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神懿王后 韓氏:李成桂の正妻とはどんな人?

神懿王后 韓氏(ハンシ)は 朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の最初の妻。

東北面の有力者の娘として生まれ李成桂と結婚しました。夫が高麗の武将として出世し都で過ごす時間が増えるなか、韓氏は故郷に近い地域で家を守り、6男2女を育てた人物です。
朝鮮建国を前に亡くなった韓氏の生涯を、李成桂との結婚、康氏との立場の違い、死後に変わった称号を紹介します。

 

この記事で分かること

  • 神懿王后 韓氏の出身地や家柄
  • 李成桂との結婚と、6男2女を育てた暮らし
  • 康氏が「京妻」、韓氏が「郷妻」と呼ばれた背景
  • 死後に贈られた称号と斉陵の扱いの変化

 

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神懿王后 韓氏(ハン氏)の史実

カン氏のプロフィール

  • 姓:韓
  • 名:不明
  • 本貫:清州韓氏
  • 称号:神懿王后
  • 生年月日:1337年
  • 没年月日:1391年10月21日

家族

  • 父:韓卿(安川府院君 景敏公)
  • 母:朔寧申氏(三韓国大夫人)
  • 夫:太祖 李成桂
  • 子供
    • 長男:鎮安大君 李芳雨(1354-1394)
    • 次男:定宗 李芳果(1357-1419)
    • 三男:益安大君 李芳毅(1360-1404)
    • 四男:懐安大君 李芳幹(1364-1421)
    • 五男:太宗 李芳遠(1367-1422)
    • 六男:徳安大君 李芳衍(?-1385)
    • 長女:慶慎公主(?-1426)
    • 次女:慶善公主(生没年不詳)

神懿王后 韓氏は李成桂との間に6男2女をもうけました。特に重要なのはのちに朝鮮 第2代王になる定宗 李芳果と、第3代王になる太宗 李芳遠です。

朝鮮の初代国王・太祖の正室です。
日本では室町時代初期になります。

 

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神懿王后 韓氏の生涯

高麗の地方豪族の娘

韓氏は高麗時代の1337年9月に高麗の東北面 永興(ヨンフン)の風流山の麓にある金里(クムリ)で生まれました。

父は韓卿。朝鮮半島の東北方面にあたる咸鏡道・安辺地方の有力者。

李成桂の父・李子春(イ・ジャチュン)も東北方面で力をもつ人物です。韓家は李家と付き合いがあり、その縁で娘を李成桂に嫁がせたとされます。地方豪族同士の結婚といえます。

母は朔寧 申氏

北東方面で暮らし子供を育てる

15歳のときに李成桂と結婚。6男2女をもうけています。

1364年(恭愍王13年)。李成桂は従兄弟の三善と三介が反乱を起こすと、これを鎮圧しました。その功績で奉翊大夫密直副使に昇進。端誠亮節翊戴功臣の称号が与えられました。夫人の韓氏も元信宅主の称号が与えられます。

李成桂は高麗の武将として多くの戦場を駆け巡りました。その間、韓氏は東北方面の咸州で暮らし家を守り子を育てました。

 

夫の李成桂は開京で二人目の妻と結婚

李成桂は将軍として出世。都の開京(開城)で暮らすようになると、康氏という女性を二人目の妻に迎えました。

当時の高麗は一夫多妻制が一般的で、都で暮らす康氏は「京妻(キョンチョ)」、故郷で李成桂を支えた韓氏は「郷妻(ヒャンチョ)」と呼ばれました。

李成桂は将軍として出世して都の開城で暮らす事が多くなりましたが、韓氏は北東方面で暮らすことが多かったようです。

抱川に移住

高麗末期の禑王の時代には韓氏は抱川(京畿道の北東部)の滓壁洞田荘に居住しました。抱川には李成桂の田荘(領地・荘園みたいなもの)がありました。ここに田畑だけでなく屋敷もあり、晩年の韓氏はここで暮らしました。

 

威化島回軍で避難

1388年(禑王14年)。高麗の禑王は、明を攻めるために遼東遠征を命じました。李成桂(イ・ソンゲ)は遠征軍を率いて北上しましたが、鴨緑江の中州である威化島まで進んだところで軍を引き返しました。これが威化島回軍です。

このころ韓氏は抱川で暮らしていました。しかし都にいた五男の李芳遠が戻ってきて、韓氏を守りながら東北面に逃れました。

しかし韓氏は朝鮮の建国を見ることなく1391年9月23日(旧暦)に55歳で病死しました。

 

死後の称号の変化

1392年に朝鮮王朝が建国するとすでに他界していた韓氏には「節妃」という称号が贈られお墓は「斉陵」と名付けられました。のちに「神懿王太后」という諡号も追尊されています。

実は李成桂は二人目の妻である康氏を溺愛していました。そのため康氏が眠る漢城の「貞陵」は手厚く扱っていましたが、本妻の韓氏の「斉陵」には守衛の役人や祭祀の道具さえ配置されない時期があったといいます。

その後、1408年に息子の太宗が「承仁順聖神懿王太后」と諡号を六文字に増やしました。

しかし1683年になると粛宗が「王太后」の称号を礼法上の理由で取り消し「神懿王后(承仁順聖神懿王后)」に改めています。

さらに大韓帝国が成立した1899年には高宗によって「神懿高皇后」へと改められました。

 

テレビドラマ

李成桂の登場するドラマは多いですが。建国前に亡くなったことからドラマへの登場は少ないです。

龍の涙 KBS1、1996年、演:ハン・ヨンスク

太宗イバンウォン KBS、2021年 演:イェ・スジョン
出番は少ないですが。史実通り威化島回軍で避難してきたイ・バンウォンと行動をともにする場面が描かれました。若い康氏に対しても第一夫人らしく毅然とした態度で接していました。

 

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未分類王妃・側室
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執筆者:フミヤ(歴史ブロガー)
京都在住。2017年から韓国・中国時代劇と史実をテーマにブログを運営。これまでに1500本以上の記事を執筆。90本以上の韓国・中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを史料(『朝鮮王朝実録』『三国史記』『三国遺事』『二十四史』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。類似サイトが増えた今も、朝鮮半島を含めたアジアとドラマを紹介するブログの一つとして更新を続けています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールページをご覧ください。
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