ハルジョル(敏恵恭和元妃)はホンタイジが最も愛したかもしれない妃

大清1.8 清・金

ハルジョル(海蘭珠)は後金のホンタイジの側室。敏恵恭和元妃ともいいます。

モンゴル・ホルチン部出身の妃です。

歴史上は順治帝を生んだブムブタイ(孝荘文皇后)やホンタイジの正妻ジェルジェル(孝端文皇后)の方が有名です。でもホンタイジが最も愛した女性はハルジョルだったかもしれません。

史実のハルジョルはどのような人物だったのか紹介します。

ハルジョルの史実

いつの時代の人?

生年月日:1609年
没年月日:1641年10月22日

姓 :ボルジギト(博爾済吉特)氏
名称:ハルジョル(海蘭珠、Harjol)

諡号:敏恵恭和元妃
地位:側福晋→東宮福晋→東大福晋(宸妃)→敏惠恭和元妃

国:大清

父:ジャイサン(和碩忠親王・寨桑)
母:ボリ(和碩忠親王賢妃・博禮)
夫:ホンタイジ(清朝第2代皇帝・皇太極)

子供:第八皇子(生後1年以内に死亡)

おいたち

1609年。モンゴルのホルチン部で生まれました。

本名はハルジョル(海蘭珠)。満洲語で 翡翠(ヒスイ)を意味します。

父はモンゴル・ホルチン部の首領ジャイサン(寨桑)。

母はボリ(博禮)

1634年。アイシン国(後金)のヌルハチの第8王子ホンタイジの側福晋(側室)になりました。

遅い結婚

当時の満洲では女性は10代半ばで結婚する人が多かったようです。数え歳で26歳での輿入れは当時としてはかなり遅いです。

そこでハルジョルは再婚だったと考える人もいます。

妹のブムムタイよりも後にホンタイジの後宮に来ました。妹のブムブタイは1625年に13歳でホンタイジの後宮に来ました。そのときにはハルジョルは他の人と結婚していたのでしょう。

ボルジギト家が独占

ホンタイジの大福晋(正室)はジェルジェル。ハルジョルの叔母でした。
すでに妹のブムムタイが側福晋(側室)になっていました。

ホンタイジは3人もボルジギト家から妃嬪を迎えていました。

1635年。東宮福晋(第1側室)のジャルート・ボルジギト氏を離縁。ハルジョルが東宮福晋になりました。

中宮福晋(皇后)のジェルジェルの次に高い地位です。西宮福晋(第2側室)はブムブタイだったので、ホンタイジの後宮の上位三人がすべてホルチン・ボルジギト家出身者です。

ホルチン部はモンゴルの中で最初に後金に味方した部族です。ホンタイジはホルチン部をかなり重要だと考えていたようです。

事情はどうあれ。ホンタイジはハルジョルを大変気に入りました。

1636年。ホンタイジは後金のハン(君主)になりました。

ハルジョルには宸妃の称号が与えられ、関雎宮で暮らしました。

ホンタイジの後宮には5人の妃がいました。叔母で皇后のジェルジェルに次ぐ2番めの地位でした。

1637年。第八皇子を出産。ところが皇子は1638年に死亡しました。

1641年9月。ハルジョルは病になり寝込んでしまいます。

ホンタイジは戦場でその知らせを聞くと10日かけて戻ってきました。ところが1641年10月22日。ホンタイジが到着する前にハルジョルは死去しました。享年33。

ホンタイジは嘆き悲しんで夜も眠れなかったといいます。

死後、敏恵恭和元妃の諡が与えられました。

ホンタイジはハルジョルの死後「国主哈屯(ウルス・イエン・カトゥン)という呼び名を使いました。「すべての側室の上にたつ存在」という意味です。

これは皇后に匹敵する地位の高い女性に使う言葉です。

その後、正式に「敏惠恭和元妃」という称号が与えられました。満洲語の称号では地位の高い配偶者を意味する「イェケ・カトゥン」という言葉が入っていました。

ハルジョルが皇后になったわけではないようですが。ホンタイジの心の中ではとても大切な人だったようです。

ドラマ

・孤高の皇妃 2017年、中国 演:唐艺昕(タン・イーシン)
・王家の愛 2018年、中国、演:(マー・ダンニー)

ハルジョルがホンタイジのもとに来たのが当時としては遅かったので再婚にしているドラマもあります。前半生はドラマごとのオリジナル設定にしていることが多いです。

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