欽天監(きんてんかん)とは中国王朝に存在した役所のひとつ。天体の動きを観測、太陽・月・星の動きを調べて暦を作り。日食や月食の起こる日を予想。天体におかしな動きがあったら調べてその意味を調べ吉凶を判断する部署です。
欽天監の名前は明朝時代から使われました。それ以前にも似たような部署はありました。
明朝、清朝ドラマにも欽天監は登場します。たいていは儀式の日取りを決めたり。空に異変があると吉凶を判断したりしています。
欽天監とはいったいどういう人達なので、何をしていたのでしょうか?なぜそんな部署が存在するのでしょうか?
中国ドラマにも時々登場する欽天監について紹介します。
欽天監(きんてんかん)とは
欽天監とは中国王朝時代に存在した天文学、暦法、気象観測などを行う役所です。現代でいう国立天文台や気象台のような役割を担っていました。
欽天監の仕事
欽天監の主な役割は以下の通りです。
・天文現象の観測:日食、月食、惑星運行などを調べる。
・暦の作成:暦(カレンダー)を作って毎年皇帝に献上。
・気象観測:降雨量、天気を調べる。
・観測機器の製作。
組織
明朝では欽天監は長官のもと
・天文科
・漏刻科
・回回科
・暦科の部署に分かれていました。
清朝でもほぼ同じです。
階級
監正:欽天監の長官(正五品)
監副:副長官正(正六品)
主簿:従七品~従八品(長官の事務)
属官
各部署には正六品~従九品の役人が配属されてそれぞれの役目を担当していました。
欽天監の歴史と名前の移り変わり
古代から元まで
中華王朝には天体観測する人が古代からいました。
周朝には「太史寮」という部署があったといわれますが伝説なので本当にあったかはわかりません。
春秋戦国時代には天体観測する役人がいて祭祀を担当する部署に所属していました。秦では「奉常」、前漢では「太常」、後漢では「太史署」が設置されました。
隋では太史曹が設置、その後「太史局」「太史監」と名前が変わりました。唐では「太史局」「太史監」「司天台」とよばれました。
宋では「太史局」「司天監」。金では「司天台」とよばれました。
元では「太史院」とよばれ、さらにアラビアの技術を採用した「回回司天監」も設置されて天文観測や暦法の編纂を行いました。
明朝時代
明は元の組織を受け継いだので「司天監」「回回司天監」があり、洪武帝時代にはアラビアから技術者を迎え監正に採用しました。
洪武三年(1370年)。「欽天監」と改称しました。
清朝時代
清朝は明朝の組織を受け継ぎました。
順治帝~康煕帝時代の初期には清は西洋人を受け入れ。イエズス会宣教師が監正に採用されたこともありました。
康煕年間の中期にはキリスト教が禁止され。1826年には西洋人の採用は廃止されました。その後も清の人々によって活動が行われ、清朝の終わりまで「欽天監」は存在します。
欽天監の正殿は「紫微殿」と呼ばれ、中国の伝統では紫微星が帝星とされていました。
民国以降
中華民国建国後に「欽天監」は廃止。
観測などの役目は気象台や天文台が担当しました。
もちろん現代の中国では暦で吉凶判断はしていません。
なぜ欽天監が必要なの?
天の怒りで国が滅びるのを防ぐため
天がよくわからない基準で皇帝を任命する
中国古代では天象の変化は天(神)の意思の現れ。皇帝の運命と関係していると考えられていました。
皇帝が徳のある政治をすれば天が統治を任せる。でも徳がないと判断すれば天が地上の支配者を交代させる。これを天命思想といいます。
春秋戦国から漢の儒学者が言い出したことです。
でも「徳」って何でしょうか?
どうやって皇帝合格不合格を判断するのでしょうか?
採点基準は何?
ボーダーラインはどこ?
それを答えられる人はどこにもいません。孔子でも答えられないでしょう。
天体の動き=天の意思
でも目に見える基準がないと困ります。
そこで日食や月食などの天体の動きが天の意思の現れと考えられました。
天体の動きにおかしなところあると天が何かを伝えようとしている。だから皇帝の運勢が悪くなったり、最悪の場合は革命(革命とは天の命令が変わること)が起きて王朝が滅びると考えられたのです。
そこで皇帝の運勢が下がったり国の衰退を防ぐためにあらかじめ日食・月食の起きる日を調べておき。それにあわせて儀式を行うことで天の怒りを静め。皇帝や国の運勢が悪くなるのを防ごうとしました。
いや
天が怒らないように良い政治をすればいいのでは?
あらかじめ運の下がる日が決まってるなんておかしいでしょ。
と突っ込みが入るところですが。本末転倒になりやすのが儒学政治の欠点。
でも本人たちは大真面目です。
スピリチュアルな王朝
とにかく。
天の意思を知るためにできるだけ正確に太陽や月・星の動きを知る必要があります。天体観測をして暦を作り、天体の動きをどう解釈するか調べる部署ができました。
つまり国家ぐるみで占いをしているわけです。
日食は1日でも間違うと国の一大事と考えられました。元朝時代にはイスラム圏から、明朝初期と清朝の初期には西洋の技術も取り入れ観測方法はどんどん進歩しました。しかし明も清も途中から海禁(鎖国のこと)したので技術の進歩はそこで止まってしまいます。
「天の動きが君主や国の命運に影響する」という考えは朝鮮や日本にも伝わりました。朝鮮も中国同様に「天の怒りで王朝が倒れる」と信じていたので観測は熱心に行っていました。
でも日本では天命思想はいまいち定着しません。天皇になれるのは天照大神の子孫だけだからです。天体観測してもただの吉凶占いになってしまいます。しかも日本の朝廷には「困ったときの神頼み」という最終兵器があるので、運勢を知るために観測にコストを費やすなんてことはしません。
というわけで中国や朝鮮では科学的な興味から観測技術が発達したのではなく。「皇帝(王)や王朝の運勢が悪くならないようにするため」というスピリチュアルな動機が中心。そのため観測技術が進んだわりには科学技術や科学的な考え方が進歩しないという弊害が起こりました。
さらに一時的に外国から科学的な知識を取り入れても何度も行われる科挙によって儒教に凝り固まった役人が次々と補充され。科学の知識や技術は広まりませんでした。
皇帝が時を支配するため
もうひとつ大きな意味があります。
王朝時代には暦を作って広めるのは政治的にも大切なことです。
暦を作るのは「人の意思で時間を決めてしまう」こと。人々は暦に従って生活し様々な行事を行います。
暦を作った者は人々の時間を支配することになります。
そこで暦を決めるのは皇帝だけ。民間人は暦を勝手に作ることは許されません。実際には皇帝が欽天監(司天監)を設置してこれらの業務を管理させていました。
中国は属国にも皇帝が決めた暦を使わせました。周辺国の時も支配しようとしたのです。そのため朝鮮も中華王朝が作った暦や年号を使用しています。それに逆らおうとしたのが朝鮮世宗ですが国内外の反対にあって断念しました。
国の命運を握る欽天監
このように中国王朝では星の動きを観察して暦を作り、吉凶を判断するのはとても大きな意味がありました。皇帝や国の運命がかかっているのです。だから欽天監も重要な仕事でした。
日本人が考える占いよりももっと重い意味があるのです。
中国ドラマでも欽天監は出てきます。「欽天監」の言葉が使われたのは明と清だけですが、同じ役目の人達は他の王朝にもいました。架空王朝やファンタジー世界では「欽天監」の言葉を使っていることもあります。
ドラマに欽天監がでてきたら彼らの役割を思い出してください。そうすればドラマがもっと奥深く感じられるかもしれません。
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