韓国ドラマ「王女の男」は史実で起きた大事件「癸酉靖難(ケユジョンナン)」というクーデターをもとに、民間に伝わる噂話を組み合わせた架空の話です。
首陽大君が事件を起こしキムジョンソが殺害され、端宗が廃されるのは実話と言ってもいいのですが。キムスンユとイセリョンの恋物語は実話とはいえません。でも二人の話には元になった逸話があります。
この記事ではドラマのどこまで史実でどこからが作り話なのか?キムスンユとイセリョンのモデルになったのはどういう物語だったのか紹介します。
この記事で分かること
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キム・スンユの史実上の記録
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イ・セリョンが実在するのか否か
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『錦鶏筆談』がドラマに与えた影響
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癸酉靖難から端宗賜死までの歴史背景
【王女の男】キム・スンユは実在する?
『朝鮮王朝実録』には名前がないが
ドラマのキム・スンユは朝廷の実力者キム・ジョンソの息子の設定です。
史実の記録『朝鮮王朝実録・世祖実録』には父 金宗瑞(キムジョンソ)や兄たちの処刑記録はありますがキムスンユの名前はありません。したがってキムスンユが処刑されたという記録もありません。
でも朝鮮王朝実録に名前がないからと言って実在しないとは言い切れない部分があります。
『順天金氏大同譜』に書かれた金承琉(キムスンユ)
実は『順天金氏大同譜』という順天金氏の系譜には金承琉(キムスンユ)は載っているのです。これはその一族に所属した人たちの名前と系図が書かれた記録。両班にとっては重要な記録なので歴史に名前が残らないような人物でも、記録されています。
その系譜によると、金承琉(キムスンユ)は金宗瑞(キムジョンソ)の三男。承政院(スンジョンウォン)の注書という官職に就いていました。
1453年に首陽大君が起こした政変では父や兄たちは処刑されましたが。金承琉は運よく逃れて南漢山へ逃亡、隠れ住みました。
金承琉には驪興閔氏(ヨフンミンシ)の妻がいて、金孝達(キム・ヒョダル)という息子がいます。
つまり、金承琉(キムスンユ)は実在の人物だったと言えるわけです。でも史実の金承琉は世祖の娘とは結婚していません。
『錦鶏筆談』の金宗瑞の孫
でも19世紀の説話集『錦渓筆談(クムゲピルダム)』には、ドラマのモデルとなった話が載っています。
金宗瑞の孫は難を逃れて江原道へ逃げ延びました。 そこで身分を隠して生活していたところ、同じく宮廷を追われた首陽大君(世祖)の娘と偶然出会って敵同士とは知らずに愛し合って結婚しました。
なぜ「逃亡・結婚説」が生まれたのか?
ではなぜ歴史上は対立した金宗瑞と世祖の子孫が結婚する話ができたのでしょうか?その理由は記録されていないのでわかりませんが、いくつか説が考えられます。
- 判官びいき:世宗に仕えた忠臣だった金宗瑞が一族郎党皆殺しにされたことへの、当時の民衆の同情心。
- 世祖への批判:甥から王位を奪った世祖の罪を強調するため「自分の娘が敵の孫と結ばれる」という皮肉な物語が必要だった。
- 順天金氏の想い:順天金氏には金宗瑞の子は絶滅はしていないという記録があり。それを知った者や、順天金氏の者が金宗瑞の子孫は生き延びたと世間に伝えたかった。
更に詳しくは 王女の男 キム・スンユは実在したの? をご覧ください。
イ・セリョンは実在する?
