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孝献端敬 皇后・董鄂(ドンゴ)氏は順治帝にもっとも愛された側室

清王妃側室 1.2 清の皇后妃嬪皇太后

孝献端敬 皇后・董鄂(ドンゴ)氏は清朝の第3代皇帝・順治帝じゅんちの側室。

端敬皇后ともいいます。

孝献端敬 皇后の称号は死後に与えられました。

生前の位は「賢妃」や「皇貴妃」です。

順治帝の後宮にも皇后や多くの側室がいました。

それでも董鄂(ドンゴ)氏は最も愛された女性でした。

史実の孝献端敬 皇后・董鄂(ドンゴ)氏はどんな人物だったのか紹介します。

 

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孝献端敬 皇后・董鄂(ドンゴ)氏 の史実

いつの時代の人?

生年月日:1639年
没年月日:1660年9月23日
享年:22

姓:董鄂(ドンゴ)氏
称号:孝献端敬 皇后(追尊)
地位: 賢妃→皇貴妃
父:鄂碩
母:不明
夫:順治帝(じゅんちてい)

兄弟:撫遠大将軍・費揚古

子供:栄親王

清王朝の第3代皇帝・順治帝の時代です。

日本では江戸時代になります。

おいたち

出身はヌルハチと同じ満州族

董鄂(ドンゴ)氏は、後金開国五大臣の一人 ホーホリ(何和礼)の子孫。ヌルハチと同じ建州女直(マンジュ)の部族。

祖先はギョロ(覚羅)氏を名乗り、現在の吉林省(中国の東端、北朝鮮との国境付近)の付近に住んでいたようです。ヌルハチの時代には遼東董鄂(現在の遼寧省桓仁満族自治県)に移住していました。

ヌルハチが建州女直を統一してマンジュグルン(マンジュ国)を建国するときにヌルハチに味方しました。

ホーホリ(何和礼)は アイシングルン(後金国)の建国にも貢献しました。

ヌルハチが八旗制を創設後は満洲正白旗人になりました。

フルングルン(西海女直)系のナラ氏と違い、董鄂(ドンゴ)氏は古くからヌルハチに味方していた譜代の家臣です。満洲八大姓のひとつで名門とされました。

でも、ジュシェン人(女直、女真)全体ではナラ氏のほうが家柄が上。ヌルハチが後金建国後はナラ系の妃が多くなりました。

入宮するまで

1561年。董鄂(ドンゴ)氏が生まれました。父は内大臣の鄂碩

記録などでは漢字を省略して中国風に「董氏」と書くこともあります。

その記録をみた現代の中国人が孝献端敬 皇后は漢民族だと勘違いすることもあります。中国ドラマはだいたい孝献端敬 皇后 董氏=漢民族の設定で作ってあることが多いです。

‎順治10年(1653年)。順治帝は皇后ボルジギト氏を廃して静妃に降格しました。静妃は皇太后ブムブタイの姪でしたが、順治帝は気に入らなかったようです。

順治11年(1654年)。孝恵章皇后ボルジギト氏が皇后になりました。孝恵章皇后もブムブタイの姪です。

入宮後の生活

異例の出世

董鄂氏は18歳のとき、皇帝に特に気に入られ側室になりました。

順治13年(1656年)。初夏に宮中に入りました。
8月25日に賢妃になりました。
9月28日には皇貴妃になりました。

これほどのスピード出世は珍しいです。

この時期の順治帝に皇后はいました。

でも順治帝は気位の高い孝恵章皇后が気に入りません。母親が決めたのも気に入らなかったのでしょう。

順治帝は董鄂氏を寵愛しました。

順治帝の後宮には他にも何人もの妃嬪がいました。康熙帝の生母・佟佳(トゥンギャ)氏もその一人。

でも順治帝に最も愛されたのは董鄂氏でした。

12月。董鄂皇貴妃の任命を祝い、任命式を盛大に行いました。恩赦も行われました。

清朝の歴史で側室の任命で恩赦が行われたのはこのときだけです。

董鄂皇貴妃は親孝行で目上の人には謙虚でした。目下の人には慈悲深い人でした。自分の地位が高いからと言って傲慢になることはありませんでした。

昭聖皇太后(ブムブタイ)には細心の注意を払って仕えました。皇太后と一緒に歩くときは侍女のように小さな足取りで歩きました。

 

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息子の早すぎる死

順治14年10月(1657年)。董鄂皇貴妃が男子を出産。順治帝の第四皇子でした。

順治帝は大変喜びました。諸王や大臣たちがお祝いの品をもって駆けつけました。

順治帝は長男がうまれたかのように盛大な式典を行いました。

ところが第四皇子は100日ほで死亡してしまいます。

董鄂皇貴妃はもともと体はあまり丈夫ではありませんでしたが、息子の死にショックをうけて病気がちになりました。

孝恵章皇后の廃位を阻止

順治15年(1658年)。正月、昭聖皇太后が病気になりました。このとき董鄂皇貴妃と順治帝は朝夕に看病しましたが。孝恵章皇后は看病しに来ませんでした。そこで順治帝は「親不孝者だ」という理由で孝恵章皇后を廃しようとしました。

順治帝の命令で大臣たちが皇后を廃するための議論をしていると聞き、董鄂皇貴妃は順治帝の所に行きました。そして「皇后を廃するなら私も生きるつもりはありません」といってひれ伏しました。

