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癸酉靖難(ケユジョンナン)とは?首陽大君の挙兵と端宗退位までをわかりやすく解説

朝鮮王朝の歴史には、王位をめぐる大きな政変がいくつかあります。その中でも特に重要なのが癸酉靖難(ケユジョンナン/けいゆうせいなん)です。

この事件は1453年、端宗の時代に王族のスヤン大君が重臣キム・ジョンソらを排除して政権を掌握したクーデターです。

韓国ドラマ「王女の男」でもこの事件が物語の土台になっています。

この記事では癸酉靖難がなぜ起きたのか、どのような流れで進んだのか分かりやすく紹介します。

 

この記事で分かること

  • 癸酉靖難が起きた政治的背景と朝廷内の対立構造
  • 首陽大君・端宗・金宗瑞ら主要人物の立場と役割
  • 1453年の政変がどのように進み、誰が排除されたのか
  • この事件が世祖の即位やその後の反発につながった流れ

 

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癸酉靖難とはどんな事件?

癸酉靖難(ケユジョンナン)は、端宗の時代1453年に起きたクーデターです。

第5代王 文宗が亡くなると王位はまだ幼かった端宗が継ぎました。幼い王を補佐するため朝廷では重臣キム・ジョンソらが政治の中心となります。

しかし王族の中には王権の周囲を重臣が固める状況に不満を持つ者がいました。その代表が文宗の弟・首陽大君(スヤンテグン)です。

スヤン大君は武力と政治力を背景に、端宗政権を支える重臣たちを排除する計画を進めました。

そして1453年、兵を動かしてキム・ジョンソ派を一気に排除します。

この政変が癸酉靖難です。

この事件によって朝廷の権力構造は一変しました。端宗は王位に残ったものの、実際の政治の主導権はスヤン大君側に移っていきます。

 

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なぜ癸酉靖難が起きたのか

幼い王が即位・垂簾聴政できる母もいない

癸酉靖難が起きた理由は幼い王が即位したことと大臣たちが中心になって政治を行い。それに対して王族や他の臣下が反発したことがあります。

文宗の死後に王位を継いだ端宗は満11歳でした。普通、王が幼い場合は王の母や祖母による垂簾聴政が行われますが。端宗の母も祖母もこのときすでに他界していたので垂簾聴政できる人がいません。

有能な王族の存在

世宗の息子たちには有能な者が多く。政治や文化活動の場で活躍、父や兄・文宗を支えていました。中でも首陽大君(スヤンテグン)安平大君(アンピョンテグン)の勢力が大きく、それぞれの派閥を作っていました。

皇甫仁・金宗瑞ら議政府に権力集中

文宗は死の前に皇甫仁(ファンボ・イン)金宗瑞(キム・ジョンソ)らに息子を支えるように命じていました。

そのため端宗の政権では領議政の皇甫仁、左議政の金宗瑞ら議政府が実権を握り、端宗は大臣たちに言われるがまま決済するだけの存在になっていました。

大臣中心の政治に反発する人たち

王族から見ると、こういった状況は面白くありません。王族が政治から遠ざけられ重臣の権力が強くなるからです。

成三問(ソン・サンムン)ら集賢殿の学者たちも一部の大臣に権力が集中するのを快く思っていませんでした。

ここで文宗の弟・首陽大君(スヤンテグン)はここで王権を守る・幼い王を助けるという名目で政治的な活動を初めます。

 

癸酉靖難の関係人物

首陽大君(スヤンテグン)

世宗の次男。文宗の同母弟。政変の中心人物。武芸に優れ指導力があり、臣下たちと活発に交流し派閥を築いていました。こうした軍事力と政治的な支持を武器に重臣を排除して政権を握りました。後に第7代王・世祖として即位します。

詳しくは 首陽大君(スヤンテグン) ・王座を甥から奪った男の生涯をご覧ください。

 

端宗(タンジョン)

第6代国王。文宗の息子。11歳で王位につきました。癸酉靖難の後も王位には残りますが、政治の主導権はスヤン大君側に移りました。

詳しくは端宗(タンジョン)とは?世祖に王位を奪われた朝鮮第6代国王の生涯をご覧ください。

金宗瑞(キム・ジョンソ)

