清朝には皇太子がいないので名誉職みたいなものです。従一品なので位は非常に高いです。

1791年(乾隆55年)。広東の総督・郭世勛の報告によると。大越(ベトナム)国王・阮恵(グエン・フエ)が福康安の母の誕生日の贈り物が都に送られてきた。と書かれています。

1793年(乾隆57年)。死去。享年71。

796年(嘉慶元年)。息子・福康安が死去。
福康安の父・傅恒に「郡王」、母・那拉氏に「福普」の爵位が与えられました。福普は王族男子の正妻に与えられる称号。王族に準ずる地位が与えられたのです。

中華民国で作られた都市伝説

清朝滅亡後。中華民国では清朝王族のおもしろおかしい作り話がたくさん作られました。中国人にとっては満洲族の王朝が滅んだことがよほど愉快だったのでしょう。

ドラマの設定にもいくつか取り上げられています。

たとえば。

1912年に出版された「清宮詞」では

傅恒の妻は、傅恒の姉・富察皇后 に会いに宮殿に訪れた。このとき乾隆帝と密通して後に福康安を生んだ。

と書かれています。

このエピソードは 瓔珞<エイラク>にもありましたね。ドラマオリジナルではなくて中国にはそういう都市伝説があるのです。

もちろん歴史上の 傅恒の息子・福康安(フカンガン)は傅恒と福晋 那拉氏の子供です。

1916年に出版された「清史演義」では傅恒の妻が富察皇后を訪れたのは皇后の誕生日だった。と書かれています。

さららに同じ年に発売された「清朝野史大観」では

乾隆13年(1748年)。富察皇后が乾隆帝の東巡に同行した時、乾隆帝に傅恒の妻との関係を勧めて口論になって河に投げ込まれた。という物語が書かれています。

傅恒の妻と乾隆帝の密通は中国では有名な話らしく、1950年代には一部の学者も支持するほど人気がありました。

さすがにまともな研究者は歴史的な事実とは認めませんでした。

でも、現代になってもこの話は物語の世界では人気があるようです。さらに現代では傅恒の妻の姓も物語によって違うこともあります。中華民国時代になって広まったのは「孫佳氏」という姓。

実際、漢人八旗の中に「孫佳氏」というのがあったようですが。孫佳氏が傅恒の妻になったという記録はありません。

他の物語では 瓜爾佳(カジカ)氏 になってることもあります。

ちなみに 瓔珞<エイラク>では傅恒の妻は 喜塔臘(ヒタラ)氏。

中国人にとって「傅恒の妻は乾隆帝と不倫した」というのが大事で、妻の姓は どうでもいいのかもしれません。

テレビドラマ

瓔珞〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜 2018、中国
 役名:喜塔臘·爾晴  演:蘇青

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