善徳女王は新羅最初の女王。
ドラマ「善徳女王」ではトンマンがキム・ユシンやピダムとの三角関係がみどろこになっています。
女王になったあともピダムと結婚する話が出てきました。でも最終的には結婚していません。
歴史上の善徳女王に夫はいたのでしょうか?
善徳女王とキム・ユシンは結婚したのでしょうか?
いたとしたらどんな人だったのでしょうか?
善徳女王の疑問にお答えします?
花郎世紀に書かれた夫
「花郎世紀」という書物には朴欽飯、金龍春、乙祭の三人の夫がいたと書かれています。
朴欽飯・欽飯公
朴欽飯とも 欽飯公 ともいいます。
真興王の孫。父親は不明。善徳女王の叔父になるといいます。
金龍春(キム・ヨンチュン)
真平王の時代に官吏。善徳女王の時代には上大同を務めました。
真平王は龍春に娘の徳曼(トンマン・善徳女王)の婿になるように命令。しかし2人の間に子供は生まれませんでした。龍春は真平王に「婿を辞めさせて欲しい」と頼みました。
真平王は2人が分かれるのを許可。そのかわり徳曼が女王になったら補佐するようにと命じました。
乙祭(ウルジェ)
真平王時代の官吏。善徳女王の時代には上大同を努めたといいます。
信憑性が低い花郎世紀の内容
紹介した三人は朝鮮半島の正式な歴史書「三国史記」や逸話を集めた「三国遺事」にも載っていません。
どこに書いているかというと「花郎世紀」という書物です。
「花郎世紀」は新羅時代に作られた記録とされます。本物の「花郎世紀」は高麗時代の初期には残っていたようです。でも現代には伝わっていません。
ところが1989年に「花郎世紀」の写本とされる書物が発表されました。しかも「日本の宮内庁に保管されていた」というから驚きです。なぜ新羅の書物が日本の宮内庁にあるのでしょうか?とても事実は考えられません。
内容的にも滅茶苦茶で現代人が作った偽物といわれます。韓国の歴史学者も信じる人は殆どいません。
でも一部に本物だと主張する物好きな学者もいます。韓国の歴史学者の中にも事実より面白さ・現代人にとって都合のいい話を優先する人もいます。「花郎世紀」を事実と主張する学者がいても信用はできません。
とはいえ、内容が面白いので一般人には人気があります。
ドラマ「善徳女王」や「花郎」の元ネタにもなって「花郎世紀」の知名度が上がったようです。ミシルのように魅力的な悪役もいてドラマならいいのですけど、歴史の事実とは違います。
三国遺事にも善徳女王の夫が
花郎世紀以外にも善徳女王に夫がいたという記録もあります。
「三国遺事」には
善徳女王には「飲葛文王」という夫がいた。
出典:三国遺事
と書かれています。
ところが飲葛文王という王族っぽい名前なのに、どのような家系の人物なのか記録がありません。
それに正史の「三国史記」には善徳女王に夫がいたとは書かれていません。
「三国遺事」は高麗時代に僧侶の一然が書いた説話集。正式な歴史書ではありません。でも他に古代朝鮮の資料がないので三国史記を補う歴史書とされます。
ところが「三国遺事」は集めた昔話や故事の信憑性をあまり考えずに載せたようです。いい加減な内容も混ざっていました。「薯童説話」や「檀君神話」も「三国史記」にはなく「三国遺事」に載っている話です。
というわけで「三国遺事」に載ってる「飲葛文王」も本当にいたかは怪しいものです。
善徳女王とキム・ユシンは結婚したの?
史実では善徳女王とキム・ユシンが結婚したという証拠はありません。
二人は君主と臣下の関係。協力するとしても政治的な関係です。恋愛関係にはなかったと考えられています。
善徳女王は新羅で最初の女王。キム・ユシンは優れた軍事指導者でした。二人は新羅の歴史上でとても重要な人物です。注目度も高いです。
そのため善徳女王やキム・ユシンを題材にした小説やドラマなどでは、二人の関係が恋愛関係にあったと描かれることがあります。そのため架空の話を事実と混同する人もいると思われます。
歴史の常識では「夫はいない」
現在では「権力争いを避けるため。女王は結婚しなかった」というのが歴史学者の常識です。
善徳女王の次の女王、真徳女王や真聖女王も結婚はしていません。
歴史上は「善徳女王」には夫はいなかった。一生独身だった。といえますね。
でも「公的な夫」がいないとしても愛人はいたかもしれません。
真聖女王には愛人がいたと記録されています。ドラマ「善徳女王」のピダムのように「女王の夫」の座を狙う者はいたかもしれませんね。
コメント