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敦粛皇貴妃 年氏は雍正帝に最も愛された女性

4.6 清・金

敦粛皇貴妃(とんしゅくこうきひ)年氏は清の雍正帝の側室。

中国ドラマ「花散る宮廷の女たち~愛と裏切りの生涯~」では「年姝媛(ねん・しゅえん)」という名前で登場します。

「宮廷の諍い女」では「華妃・年世蘭」と呼ばれています。
歴史上の年氏は華妃の名は与えられていません。ドラマオリジナルです。

敦粛皇貴妃 年氏の本名はわかっていません。そのためドラマによって名前が変わります。

史実の敦粛皇貴妃はどんな人物だったのか紹介します。

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敦粛皇貴妃の史実

いつの時代の人?

生年月日:1690年代?
没年月日:1725年12月27日

姓:年(ねん)氏
名:不明
諡(おくりな):敦粛(とんしゅく)
地位:側福晋→貴妃→皇貴妃
父:年遐齢
母:
兄:年羹業(ねん こうぎょう)

夫:雍正帝

子供:
皇四女 (1715年~1717年)
福宜 (1720年~1721年)
福恵 (1721年~1728年)
福沛 (1723年~1723年)

彼女は清朝の第5代皇帝・雍正帝の側室です。

日本では江戸時代になります。

おいたち

敦粛皇貴妃は漢民族の年氏出身。年氏は満州八旗・鑲黄旗の配下にありました。

父は清の役人で巡撫(じゅんぶ)を務めた年遐齢。巡撫とは中央から地方に派遣される知事です。

1709年(康煕48年)。年一族は雍親王の配下になりました。

胤禛の側室になる

1711年(康煕50年)ごろ。雍親王・胤禛(いんしん)に嫁ぎ側福晋(側室)になりました。

1715年(康煕54年)。娘を出産しました。雍親王にとっては4女になります。

1720年(康煕59年)。福宜を出産しましたが翌年に死亡しました。

1721年(康煕60年)。福恵を出産。

胤禛が皇帝に即位する

1723年(雍正元年)。胤禛(いんしん)が即位。第5代皇帝・雍正帝となりました。

年氏は貴妃になりました。

1723年(雍正元年)。福沛を出産しましたがその年に死亡しました。

1725年(雍正3年)。年氏は病気になります。

1725年12月19日(雍正3年11月15日)。雍正帝が年氏のことを気にかけて皇貴妃にしました。本来は皇貴妃は皇后の候補に与えられる称号です。

雍正帝の皇后はすでにいます。

皇貴妃は死期が近い年氏に与えられた名誉称号だったのでしょう。

1725年12月27日(雍正3年11月23日)。

皇貴妃年氏は病死しました。

ドラマ「花散る宮廷の女たち」では難産で死亡したことになっています。

同じ月・兄の年羹業も失脚します。

兄妹がほとんど同じ時期に死亡しているのは普通ではありません。もしかすると何らかの陰謀に巻き込まれたのかもしれません。

雍正帝から高い評価を受けていた敦粛皇貴妃

敦粛皇貴妃は雍正帝から寵愛をうけました。雍正帝には孝敬憲皇后がいました。しかし敦粛皇貴妃は皇后以上に愛された女性でした。

雍正帝は敦粛皇貴妃に対して「優しく慎重な女性だ」と評価していました。敦粛皇貴妃のために厳粛な葬儀が行われました。雍正帝が彼女のために行った葬儀は後に清の皇貴妃の葬儀のお手本になります。

敦粛皇貴妃には多くの子いましたが、ほとんどが早くに死亡しています。

雍正帝が最も愛した王子と言われる福恵も8歳で病死しました。 

ドラマの敦粛皇貴妃 年氏

宮廷の諍い女 2011年、中国、演:蒋欣(ジャン・シン)
劇中では「年世蘭」

花散る宮廷の女たち 2017年、中国、演:李莎旻子(リー・シャゼン)
劇中では「年姝媛」

「花散る宮廷の女たち」と「宮廷の諍(いさかい)い女」はほぼ同じ時代を扱ったドラマ。どちらも皇帝をめぐる女性の争いを描いた宮廷ドラマです。

「花散る宮廷の女たち」は「年姝媛」こと年氏が主人公。皇子たちに愛されるヒロインです。

「宮廷の諍(いさかい)い女」の劇中では甄嬛(後の孝聖憲皇后)がヒロイン。年氏は「華妃」と呼ばれます。兄の権力を利用してライバルたちを容赦なく潰そうとする悪役として登場します。

同じ人々を描いているのに、ヒロインと悪役が逆になっているのです。両方を見比べると面白いかもしれません。

4.6 清・金
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中国韓国歴史ドラマの史実

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