安陵容(あん・りょうよう)は中国ドラマ「宮廷の諍い女(甄嬛傅)」に登場する人物。
ヒロイン・甄嬛(しんけい)と同じ時に入宮した選女(正室・側室候補)でした。
最初は甄嬛たちと親しくしていましたが。やがて対立するようになります。
安陵容のモデルになったのは雍正帝の側室・安貴人。
ドラマ「宮廷の諍い女」の安陵容とモデルになった嫡福普 鈕祜祿氏について紹介します。
ドラマ「宮廷の諍い女」の安陵容
演:陶昕然
父は下級役人
安陵容の父・安比槐は役人になる前は香料を扱う商人でした。
母・林秀曾は蘇州の繡女でした。
そのため安陵容は香に詳しく、刺繍も得意でした。
父・安比槐は松陽県丞(正八品)の下級役人。
そのため安陵容は後宮でも見下されていました。
甄嬛たちとは仲良くしていましたが
秀女になったばかりのころは、大人しく控えめな性格でした。しかし後宮で様々な体験をする間に陰険な性格へと変わっていきます。
甄嬛や沈眉荘とは同じの選秀で合格して入宮。二人とは姉妹のように仲良くしていました。甄嬛たちとともに華妃とは敵対していました。
しかし寵愛を受ける甄嬛や沈眉荘を羨ましく思うようになります。父が兵糧の輸送中に襲撃され兵糧を奪われ処罰を受けそうになりました。甄嬛や沈眉荘に助けを求めましたが、彼女たちには力がありませんでした。そのときから皇后を頼るようになります。
華妃に呪いをかけていたのを皇后に見つかり、皇后に従うようになりました。
皇后の手下になる
華妃の失脚後は皇后と甄嬛が対立。
このとき安陵容は皇后の命令で甄嬛や沈眉荘を陥れました。
皇后の配下になったものの、なかなか子供を作らせてくれないので内心では皇后を恨んでいます。
歌がうまく、皇后の指示で歌って雍正帝に気に入られ貴人になりました。
甄嬛が莞妃になったとき、安陵容は安嬪になり延禧宮の主になりました。
しかし策略にあって声がかすれてしまい歌が歌えなくなります。
その後。父が汚職で捕まり、父を助けるために皇后の薬を使って懐妊。「妃」に昇格しますが甄嬛によって「鸝妃」の称号を与えられてしまいます。
その後。流産。甄嬛にその責任をなすりつけようとしますが失敗。
雍正帝を怒らせ延禧宮で禁足になってしまいます。
その後は甄嬛と面会。長年の恨みを話した後自害。そのとき皇后の重要な秘密を甄嬛に教えました。
安陵容のモデル・安貴人とは
歴史上の安貴妃の成年、両親は不明。
雍正7年(1729年)4月に入宮。
安貴妃と名付けられました。
その後は妃や嬪にも昇格することはありませんでした。
雍正帝の死後も生き続け。乾隆帝の時代も後宮にいました。
乾隆14年(1749年)。死去。
安貴妃は20年間、後宮にいましたが。子もなくとくに何かをしたという記録はありません。目立たないまま一生を終えたようです。
「鸝妃」という称号が付いたのは架空のエピソードです。
結局、雍正帝の時代に安という姓の側室がいたのは確かなのですが。ドラマの安陵容はドラマオリジナルの設定といってもいいですね。
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