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贅婿のラスボス 百里弘亟のモデル・アクダとウキマイとは?

ぜいせい 2 ドラマ人物

百里弘亟(バイリー・ホンジー)は中国ドラマ「贅婿(ぜいせい)ムコ殿は天才策士」に登場の登場人物。

武朝と対立する靖国の皇帝で、方天雷たちを影で操っていた黒幕です。「贅婿(ぜいせい)」のラスボス敵存在です。

その百里弘亟(バイリー・ホンジー)にはモデルがいます。

それは「金」の皇帝です。

ドラマの国にはモデルがあります。
武朝は 北宋。
梁国は 遼(契丹)
靖国は 金です。

だから金の皇帝が百里弘亟のモデル。もっと具体的には 初代皇帝アクダと2代目皇帝ウキマイが百里弘亟のモデルになります。

史実の国と人物の関係を知るとなぜドラマではあのように描かれているのかわかりやすくなります。

賀元常のモデルになった蔡京とはどのような人物だったのか紹介します。

 

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ドラマ「贅婿(ぜいせい)」の百里弘亟

百里弘亟(バイリー・ホンジー)
演:張永剛

靖国皇帝

靖国は新しく発展した国で隣の梁国を攻めて滅亡させました。梁国の次は武朝を狙っています。

方天雷の後ろだてになっていたのが靖国の百里弘亟でした。

武朝から賀元常が和平交渉にやってきしたが、武朝の軍隊が動いているのを知って賀元常を疑い殺害します。

対北強硬派の秦嗣源の処刑を要求。一度は処刑の決定をしました。その後、寧毅との交渉で公には秦嗣源が死んだことにして密かに逃すことを認めました。

その後、寧毅と交渉して青雲六州を武朝に渡しました。

しかし武朝を潰すことを考えていて最終回のラストでは宰相に新たな指示を出します。その靖国宰相は寧毅の前世=江皓辰を殺害した唐明遠にそっくり。

本格的な登場は第二期になりそうですが、手強い敵になりそうです。

 

百里弘亟(バイリー・ホンジー)のモデルは?

靖国は金をモデルにしていますから百里弘亟のモデルは金の皇帝ですね。

歴史上は二人の金の皇帝を一人にまとめたのが百里弘亟(バイリー・ホンジー)です。

一人は金の初代皇帝 阿骨打(アクダ)。

もう一人は2代目皇帝 呉乞買(ウキマイ)です。

金の初代皇帝 完顔 阿骨打(ワンヤン・アクダ)

女真人の国を作る

金の建国者 アクダ(阿骨打)は12世紀のはじめごろ。女真族の完顔(ワンヤン)部の族長の家に生まれました。アクダは大男で弓の名人でした。

日本では 完顔阿骨打(ワンヤン・アクダ)の名前で知られます。

女真族は満洲地方で暮らしていた黒水靺鞨の子孫です。女真族は匈奴や契丹、モンゴルのような遊牧民ではなく狩猟・畑作・漁業などを行う民族でした。でも契丹の支配下にいたこともあり強力な騎馬軍団を編成していました。

アクダが生まれた当時の女真族は契丹の支配を受ける熟女真と、契丹の支配を受けない生女真に分かれていました。アクダの父と兄は生女真をほぼ統一。兄の死後、アクダが族長を継ぎました。

契丹からの独立を目指して挙兵

アクダは遼(契丹)から独立を目指して挙兵しました。かつて強力な帝国を作った契丹人も贅沢な暮らしに慣れて堕落。アクダは按出虎水(アルチカ川)周辺の会寧を本拠地にして皇帝に即位。大女真金国(アムバン・ジュシェン・アルチュン・グルン)を建国しました。中華風の王朝名は「金」です。

アクダは遼の天祚帝が率いる大軍と戦い勝利しました。それを聞いた北宋は金と手を組んで北宋を攻め燕雲十六州を自分のものにしようと考えまます。金と北宋は「海上の盟」という同盟を結びました。

アクダは盟約通り遼を攻めました。ところが北宋は国内で反乱が起きて鎮圧に時間がかかり。遼の攻撃に遅れました。遅れて到着した北宋軍も燕京(北京)を守る遼軍に勝てません。

そこで北宋軍は金軍に攻撃を依頼。金軍は燕京を攻め落としました。金の重臣たちは約束を守れない北宋に燕京を渡す必要はないと言いましたが。アクダは約束通り燕京を含む六州を北宋に渡しました。でも燕京を北宋にわたす前に住民を金領内に移住させました。燕京の漢人もすでに遼の支配に慣れていましたし、むしろ宋の過酷な搾取は燕京の漢人にも伝わっていたので「宋の支配を受けるくらいなら金の方がいい」という意見もありました。北宋軍が到着した頃には燕京は空になっていました。

