孫皇后は唐の皇帝、太宗・李世民の正室。
皇后としての立場を守り、個人的な理由で政治に介入することなく中国史上でもとくに賢明な皇后といわれます。
史実の長孫皇后はどんな人物だったのか紹介します。
長孫皇后の史実
いつの時代の人?
生年月日:601年
没年月日:636年
在位:626~636年
称号:文徳聖皇后
姓:長孫
名:不明
幼名:観音婢
父:長孫晟
母:高氏
夫:李世民(太宗)
子供:
李承乾(皇太子)
李泰(魏王)
李治(高宗)
長楽公主
城陽公主
晋陽公主
新城公主
彼女は
日本では飛鳥時代になります。
おいたち
601年。隋の将軍・長孫晟の娘として生まれました。
長孫晟は北周時代には突厥との戦いで手柄を立てた名将でした。また外交官としても活躍しました。北周滅亡後は隋に仕え右驍衛将軍将軍になりました。
母は長孫晟の継室(再婚相手)の高氏。高氏は安楽王・高勱の娘。高氏は北斎王族の末裔です。
609年。父・長孫晟が他界。
すると、あとを継いだ異母兄の長孫安業によって家を追い出されてしまいます。母の高氏もいっしょに追い出されてしまいました。
その後は母の兄・高士廉に育てられました。
李世民と結婚
高士廉は長孫氏を唐国公・李淵の次男・李世民と嫁がせることにしました。李淵は隋の皇帝・文帝からも信頼の厚い重臣でした。
613年。13歳のとき 李世民と結婚しました。
618年。隋が滅んで唐が建国しました。義理の父・李淵が皇帝になりました。
李世民が秦王になったので、長孫氏は秦王妃になりました。隋王朝末期には李世民への支持を集めようと後宮内を奔走。
626年。玄武門の変。
皇太子の李建成と李世民が争いました。このとき長孫氏は自ら将軍たちをねぎらいました。李世民の側が勝ちました。
李世民が皇太子になりました。長孫氏は皇太子妃になりました。
その年。李世民が皇帝になりました。長孫氏は皇后になりました。
皇后時代
長孫皇后は礼儀作法を学び、古来からの伝統を守ることを心がけていました。生活は質素を心がけ、派手な服装や飾りは好みませんでした。
長男:李承乾の乳母・水安夫人が「宮殿には物が少ない。もっと多くの物を用意してください」と言った時、長孫皇后は「皇太子が心配すべきは美徳や名声が少ないことです。なぜ物が少ないことを心配するのですか」と答えました。
また長孫皇后は自分に仕える女官や宦官に怒ることはほとんどなかったといいます。
また長孫皇后は絵巻物が好きでした。服を着るときも絵巻物が手放せないくらい夢中になったといいます。
夫の李世民と昔や今の話をするのも好きでした。
他の妃嬪が難産で死亡したときはその子を引き取り育てました。
李世民のよい相談役
当時の中国では「女性は政治には関わってはいけない」という風習が強かったので長孫皇后もその風習を守っていました。
でも、李世民は長孫皇后に人事や賞罰のことで相談することがありました。
そのときでも「雌鶏が夜明けを告げると、家は窮乏します」といってなかなか答えようとしませんでした。
しかしあまりにも李世民の相談が多く。ついには答えるように「命令」されたので相談に乗ることにしました。
あるとき、長孫皇后は同母兄の長孫無忌が重用されていることに意見しました。長孫無忌は唐の建国にも貢献し二十四功臣のトップに位置づけられる重臣です。李世民も気に入って重要な役を任せていました。しかしあまりにも贔屓されるので周囲の重臣からも妬まれていました。
そこで長孫皇后は漢の呂氏や霍氏の前例を持ち出して長孫無忌をあまり贔屓しないように李世民に進言。外戚(皇后の一族)が権力を持って利益を貪ったり国を混乱させたりしてはいけないと忠告しました。
過去の王朝ではそういったことがあったのでそれを繰り返してはいけないと言ったのです。
長孫無忌は李世民が生きている間は権力をもつことはありませんでした。
長孫皇后は李世民に意見する時は、歴史上の例をあげて説明することが多かったようです。つまりそれだけの歴史書を読んで理解しているのです。
また、李孝常の反乱で異母兄の長孫安業が連座で処刑されそうになりました。それを知った長孫皇后は長孫安業の命だけは助けるように李世民に懇願しました。自分たちを追い出した長孫安業を助けたのは、皇后の地位を利用して長孫安業に復讐したと思われたくないからです。
皇后の在位中には唐で最初の蚕の儀式をおこなったり、積極的に皇后の務めを果たしました。
634年。九成宮への行幸後、病気になりました。
636年。闘病生活の末他界しました。享年36。昭陵に葬られました。
死後、文徳聖皇の諡が与えられました。
李世民は長孫皇后の死をひどく悲しみ新しい皇后はたてませんでした。そしてその陵墓をいつも眺めていました。
李世民は死後、長孫皇后と同じ陵墓に埋葬されました。
生前、長孫皇后は「女則」十篇を作りました。30巻からなる大作です。多くは失われましたが、今でもその一部が伝わっています。
この本は長孫皇后の死後、太宗が受け取りました。この本を読んだ太宗は改めて素晴らしい相談役を失ったのだと悲しんだといいます。
王朝が発展しているときの皇帝にはよい皇后がいるものです。太宗・李世民にとっては長孫皇后が最高のパートナーでした。
ドラマの長孫皇后
2014年 中国、武則天 The Emprress 、演:張定涵 、役名:長孫氏
2018年 中国、大唐見聞録 、演:袁詠儀、 役名:観音婢
2020年 中国、(原題:天下長安)、演:舒暢、 役名:長孫竭羅
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