左議政。端宗政権を支えた重臣です。文官出身ですが世宗時代には軍を率いて女真族と戦い領土を広げ、大虎(テホ)の異名を持ちます。朝廷内でも大きな力を持っていました。若い王を補佐して政治を主導していましたが、癸酉靖難で排除されました。

詳しくは キムジョンソ(金宗瑞)歴代王に信頼された重臣をご覧ください。

 

皇甫仁(ファンボ・イン)

領議政。キム・ジョンソと並ぶ端宗側の重臣です。政変によって失脚します。

 

敬恵公主(キョンヘ王女)

文宗の娘。端宗の姉です。政変後の王族の苦境を象徴する人物として、ドラマでも重要な存在になります。

キョンヘ王女は実在した?敬恵公主の史実と王女の男との違いとはをご覧ください。

 

安平大君(アンピョンテグン)

世宗の三男。文宗・首陽大君の同母弟。彼も議政府が力を持つことに不満を持っていました。芸術肌の安平大君も人望がありましたが、首陽大君とは仲が悪く兄からは圧力を受けていました。

安平大君(アンピョンテグン)、首陽大君と争い破れた王族をご覧ください。

 

錦城大君(クムソンテグン)

スヤン大君の弟にあたる王族です。後に端宗復位運動に関わることになり、政変後の王族の抵抗を考える上で重要な人物です。

錦城大君(クムソンテグン)とは 端宗を守ろうとして処刑された世宗の六男

 

癸酉靖難の流れ

大臣と安平大君の同盟

朝廷内で力をつける首陽大君の動きに危機感を持ったのが金宗瑞ら議政府の大臣でした。王権が危ないと感じた彼らは比較的穏健とされる安平大君と手を結びます。

首陽大君も王族・集賢殿の学者たちを味方に引き入れます。

こうして朝廷・王室は首陽大君派と安平大君派に分かれました。

当初は議政府の後ろ盾のある安平大君が優勢でした。

首陽大君の挙兵準備

劣勢を覆すため首陽大君は韓明澮(ハン・ミョンフェ)。權擥(クォン・ラム)らと相談して仲間を集め挙兵の準備を初めます。

また首陽大君は自ら明国への使者となり、金宗瑞ら大臣らの警戒心をといていきました。

首陽大君の決断

1453年首陽大君は挙兵を決定。臣下の中には挙兵に反対する者もいましたが、首陽大君と韓明澮は彼らを説得。従うものだけを引き連れて挙兵しました。

金宗瑞派の排除

旧暦10月10日夜。首陽大君は武官を引き連れて金宗瑞の自宅を訪問。家には入らず、門で応対した金宗瑞を殺害しました。

同時に配下の兵に命じて景福宮や主要な施設を占拠させました。

さらに首陽大君は端宗「金宗瑞が安平大君と共に謀反を企てた」と嘘の報告をして王命を偽って大臣たちを集めました。

集まった金宗瑞派の大臣たちは待ち構えていた兵よって殺害され。領議政の皇甫仁も命を落とします。鄭麟趾(チョン・インジ)ら首陽大君に友好的な者だけが残されました。

 

癸酉靖難の結果

権力を独占した首陽大君

癸酉靖難の結果、朝廷の権力構造は大きく変わりました。

端宗政権を支えた重臣達は壊滅。首陽大君と彼を支持する者だけが残りました。首陽大君自身は領議政と人事権・軍権のすべてを握り権力を独占。事実上の王に匹敵する力を得ました。

首陽大君の行いは反乱ですが、端宗には彼らを処罰する力はありません。

癸酉の年(1453年)に起きた難を靖んじた(治めた・安定させた)という意味で「癸酉靖難」といいます。

安平大君の最後

安平大君は江華島へ流され、現地で賜薬によって殺害されました。殺害された重臣たちの妻妾や子供たちは奴婢へと落とされました。

 