ドラマのイ・セリョンは、首陽大君(のちの世祖)の長女として登場、キム・スンユと出会って恋に落ちます。でも父が宿敵・金宗瑞の一族を惨殺すると父・世祖に対して間違っていると正面から否定。王女の地位を捨ててまでも愛と正義を貫こうとします。
セリョンは史実では存在しない王女
史実では世祖の娘は懿淑公主だけです。でもドラマではセリョンの妹が懿淑公主となります。なのでセリョンの立場に該当する公主はいないのです。ドラマでもセリョンは家系図から消されたことになっています。
モデルは 錦鶏筆談の 李世熺(イ・セヒ)
ではドラマでキムジョンソの息子と恋に落ちる王女はどこから出てきたかと言うと。説話集『錦鶏筆談』に登場する李世熺がモデルといえます。
『錦鶏筆談』によると李世熺は首陽大君(世祖)の長女。父がクーデターを起こし非道な行いをしていたのを非難して宮殿から追い出されました。心配した母によって忠清道に逃されます。そこで一人の青年と出会い結婚。後にお互いの身の上話をしてお互いの素生を知る。という話です。
ドラマのイセリョンは李世熺と違って父が反乱を起こす前からキムスンユとは知り合っていますが、父の非道な行いに反対して家を追い出されるところは同じです。この『錦鶏筆談』の話をうまく使ってドラマのヒロイン像として仕上げているわけです。
更に詳しくは セリョン (スヤンテグンの娘)は実在する?【王女の男】 をご覧ください。
【王女の男】の元になった物語:錦鶏筆談
ドラマ「王女の男」は15世紀の事件をベースにしていますが、恋愛の部分は「錦鶏筆談」の物語がモデルになっています。
元になったのは錦鶏筆談
錦鶏筆談(クムゲピルダム)とは、朝鮮王朝時代の歴史的な裏話や逸話を集めた漢文の説話集です。
この資料は1873年に当時の文人である徐有英(ソ・ユヨン)が見聞きした話をまとめたもの。全体で141編の話が収録されています。
そのため王朝の公式記録(朝鮮王朝実録など)に比べると、資料としての信憑性は低いです。
錦鶏筆談の李世熺の物語
この物語ではヒロインは李世熺(イ・セヒ)。世祖(首陽大君)と貞熹王后尹氏の間に生まれた長女です。彼女が結婚する相手が世祖の宿敵だった金宗瑞の孫です。
物語の内容
婚姻から呼び戻し拒否まで
李世熺は父・首陽大君(世祖)がクーデター(癸酉靖難)を起こし、多くの人々を殺める姿を見て父を激しく諌めました。その結果、世祖の怒りを買って宮廷を追われることになりました。でも心配した母によって忠清道に逃されます。
李世熺は青年と出会い、互いの素性を知らないまま惹かれ合って結婚しました。
夫となったその青年こそ、癸酉靖難で滅ぼされた金宗瑞の孫。金宗瑞の家は粛清されましたが、彼は事件当時は留学していてその場にいなかったので一族で唯一生き延びていたのです。二人は結婚後にそのことを知りました。やがて二人の間には男の子も生まれます。
世祖の探索と呼び戻し
やがて、王位に就いた世祖は、行方不明になった娘(李世熺)の身を案じ、熱心にその行方を捜索させます。ついに彼女が山奥で暮らしていることを突き止めると、世祖は彼女を王宮へ呼び戻そうと使いを出しました。
でも李世熺は父の招きを拒否しました。彼女は父が殺めた男の孫である今の夫と添い遂げる道を選び王女としての地位よりも、夫婦として静かに暮らし続ける人生を優先させたのです。
物語が描きたかったもの
この物語は親が対立し、子が結ばれるという話ですが「ロミオとジュリエット」とは大きく違う点があります。二人が恋愛している時には親が敵同士という葛藤はありません。結婚した後で知ったのです。
世祖という政変の勝者の娘が金宗瑞という敗者の血を引く者と結ばれる。でも本人は知らないまま知り合って結婚。親も気がついたときには結婚している。という人の意志を超えたところで縁が決まっているという「皮肉」をこめた内容になっているのが特徴です。
次にこのドラマの中心的な出来事となる癸酉靖難とその後の出来事を紹介します。
癸酉靖難の実話
このドラマは歴史上の大事件を中心にしてストーリーが組み立てられています。それが首陽大君が起こした癸酉靖難です。ここでは史実の流れ紹介します。
癸酉靖難(ケユジョンナン)はなぜ起きた?
1. 幼すぎる王の誕生と「大臣たち」の台頭
事件の始まりは第6代王・端宗(タンジョン)がわずか11歳で即位したことにあります。通常、幼い王の場合は母や祖母などが摂政を行いますが、当時はそれができる人物がいませんでした。
その結果、先代の文宗の遺命を受けた金宗瑞(キム・ジョンソ)、皇保仁(ファンボ・イン)ら大臣が国政を担当することになりました。王は大臣が決めた事を認めるだけの存在になっていました。
2. 牙を剥くカリスマ、首陽大君(スヤンデグン)の危機感
この状況を「王権の失墜」として反発したのが端宗の叔父である首陽大君と安平大君でした。
もともと野心家の彼は大臣たちが権力を独占すれば自分たち王族の権限が縮小されると不満を持ちます。しかし首陽大君と安平大君は仲が良いわけでは有りません。
首陽大君の方が勢力が強く安平大君を従わせようとします。そこで金宗瑞らは首陽大君に対抗するため安平大君に接近。安平大君が有利になったかに思われましたが、劣勢になった首陽大君はついに武力行使に出ました。
3. なぜ最初に「金宗瑞」が狙われたのか?