また盟約では北宋は遼に贈っていた歳弊(貢ぎ物)を金に贈る約束になっていましたが、北宋は贈りませんでした。

アクダは逃亡した遼の天祚帝を追いかける途中で病死しました。あとを継いだのは弟のウキマイです。廟号は「太祖」。

金の2代皇帝 呉乞買(ウキマイ)

金の太宗 ウキマイ(呉乞買)はアクダの弟です。

ウキマイは即位後、すぐに遼を攻撃。遼の天祚帝を捕らえます。遼は滅亡しました。

このころ北宋は金を裏切って遼と手を結びました。金が占領した燕雲十六州を奪おうとしたのです。

ウキマイは兄のアクダほど寛容ではありません。北宋の裏切りを知ったウキマイは激怒。すぐに兵を送って北宋の首都・開封を包囲しました。北宋の徽宗は驚いて息子に譲位。開封から逃げました。即位したばかりの欽宗は抵抗を続け。金は兵力が少ないこともあり長期戦は避けて北宋と和睦。金軍は撤退しました。

ところがその後も北宋は歳弊を贈ってきません。

1127年。怒ったウキマイはまた開封を攻めて陥落させました。欽宗と太上皇帝の徽宗、皇族や役人たち数千人を金に連行しました。ここに北宋は滅亡します。

このとき欽宗の弟・趙構(高宗)は南京に逃れて皇帝に即位しました。南宋を建国します。ウキマイは兵を送り高宗を捕らえようとしますが逃げられてしまいます。

金は部族社会が集まった国で、皇帝と名乗っていても強い権限はありません。アクダは王族と部族の代表を集めた組織を作りました。国の運営はその会議で決められます。

後にヌルハチが建国した後金にもハン(王)の独裁ではなくベイレ(王族)たちの会議で決まる制度がありましたが。女真族には部族長達の合議制で決める習慣があったようです。

史上唯一?臣下に杖刑された皇帝

北宋を滅亡させた後。金には大量の戦利品がありました。でもそのお金は次の戦闘のためにとっておかねばなりません。国庫は戦争のために使い、王が私的な浪費をしないのが太祖アクダの決めた掟です。

でも遼も北宋も滅ぼしたウキマイは、贅沢な食事がしたくなりました。国庫から金を引き出して私的な生活費に使いました。

ウキマイの行いはバレてしまいます。太祖アクダの決めた掟に反する。というのでウキマイは朝堂で臣下たちが見ている間で杖刑20回になり。その後、朝堂に集まった者たちに謝罪させられました。

他の中華王朝なら皇帝が贅沢な食事をしたところで誰も罰しないでしょう。「国の物は皇帝の物」が中華王朝だからです。でもウキマイの時代までの金は「国の物はみんなの物」。金は北宋を滅ぼして広大な領土を手に入れましたが。これからの国作りには経費がかかります。

ウキマイは皇帝とはいっても部族会議の代表のような存在でした。掟に背いたら皇帝でもバツを受けるのです。

「強いリーダー」としてカリスマ性のあった兄アクダに比べると、他の王族や部族長がウキマイを見る目は厳しいです。

ウキマイが次々に戦争を行い他国に強硬な態度を取り続けたのも部族の者たち納得させるため。戦利品を分けないと自分の地位が危ない。身内での立場が弱いので外には虚勢をはっていないといけないのでした。

結局、ウキマイは自分の息子にあとを継がせたかったのですが。臣下たちに反対され兄アクダの息子を跡継ぎにしました。

ウキマイは北宋を滅ぼしたので独裁的で残虐な皇帝に思われることもあります。でも実際には独裁的な力はなく、部族の意見をまとめて実行するのに苦労していた皇帝なのです。

1135年。ウキマイは病気で死去。享年69歳。

廟号は「太宗」。

 

ドラマと史実の違い

 

百里弘亟(バイリー・ホンジー)のモデルになった金の皇帝を紹介しました。「贅婿」第一期で靖が梁を攻めて壊滅させた~青雲六州が武朝に譲り渡された。あたりまでは初代アクダの時代。

「これから武朝を潰す」というあたりはウキマイの時代になります。

ラスボスが途中で交代するとややこしいので「贅婿」では一人の人物にしています。

ドラマの百里弘亟は野心家で武朝を滅ぼそうと策略を練っているようです。ウキマイも北宋を滅ぼしましたが。部族会議の決定に従って行動していたウキマイに比べると、百里弘亟はもっと独裁的な悪の親玉にふさわしい描かれ方をしていますね。

百里弘亟がどのような悪役として描かれるのか興味深いです。

 

・贅婿(ぜいせい)ドラマ登場人物紹介

 

・贅婿(ぜいせい)ドラマ全話リスト一覧

 

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