李澄玉の乱

首陽大君は金宗瑞の部下 李澄玉を警戒

癸酉靖難と関係する反乱として金宗瑞の側近・李澄玉(イ・ジンオク)による「李澄玉の乱」が挙げられます。

李澄玉は咸鏡道都節制使を務め北方の防衛を担当していましたが。首陽大君は金宗瑞を排除すると李澄玉を解任、朴好問(パク・ホムン)を任命しました。

李澄玉が大金皇帝を名乗り反乱を起こす

金宗瑞の殺害を知らなかった李澄玉は一度は朴好問に職を譲ったものの。都での政変と金宗瑞の死を知って激怒。朴好問を殺害して「大金皇帝」を名乗り北方に行って女真族の協力を求めました。

李澄玉の最後

しかし女真族は自分と達の土地を奪った金宗瑞・李澄玉らを信用せず協力は得られませんでした。部下の裏切りにあい、鍾城府使の鄭種(チョン・ジョン)の襲撃を受けて討たれます。

李澄玉の乱の影響

朝廷は咸鏡道地域を反乱分子の土地として差別。1467年に起こる「李施愛(イ・シエ)の乱」の原因となりました。

 

世祖の即位

李澄玉も排除した首陽大君は都はもちろん、朝鮮全土に敵対するものはいなくなりました。

首陽大君や鄭麟趾らは端宗を圧迫。首陽大君は集賢殿に命じて自らを称える教書を書かせるなど、支配体制を強めていきました。

こうして朝廷を完全に握った首陽大君は1455年に端宗に王位を譲ると宣言させ。自ら王位へと就くことになります。

第7代朝鮮王 世祖の誕生です。

 

ドラマでの癸酉靖難の表現

ドラマ『王女の男』での癸酉靖難の描かれ方

『王女の男』でも癸酉靖難は前半の重要な要素になっています。

主人公は首陽大君金宗瑞ではなく、彼らの子どもとイ・セリョンとキム・スンユです。

首陽大君が起こしたクーデターによって、キム・ジョンソの息子・スンユは家族を失い復讐の道へ駆り立てられ。セリョンは敵の娘になってしまいます。

端宗の姉・キョンヘ王女の苦難も描かれているのも特徴。敬恵公主(キョンヘ王女)にとっても癸酉靖難は弟・端宗や自分の立場を根本から壊す大事件でした。セリョンと並ぶもう一人のヒロインともいえます。

ドラマ序盤からすでに文宗の腹心キム・ジョンソと首陽大君は対立。文宗存命中から首陽大君が権力への野心を見せているのがこのドラマの特徴です。

政変が決定的な悲劇として燃え上がるのが第7話から第8話にかけて。首陽大君は私兵を潜ませ自らキム・ジョンソの屋敷を訪ねて殺害を強行しようとします。ここでは計画を知ったセリョンがスンユを救おうとしますが止められず。史実通りの事件が起こりスンユとの関係も一旦は破綻します。

「王女の男」では癸酉靖難を事件に関わった者たちの子らの世代の視点で描いているのが特徴。セリョン、スンユ、敬恵公主、チョン・ジョン、シン・ミョン。

親世代が起こした事件によって、彼らの日常や人間関係が壊されていく様子が描かれました。癸酉靖難は若者たちの人生を大きく帰る舞台装置となっているのです。

王女の男については【王女の男】の実話。癸酉靖難の史実・実在人物・ドラマとの違いでも詳しく紹介ています。

 

 

まとめ

癸酉靖難(ケユジョンナン)は、朝鮮王朝で起きた大きな政変です。

幼い端宗を支えた重臣たちが粛清され、首陽大君が政治の中心に立った事件でした。これによって世祖が誕生します。

しかし、強引に王位を奪った世祖への反発は強くこの後も反対運動が起こることになります。

 

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執筆者:フミヤ(歴史ブロガー)
京都在住。2017年から韓国・中国時代劇と史実をテーマにブログを運営。これまでに1500本以上の記事を執筆。90本以上の韓国・中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを史料(『朝鮮王朝実録』『三国史記』『三国遺事』『二十四史』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。類似サイトが増えた今も、朝鮮半島を含めたアジアとドラマを紹介するブログの一つとして更新を続けています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールページをご覧ください。
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