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北朝・魏・周・斉

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北魏 孝明帝 元詡・ 霊太后や臣下から権力を取り戻そうともがいた若い皇帝

北魏の孝明帝 元詡(げん・しょう)は6世紀の中国南北朝時代の北朝・北魏の第8代皇帝。宣武帝の次男です。中国ドラマ「美人骨・周生如故」の北魏皇帝 劉徽のモデルにもなりました。わずか5歳で皇帝になり。実権は臣下や母の霊太后に握られていました。孝...
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美人骨:蕭晏/蕭文のモデル 蕭綜/蕭賛は南朝の蕭梁から北魏に亡命した皇子

蕭綜(しょう・そう)は6世紀の中国南北朝時代の南朝・蕭梁の皇族。初代皇帝・武帝の次男です。蕭綜の母は南斉の廃帝 蕭宝卷の後宮にいました。蕭衍が反乱を起こして工程になると、蕭衍の側室になっていました。そのため蕭綜は蕭宝卷の子ではないかという噂...
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元嵩 :孝文帝・宣武帝からも信頼された北魏の皇族

元嵩(げん・すう)は5世紀末から6世紀はじめの北魏の皇族。北魏は鮮卑の拓跋氏が作った国です。元嵩も鮮卑人です。鮮卑はかつてはモンゴル高原の東にいた騎馬遊牧民族ですが、中原にやってきて王国を作るようになりました。7代 孝文帝、8代 宣武帝の時...
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北周武帝・宇文邕(うぶん・よう)の正室と側室

北周武帝・宇文邕(うぶん・よう)は北周の第3代皇帝。北周の皇帝になった後、独裁的な権力を持っていた宇文護を暗殺。北斉を滅ぼして華北を統一しました。北周の全盛期を築いた皇帝です。日本でも「独孤伽羅」や「独孤皇后」「蘭陵王妃」など中国南北朝時代...
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李娥姿|武帝・宇文邕がお気に入りの側室は敵国の捕虜だった?

李娥姿(り・がし)は北周皇帝の3代皇帝 武帝・宇文邕の側室。4代皇帝。宣帝・宇文贇の生母です。西魏とは敵対していた梁の出身です。史実の李娥姿はどんな人物だったのか紹介します。李娥姿 の史実いつの時代の人?生年月日:536年没年月日:588年...
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孝閔皇后・元胡摩(げん こま)二人の兄と夫が廃位死亡した悲劇の皇女

孝閔皇后・元胡摩(げん こま)は北周の初代天王(皇帝)孝閔帝宇文覚の王后(皇后)。元皇后ともいいます。西魏皇帝 文帝・元宝炬(げん ほうきょ)の娘です。元皇后は元氏の皇后という意味なので、元皇后と呼ばれた人は他にもいます。紛らわしいので歴史...
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北周 孝閔帝・宇文覚(うぶん かく)は気の強さが災いして殺害された

孝閔帝・宇文覚は北周の初代・天王です。北周は古代中国の南北朝時代。鮮卑系民族が建国した国です。宇文覚は北魏・西魏の有力武将だった宇文泰の嫡子。宇文泰の後継者になりましたが。若かったので従兄弟の宇文護が実権を握っていました。気の強い宇文覚は宇...
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楊 爽:隋文帝 楊堅の弟は死霊の祟りで死んだ?

楊 爽(よう そう)は北周~隋の時代の武将。隋初代皇帝・楊堅の弟です。末弟で20歳近くも歳が離れていました。そのため楊爽の活躍は隋の建国後に集中します。隋建国後の突厥との戦いでは指揮官をつとめました。ところが若くして病気で死亡してしまいます...
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宣帝・宇文贇(うぶん いん)は北周の滅亡を早めてしまった皇帝

宣帝・宇文贇(うぶん いん)は北周の第5代皇帝です。歴史上は酒色に溺れ、暴力をふるう悪い皇帝として知られています。宣帝の死後。1年で北周は滅びました。宣帝時代に権力を握っていた楊堅が下剋上して隋を建国したからです。史実の宇文贇ははどんな人物...
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順陽公主(宇文氏)・楊堅の義妹は独孤伽羅と仲が悪かった

北周の順陽公主(宇文氏)は宇文泰の娘として生まれ、隋の楊堅の弟・楊瓚と結婚。でも楊堅の妻・独孤伽羅とは険悪でした。隋の建国後、宇文氏は多くの親族を失い自らも厳しい運命を辿ることになります。順陽公主の生涯を史実とドラマを交えて詳しく解説します。
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宇文家の歴史・宇文護や邕の祖先は匈奴から鮮卑になった

宇文氏は古代中国の名門貴族です。北魏・西魏で皇帝を補佐、北周の基礎を作った宇文泰。北周の皇帝(天王)になった宇文覚・毓・邕たち。北周で皇帝を凌ぐ力を持っていた宇文護。日本ではあまり知られていませんでしたが。中国ドラマ「独孤伽羅」「独孤皇后」...
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阿史那皇后・突厥から異文化を運んできたテュルクの姫

阿史那(アシナ)皇后(武徳皇后)は北周の武帝・宇文邕(うぶん よう)の正室。テュルク系遊牧民の国・突厥出身です。鮮卑系国家・北周と突厥の同盟のため、武帝に嫁ぎました。国と国の同盟のための結婚です。史実の阿史那(アシナ)皇后はどんな人物だった...
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