中国史

清の重臣・役人・男達

呉応熊・三藩の乱を起こした呉三桂の息子はホンタイジの娘婿

呉応熊(ご おうゆう)は呉三桂の息子。呉三桂は明の将軍でしたが、李自成が反乱をおこしたときに清に投降します。呉応熊はホンタイジの娘と結婚。清朝の娘婿になりました。ところが父・呉三桂が反乱を起こします(三藩の乱)。呉応熊は投獄されましたが、し...
清の皇子・男の皇族

乾隆帝時代におきた 理親王・弘晳の反逆事件「弘晳逆安」

清朝の第6代皇帝・乾隆帝は1735年10月8日に即位しました。60年以上在位して様々な実績を残した乾隆帝ですが。即位して間もないころは不安定な時期でした。若い乾隆帝に衝撃をあたえたのが。乾隆4年(1739年)におきた弘晳と彼らを支持する皇族...
清の皇子・男の皇族

廃太子胤礽の息子 ・弘晳 |謀反疑惑で乾隆帝を激怒させた親王とは

愛新覚羅 弘晳(こうせき)は廃太子 胤礽の次男。胤礽は大清帝国の大4代皇帝・康煕帝の皇太子。弘晳は康煕帝からも愛された皇子でした。弘晳は胤礽の次男でしたが長男が若くして死亡しているのであと継ぎでした。父・胤礽は皇太子を廃位させられ自宅謹慎に...
清の皇后妃嬪皇太后

安嬪 李氏・康熙帝の側室は行方不明?

安嬪 李氏は清朝の第4代皇帝・康煕帝の側室です。祖父は明の将軍・李永芳ですが。国境付近を守っていた李永芳は、明で一番早く清に降伏しました。ヌルハチは降伏した明の武将たちを手厚い待遇で迎えたため、李永芳の一族は漢軍八旗に取り立てられました。安...
清の皇后妃嬪皇太后

端嬪 董氏 は 康煕帝が10代から60代のころまでいた側室

端嬪 董氏は清朝の第4代皇帝・康煕帝の側室です。董氏の一族は代々満洲貴族に仕える正黄旗の包衣(ボーイ)出身でした。董氏一族は明や李自成との戦いで手柄を立てて出世しました。康熙帝が即位したときにはそれなりに高い地位にいました。康熙帝が十代のこ...
清の皇女(公主)

端敏公主・順治帝の養女は怖いものなしのホルチン親王福普

端敏公主の生涯を解説。順治帝の養女となりモンゴル・ホルチン部の親王と結婚。77歳で生涯を閉じる。清朝とモンゴルの関係、端敏公主の波瀾の人生を紹介します。
元・モンゴル

アブナイ(阿布柰)清に抵抗したモンゴルの親王

阿布柰(アブナイ)はモンゴル・チャハル部の王族。阿布鼐(アブダイ、アブナイ)といったりもします。チンギス・ハーンから続くモンゴル帝国の王家の血筋です。チャハル部は清に服従しましたが、アブナイは清の支配を受けるのが不満でした。史実の阿布鼐(ア...
清の重臣・役人・男達

オボイ(鰲拝)勇者と独裁者の二つの顔をもつ奸臣

オボイ(鰲拝)は清朝の重臣。「オーバイ」ともいいます。ホンタイジに仕え後金から清朝の発展に貢献しました。奸臣(よこしまな家来)として知られるオボイですが。若いころはさまざまな戦場で手柄を立てた勇猛な武将でした。ホンタイジの死後、ドルゴンによ...
清の福普・夫人・女達

福普 郭絡羅(ゴロロ)氏 (八皇子 胤禩の正室)は嫌われ者?

福普 郭絡羅(ゴロロ)氏は清朝の第4代皇帝・康煕帝の八皇子・胤禩の正妻。郭絡羅(ゴロロ)氏は清朝の満洲貴族出身。美人ですが気の強い女性だったようです。康煕帝時代の末期。後継者争いが激しくなりました。八皇子・胤禩(いんい)は皇太子になろうと裏...
清の皇后妃嬪皇太后

孝献端敬 皇后・董鄂(ドンゴ)氏は順治帝にもっとも愛された側室

孝献端敬 皇后・董鄂(ドンゴ)氏は清朝の第3代皇帝・順治帝じゅんちの側室。端敬皇后ともいいます。孝献端敬 皇后の称号は死後に与えられました。生前の位は「賢妃」や「皇貴妃」です。順治帝の後宮にも皇后や多くの側室がいました。それでも董鄂(ドンゴ...
清の重臣・役人・男達

納蘭 明珠・康煕帝を支えた重臣は汚職で失脚

納蘭 明珠(ナーラン・ミンジュ)は清朝の大臣。満洲人の名門・葉赫那拉(イェヘナラ)氏の出身です。4代皇帝・康煕帝に仕えて信頼されました。明珠は大きな力を持ち派閥を作りました。ところが康熙帝の信頼をよいことに役に立ちから賄賂をとり役職を与えて...
清の重臣・役人・男達

納蘭 性徳(容若)清朝最高の詩人は康煕帝の側近だった

納蘭 容若(のうらん・ようじゃく)は清朝の政治家。清朝で最高の詩人といわれます。4代皇帝・康煕帝に仕えました。清朝でも最高の詩人として有名です。本名は 性徳(せいとく/満:シンデ)。容若(ようじゃく)は本名以外に付ける通称です。親や目上の者...
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