重臣 許筠(ホギュン)/蛟山(キョサン)洪吉童伝の作者は謀反の罪で処刑された 許筠(ホ・ギュン)は李氏朝鮮時代の重臣。雅号(ペンネーム)は 蛟山(キョサン)。宣祖や光海君に仕えました。小説「洪吉童傳(ホンギルドン伝)」の作者といわれます。本人は頭がよく差別されている庶子の境遇に共感して差別廃止の活動も行っていましたが... 2022.11.18 2024.07.13 重臣
国王 朝鮮 憲宗・勢道政治の操り人形だった国王 憲宗 李烉 は李氏朝鮮王朝の第24代国王。23代純祖の孫、正祖のひ孫です。憲宗はわずか8歳で国王になりました。大王大妃や重臣たちが政治を行い、憲宗はお飾りの王でした。憲宗が成人した後も大妃や重臣たちが中心になって政治を行いました。このころは... 2022.10.02 2025.06.08 国王
王妃・側室 カンテク:カンウンボのモデル?孝定王后 洪氏 孝定王后 洪氏(こうていおうこう こうし)は李氏朝鮮王朝の 第24代国王 憲宗の正室。最初の王妃・孝顕王后 金氏の死後。王妃になりました。憲宗は24歳と若くして死亡。孝定王后 洪氏は19歳で大妃になってしまいます。孝定王后 洪氏は韓国ドラマ... 2022.10.01 2024.07.13 王妃・側室
王妃・側室 純元王后 金氏・安東金氏の勢道政治を実現させた純祖の正室 純元王后 金氏は朝鮮王朝第23代王・純祖の正室。安東金氏出身。夫の死後も垂簾聴政を行い、金氏一族を政治の中心に据え勢道政治を確立しました。純元王后の生涯と豊壌趙氏と繰り広げた権力争いを詳しく解説します。純元王后を詳しく知りたい方にオススメ。 2022.09.09 2024.11.23 王妃・側室
朝鮮の人々 全 琫準 平等な世の中を夢見た東学軍のリーダー 全 琫準(チョン・ポンジュン)は李氏朝鮮時代末期の人物。朝鮮東学教の南接派の代表者で。東学党が中心になって引き起こした東学党の乱では反乱軍を率いて戦った中心的な人物です。平等な世の中を目指して農民や賤民たちのために戦い、朝鮮史でも英雄的な人... 2022.09.08 朝鮮の人々
国王 英祖(ヨンジョ)の史実と家系図。派閥争いを抑え全盛期を迎えた厳しい国王 朝鮮 英祖(ヨンジョ)は 李氏朝鮮王朝の題21代国王。19代国王粛宗と淑嬪崔氏の息子。正祖 イ・サンの祖父です。即位する前は延礽君(ヨニングン)と呼ばれていました。朝廷内の派閥争いも激しく、王族同士の争いもありました。その一方で、英祖の時代... 2022.08.11 2025.08.13 国王
国王 朝鮮 世宗・訓民正音を発明した朝鮮史上最高の王様 朝鮮 世宗は李氏朝鮮の第4代国王。ハングルの元になる訓民正音を開発しました。朝鮮史上最高の名君とされています。様々な知識や技術を取り入れ朝鮮の発展に尽くしました。晩年は病に悩まされ、政治の一部を世子に任せるようになりました。史実の世宗はどん... 2022.08.03 2025.06.08 国王
王妃・側室 貞顕王后(慈順大妃):中宗の母の家系図と生涯とは? 貞顕王后 尹氏は成宗の3番目の王妃。中宗の母です。「燕山君の養母として知られます。チャングム」の王の母です。中宗の時代には後宮の最高位に上り詰めました。貞顕王后の生涯を紹介します。 2022.06.19 2024.11.24 王妃・側室
王子 李芳幹(イバンガン)王子の乱で李芳遠に敗れて流罪 李芳幹(イ・バンガン)は李氏朝鮮の建国者 李成桂の四男。李成桂の息子の中では李芳遠とともに野心家だった人物。定宗の次の王座を狙いました。でも臣下から李芳遠ほどの支持は集められず。第二次王子の乱で李芳遠に敗れ、流罪になりました。反乱を起こした... 2022.06.15 2024.07.19 王子
王子 斉安大君 李琄 再婚を繰り返して私生活が乱れていた遊び人 斉安大君・李琄は李氏朝鮮の王族。8代国王・睿宗の次男。兄も幼くして他界していたので斉安大君が次の王になってもおかしくないのですが。父が他界したときに4歳だったことと病弱だったので王にはなれませんでした。そうした境遇が影響したかどうかはわかり... 2022.05.22 王子
重臣 金炳学(キムビョンハク)興宣大院君を支えた安東金氏の重臣 金炳学(キム・ビョンハク)は李氏朝鮮後期の両班で政治家。安東金氏ですが。一族の中では珍しく興宣大院君と親しかった人物です。興宣大院君が政権をとったあと安東金氏の多くは粛清されました。でも金炳学は粛清されずに残り、左議政や領議政などを務めまし... 2022.05.13 2024.07.13 重臣
王妃・側室 神貞王后 趙氏(趙大妃)豊壤趙氏の勢道政治を支えて朝鮮 高宗の即位を実現 神貞王后 趙氏(趙大妃) は李氏朝鮮後期の王族。23代国王 純祖の息子・孝明世子の妃です。神貞王后と呼ばれていますが王妃になったことはありません。夫の孝明世子が王にならずに死亡したからです。でも息子の李奐が王(憲宗)になり。大妃として影響力... 2022.05.12 2023.08.24 王妃・側室