首陽大君がクーデターの夜、真っ先に襲撃したのが金宗瑞の邸宅でした。金宗瑞は「大虎」と恐れられるほどの力があり大臣団の精神的な柱です。彼を排除すれば政権は一気に崩壊することを首陽大君は見抜いていました。
この電撃作戦によりドラマでも描かれるような凄惨な一夜が幕を開けます。犠牲は金宗瑞や皇保仁だけでなく、その家族や一族にも及びました。
4. 「靖難(難を鎮める)」という名目の正当化
この事件が「癸酉靖難」と呼ばれるのは首陽大君側が「金宗瑞らが謀反を企てたので、その難を鎮めた」という大義名分を掲げたためです。
自分たちは正義の決起だと主張したのですが、実際には王位を狙う叔父によるクーデターでした。
安平大君の粛清:肉親すら容赦せぬ権力への執着
首陽大君の追求は弟の安平大君にも及びました。
弟であっても容赦ない
首陽大君の弟・安平大君は芸術を愛する風流人として知られ、金宗瑞ら大臣派とも良好な関係を築いていました。そのため首陽大君にとっては反対派が担ぎ上げる最大のライバルでした。
そこで首陽大君は「安平大君が金宗瑞と結託して謀反を企てた」として安平大君を捕らえ、江華島へ流刑にしたのです。
流刑から「賜死」への非情な結末
流刑後も首陽大君の側近たちは後顧の憂いを断つよう強く要求。安平大君は毒薬を飲んで死ぬ「賜死」が命じられました。
首陽大君を阻む者は兄弟であっても許されないことが明らかとなったのです。
端宗の譲位と世祖の即位:ついに王座へ
端宗による王位の譲渡
支えてくれる臣下を失い端宗は孤独になってしまいました。端宗は叔父の圧力に耐えられなくなり1455年に「譲位」します。譲位とはいっても首陽大君たちの強制です。その結果、首陽大君が第7代王・世祖が誕生します。
甥から王位を奪った世祖への不満
しかしこうした強引な即位の仕方は儒教的道徳を重んじる士大夫(知識人)の間では、正当な王(端宗)を追い出した。という反感をかうことになりました。
端宗復位運動の摘発:血の粛清と決定的な断絶
「死六臣」による復位計画の露見
成三問(ソン・サンムン)らは世祖を暗殺し端宗を王位に戻そうと計画しますが、密告により事前に露見してしまいます。逮捕された成三問らは火炙りの後に凌遅刑という恐ろしい処刑が待っていました。
監視の強化と連座の拡大
この事件を受けて世祖政権は取り締まりをさらに強化。わずかでも端宗に同情的な動きを見せれば「反逆罪」として一族もろとも処罰される恐怖政治が敷かれました。
端宗の廃位と賜死:幼き王の悲劇的な最期
「王」から「君」への降格と追放
相次ぐ復位運動の火種を消すため世祖は端宗を「魯山君(ノサングン)」へと降格、険しい山々に囲まれた江原道の寧越(ヨンウォル)へと追放されます。三方を川に囲まれ、断崖絶壁に阻まれた地での生活は、事実上の幽閉でした。
さらなる復位運動が魯山君を追い詰める
しかし流刑されていた錦城大君が魯山君を復位させようと兵を集めているという情報があり。錦城大君は逮捕されます。
賜薬(しやく)による処刑
世祖達は端宗(魯山君)の存在そのものが、復位運動が繰り返される原因と判断。世祖は魯山君と錦城大君に賜薬による処刑を命じました。
魯山君はわずか16歳での最期でした。
敬恵(キョンヘ)公主の夫・鄭種の投獄と流刑
端宗の姉・敬恵公主は世祖にとって最も警戒すべき親族の一人でした。一連の端宗復位運動では敬恵公主の夫の鄭種が関わっているという疑いがかけられます。彼は逮捕されて投獄。全羅道の光州へと流刑になりました。
没落した王女の苦難
夫と共に流刑地へ向かった敬恵公主は、それまでの華やかな王宮生活とはまったく違う過酷な日々を送ることになってしまいます。
李施愛(イ・シエ)の反乱
魯山君を抹殺して朝廷内の敵対勢力を全て排除した世祖は、朝鮮の中央集権化を進めます。朝廷だけでなく全国各地の支配を強め、税や軍役が強化されました。これに対して咸鏡道で反発が強まります。中心となったのはこの地方の豪族・李施愛(イ・シエ)でした。李施愛らは中央から視察に来た康孝文を殺害。
世祖は軍を派遣しましたが、李施愛らの軍に苦しめられます。中央から派遣された軍を苦しめました。李施愛は4ヶ月ほど粘りましたが最終的に官軍に敗北、最後は部下の裏切りで身柄を拘束され処刑されました。
【王女の男】歴史年表
ドラマ『王女の男』は1453年に起きたクーデター「癸酉靖難(ケユジョンナン)」から始まります。
首陽大君(後の世祖)が実権を握るために起こした行動がキムジョンソとその家族だけでなく、王族や忠臣たちの運命を次々と狂わせていきました。ドラマの終盤に描かれる「イ・シエの乱」まで約14年間にわたる粛清の連鎖と歴史的背景を年表で紹介します。