昭聖皇太后と孝恵章皇后の説得で廃后は中止になりました。

妃嬪たちを看病する

董鄂氏は自分はあまり丈夫ではありませんでしたが。妃嬪たちが病気になると看病に駆けつけました。

順治15年(1657年)。側室の佟佳氏が危篤状態になりました。

侍従達も看病していましたが、順治帝が看病をかわったので侍従達が休むことができました。そのとき董鄂皇貴妃も一緒になって看病を行いました。順治帝と話をしたり、順治帝が董鄂皇貴妃に本を読んで聞かせたりして5日間付き添いました。

董鄂皇貴妃は「佟佳氏が治らなかったらどうしよう」と涙ぐみました。その後、佟佳氏は回復しました。

ところが同じ年に悼妃が亡くなってしまいます。そのときも董鄂皇貴妃は「一番若いのになぜ突然死んでしまったのですか」と泣いていました。

このころ天然痘が流行っていました。妃嬪や子どもたちも何人かが犠牲になっています。その天然痘を生き延びたのが後の康煕帝です。

順治17年春(1660年)。永壽宮である妃嬪が病気で倒れ、董鄂皇貴妃が3日間看病しました。

ところが同じ年。董鄂皇貴妃が病気になってしまいます。

順治17年8月19日(1660年)。董鄂皇貴妃は承乾宮で亡くなりました。

順治帝は大変悲しみました。景運門の内外には5日間悲しみの声が聞こえました。

董鄂皇貴妃は臨終の間際「私の葬儀に金や宝物は必要ありません。質素にしてください」と言いました。

でも順治帝は董鄂氏を皇后の格式で埋葬しました。

 

入宮までの謎

董鄂(ドンゴ)氏は18歳で入宮。当時としては遅い宮中入りです。いきなり妃になり皇貴妃の待遇を与えられました。

そのため清朝滅亡後。ゴシップネタ好きの中国人の絶好の注目の的になり。さまざまな物語が作られました。

現代でもドラマ化されるときには正史ではなく、中華民国以降に作られたゴシップネタをもとにドラマ化されることが多いです。

ゴシップネタをいくつか紹介します。

秦淮の美人・董小宛 説

江南の秦淮(南京付近)には評判の美人が8人いました。

ちなみに順治帝~高規定時代の江南は明朝の残党がいた地域。清朝に反発する人も多いです。清朝の物語に江南や南京の人物が出てきたらとくに説明がなくても漢民族という意味です。

清軍の司令官・洪承疇は秦淮の八美人の評判を聞き、特に董小宛を好きになりました。そこで江南を攻略して董小宛を捕らえ自分の家に囲いました。ところが董小宛はいうことを聞きません。そこで洪承疇は順治2年(1645年)に董小宛を順治帝に献上しました。

董小宛が董妃になったという設定です。

董鄂氏とは関係のない 董小宛が物語に登場するのはふたりとも「董」の字が付いているからでしょう。清朝時代も「董鄂氏」と書くところを「董氏」と省略することはありました。でも董鄂氏は漢民族ではありません。満洲人です。

中国の作家や歴史家は物語を面白くするため。そして清朝を意図的に貶めるため。荒唐無稽な物語を作ります。清朝にはとくに意図的に歪められた歴史が多いです。

順治帝は異母弟の妻を横取り?

董鄂(ドンゴ)氏はかつて、清朝2代・崇徳帝(ホンタイジ)の十一皇子・襄親王ボムボゴール(博穆博果爾)の妻だった。それを順治帝が横取りした。という物語

襄親王は実在した皇子。順治帝の異母弟です。

でも襄親王の福普(正妻)は博爾濟吉特(ボルジギト)氏。董鄂(ドンゴ)氏ではありません。側福普もいません。

襄親王は順治13年(1656年)に死去。享年15歳。

この説は今でも人気があります。ドラマ化されるときはたいていこの設定を使います。

異母弟の襄親王は若くして死亡したのでドラマにも使いやすいのでしょう。

アダム・シャール説

明朝末期から康煕帝初期に布教活動していたイエズス会宣教師アダム・シャールの回想には面白い記事があります。

董鄂氏はかつて位の高い軍人の妻だった。財力のある彼女は宮中に出入りしていた。そして彼女は福臨(フーリン=順治帝)と不倫した。夫の軍人が妻を叱ると、彼は福臨に叩かれ怒りのあまり自殺した。

というもの。

宣教師の記録は信じる人が多いのですが。どうも非現実的な感じもします。

18歳で入宮して急激に出世した董鄂(ドンゴ)氏には妬みも多く、様々な噂話が飛び交っていたかも知れません。そのうわさ話を宣教師が聞いたのかも知れません。

順治帝の死後、清朝国内でもキリスト教弾圧が始まり。アダム・シャールは死亡します。宣教師はキリスト教を弾圧する人たちをわざと悪く書くので、董鄂(ドンゴ)氏の話も脚色されてる可能性もあります。

現代では、この高位の軍人が若死にした襄親王と結びついた話が人気のようです。

確かに謎が多い人物ですから知られてない事実があったのかも知れません。

テレビドラマのドンゴ氏

 

多情江山  2015年、中国 演:侯夢瑤 役名:董小宛
 端敬皇后 董氏=董小宛 説を採用したドラマ。
 台湾では「董鄂妃傳」のタイトルで放送。

大玉兒傳奇 2015年、中国 演:孫婉婷 役名:若兮、宛雲
 ブムブタイ(孝荘文皇后)がヒロインなので端敬皇后は脇役。

皇帝の恋  2016年、中国 役名:端敬皇后 
 先帝が愛した側室ということで名前だけの登場。

長安諾   2020年、中国 演:楊超越 役名:董若萱 
 架空の王朝の話ですが、劇中の董若萱は端敬皇后・董鄂氏をモデルにしています。

 

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