葉天士は 清朝時代の医者。
中国医学(漢方医学)の発展に貢献しました。人びとからは「天から降りてきた医者」ともよばれ、清朝時代に非常に評判の高かった医師です。
「瓔珞<エイラク>」では 瓔珞に招かれて宮中で治療を行ったりしています。
史実の 葉天士 は宮廷ではなく民間で活躍した医師です。
葉天士はどんな人物だったのか紹介します。
葉天士 の史実
いつの時代の人?
生年月日:1667年
没年月日:1747年
姓:葉(よう) 氏
名:天士(てんし)
号:香巌(こうがん)
愛称:南阳先生、上津老人
地位:
父:葉朝採
母:不明
子供
清王朝の第6代皇帝・乾隆帝の時代です。
日本では江戸時代になります。
おいたち
1667年(康煕6年)江蘇の呉県(現在の中国・江蘇省蘇州市)で生まれました。
葉家は代々続く医者の家系でした。
祖父の葉 時や父の葉 朝採も地元では有名な医者です。
葉天士は幼い頃から本を読むのが好きでした。医学書を熱心に読みました。葉天士は働き者で生涯を通して働き続けました。
葉天士は14歳のときに父親を亡くしました。父の弟子たちに教えをうけて医学を学び続けました。葉天士の理解力は高く、やがて葉天士の医療技術は師匠たちを追い越していきます。
その後、腕のいい医師がいると聞けば勉強に行きました。18歳になるころには17人の師匠から学んだといいます。
彼は努力と勉強を惜しまない人で幅広い知識と技術を身につけました。
疲れを知らないかのように働いた葉天士の評判は広まりました。人びとは葉天士を「葉半仙」と呼びました。仙人のような医者 という意味でしょう。
葉 天士は中国医学(漢方)の中でも「温病学派」とよばれる流派の代表的な医師。彼の最大の功績は 熱性疾患の理論の発展と診断方法を確立したことです。西洋医学にはない理論なので分かりづらいですが、中国医学(漢方)では非常に重要な治療方法になっています。
葉天士は清朝時代に活躍した 薛雪(へきせつ)とともに、「温病学派」のとよばれる大きな流派になり。清朝時代の中国医学界で大きな影響力を持ちました。
葉天士の理論を受け入れない医師たちは自らを「経方派」とよび、「温病学派」と激しく対立。清朝末期には中国医学界を二つに分けるほどの大きな流派になりました。
名声が高まる一方で、葉天士は医療については非常に厳しい人でした。
死の間際、子や孫たちに言葉を残しました。
「医術は気軽にできるものではない。医師には才能と鋭い洞察力、そして努力が必要だ。その方法でのみ人を救うことができます。そうでなければ殺人者になってしまう。薬も剣の刃と同じなのだ」
1747年(乾隆12年)死去。享年81
葉天士の死後。彼の弟子たちは葉天士の原稿と医療記録を「温熱論」「葉氏存真」「臨證指南医案」などの本にまとめました。
葉天士は宮廷で活動する宮廷医官ではありません。中国には彼のような民間の医師が多くいて中国医学の発展に貢献、多くの人を治療していました。
テレビドラマ
瓔珞〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜 2018、中国 演:易勇
ドラマでは宮中に出入りする医師として登場。最初は町医者のような扱いでしたが、瓔珞に引き立てられて宮中でも診察を行います。歴史上は令妃魏氏が妃嬪になったころには70代の老人だったはずですが。劇中では働き盛りの年齢です。
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