| 年 | 出来事 | 因果関係と歴史的要点 |
| 1453年 | 癸酉靖難(ケユジョンナン) | 首陽大君(後の世祖)が、幼い王(端宗)を支える重臣・金宗瑞(キム・ジョンソ)らを殺害し、実権を握る。 |
| 1453年 | 安平大君(アンピョンデグン)の処刑 | 政変直後、世祖の弟であり、金宗瑞と近かった安平大君を流刑・賜死。王族内の対抗勢力を排除。 |
| 1455年 | 端宗(タンジョン)の譲位 | 圧力を受けた端宗が、叔父である首陽大君に王位を譲る。世祖が第7代王として即位。 |
| 1456年 | 端宗復位運動の摘発(死六臣の変) | 成三問(ソン・サムムン)ら忠臣たちが端宗を再び王位につけようと計画するが、密告により露見。 |
| 1456年 | 死六臣(サユクシン)の処刑 | 復位運動に関わった学者・重臣たちが凄惨な拷問の末に処刑される。 |
| 1457年 | 錦城大君(クムソンデグン)の処刑 | 端宗の叔父であり世祖の弟。配流先で復位を計画したとして賜死。王族への粛清が完了。 |
| 1457年 | 端宗の廃位と賜死 | 復位運動の責任を問われ、端宗は「魯山君」に降格・追放。その後、賜薬によって命を奪われる。 |
| 1461年 | 鄭悰(チョン・ジョン)の処刑 | 敬恵(キョンヘ)公主の夫。長年の流刑生活の末、反乱計画への関与を疑われ処刑される。 |
| 1467年 | イ・シエの乱(李施愛の乱) | 世祖の集権政策に反発した地方勢力の反乱。世祖時代の末期に起きた最大規模の反乱。 |
実在・モデル人物リスト
ドラマ『王女の男』の登場人物には実在する人物や、モデルの存在するキャラクターが多くいます。ここではドラマに登場する人物で実在した人達を一覧にしました。
実在する人物リスト
| ドラマの役名 | 歴史上の人物表記 | 説明 |
|---|---|---|
| 首陽大君/世祖 | 世祖(首陽大君) | 癸酉靖難で権力を握り、端宗を廃位して即位 |
| キム・ジョンソ | 金宗瑞 | 端宗側の重臣。癸酉靖難で殺害 |
| 安平大君 | 安平大君 | 首陽大君の弟。癸酉靖難後に流刑、のち賜死 |
| 文宗 | 文宗 | 端宗の父。キョンヘ王女の父 |
| ホンウィ/端宗 | 端宗(魯山君) | 廃位され魯山君に降格。流刑先で賜死 |
| 錦城大君 | 錦城大君 | 端宗復位の動きに関与。発覚後に流刑、のち賜死 |
| ユン氏/貞熹王后 | 貞熹王后 尹氏 | 世祖の王妃 |
| シン・スクチュ | 申叔舟 | 世祖側の重臣として登場 |
| ハン・ミョンフェ | 韓明澮 | 世祖側で台頭する重臣として登場 |
| イ・ゲ | 李塏 | 端宗復位の動きに関与し処刑 |
| イ・シエ | 李施愛 | 李施愛の乱の首謀者 |
| キョンヘ王女 | 敬恵公主 | 文宗の娘、端宗の姉 |
| チョン・ジョン | 鄭鍾 | 敬恵公主の夫 |
| キム・スンギュ | 金承珪 | 金宗瑞の子 |
| シン・ミョン | 申㴐 | 申叔舟の子・李施愛の乱で戦死 |
| クォン・ラム | 權擥 | 世祖の臣下 |
| 温寧君 | 温寧君 | 太宗の庶子・首陽大君の叔父。 |
架空だがモデルのいる人物
| ドラマの役名 | 材料になった要素 | 説明 |
|---|---|---|
| キム・スンユ | 史実の金承琉+錦鶏筆談の男 | 名前や立場は史実側、恋愛部分は説話をもとに合成 |
| イ・セリョン | 錦鶏筆談の李世熺 | 説話の李世熺をもとにアレンジ |
あとがき
『王女の男』がどこまで史実に基づいているのかを公式記録や系譜、そして説話集の内容を手がかりに紹介しました。
歴史をたどってみると記録に残っていることと語り継がれてきたことは同じとは限りません。キム・スンユのように実在の可能性がある人物もいれば、イ・セリョンのように物語から生まれた存在もいます。
とはいえ公式記録に名前がないからといって、その人が完全に存在しなかったといい切れるものでもありません。家譜や説話に残された断片は当時の人々が何を思い、何を語り継ごうとしたのかを知る手がかりにもなります。
この記事のドラマを観るときの手がかりとして役立ててみてください。背景になる歴史や人物関係を理解したうえで観ると、ドラマがより分かりやすくなると思いますよ。
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