中国ドラマ「永楽帝~大明天下の輝き~」の第41・42・43話のネタバレとあらすじ感想の紹介記事です。
明朝の初期を舞台に明朝最大の領土を獲得した第3代皇帝 永楽帝のドラマ。
即位して間もない建文帝は次々に藩を削減。追い詰められた朱棣はついに反乱を起こしました。朱棣率いる燕軍と朝廷軍の戦いは3年以上続きました。
燕軍は勝っているものの、朝廷軍は簡単には崩れません。これ以上戦いが長引くのは避けたい朱棣は直接南京を攻撃しようと決意。軍を南に進軍。
ついに長江を渡り首都・南京城を陥落させました。徐允恭は最後まで戦いましたが。錯乱した建文帝は徐増寿を殺してしまいます。
誰が敵か味方かわからなくなり混乱が続く中、建文帝は行方不明に。
長かった靖難の役もようやく終わりが近づいてきました。いよいよ朱棣が皇帝になる日が近づいてきましたね。
番組情報
原題:山河月明
別名:江山紀
英題:The Imperial Age
2022年、中国
全45話
主要人物
・朱棣(しゅ・てい)/永楽帝/燕王
演:馮紹峰(ウィリアム・フォン)
子役:成毅
・徐妙雲(じょ・みょううん)/仁孝文皇后
演:穎児(イン・アル)
子役:雨婷児
・朱允炆(しゅ・いんぶん)/建文帝
演:陳喆倫
・朱高熾(しゅ・こうし)/皇太子
演:高宇航
・朱瞻基(しゅ・せんき)
張世舉
第41話 永楽の光と影
朱棣が皇帝になり粛清が始まる
洪武35年(1402年)。燕軍が南京城を陥落させ。建文帝 朱允炆は行方不明となりました。
都に入った朱棣に対し李景隆は即位するよう提案します。でも朱棣は反逆の罪を着せられるのを避けるため、すぐには同意しません。朱棣は黄子澄たちを皇帝を惑わした罪で逮捕を命じるのでした。
何年も続いた戦いでしたが、最後はあっけないものでした。建文帝も行方不明になってしまいましたしね。臣下たちは逃げる者、朱棣に従う者、朱棣を反逆者と呼び従わない者様々です。藩王削減を建文帝に熱心に進め靖難の役の原因を作った斉泰、黄子澄たちは容赦なく処刑。
方孝孺たちは藩王削減に賛成していたわけではありませんが、建文帝に従っているので朱棣に従うつもりはありません。朱棣に即位の勅書を書くよう命じられましたが「燕王篡逆」と書いて処刑されます。
一方、夏原吉は朱棣を新たな君主と認め彼に仕えることにしました。これは考え方の違いなので誰がいい悪いとはいえませんね。
鉄鉉と徐允恭たちの処分
朱棣は鉄鉉二君に仕えることは出来ないと朱棣に仕えるのを拒否。朱棣は彼の命を助け、海南に追放するつもりだったが、鉄鉉は既に死を望んでおり、朱棣は彼の願いを聞き入れて処刑を命じた。急ぎ駆けつけた道衍は、結局一歩遅れてしまった。
また逆臣のリストに徐允恭の名もあり。朱棣は彼を殺すつもりはなく屋敷で幽閉させました。しましすでに弟一人を失っている徐妙雲は嘆き悲しみます。
朱棣はこんなに優しくないでしょ。史実の朱棣は鉄鉉を赦すつもりはまったくなく、残虐な殺し方で処刑しました。
弟が反逆者になってしまった徐妙雲は気の毒ですね。
朱棣が皇帝に即位。年号は「永楽」になりました。永楽帝の時代の始まりですが、悲しいスタートになりましたね。
第42話 財政の再建
混乱する北元と財政が苦しい明
バヤンテムル(伯顔帖木児)は今の可汗に不満を持ち、ペンヤシュリー(本雅朱里=オルジェイ・テムル)の捜索を開始。明の国境付近にも北元の兵が姿を表すようになりました。
明では楊栄が江南の水害で税収が減り、この時期に大規模な出兵をすべきではないと提言。永楽帝 朱棣は彼の意見を受け入れて北元に使者を送って和親をはかるとともに、都司に田畑の開拓や備蓄を命じました。
この時期、北元はハーン(可汗)がころころ変わり混乱。配下の部族が独立したりしてさらに弱体化していました。大元が衰退した理由の一つが皇位継承の混乱でした。いつになっても変わりません。皇位継承でよく争いが起こるのが遊牧民王朝が長続きしない理由です。
財政再建と鄭和の大航海
夏元吉(か げんきつ)が江南から戻ってきました。上海の学生 葉宗行(よう そうこう)が考えた治水法を永楽帝に説明。さらに夏元吉は財政再建のためのいくつかのアイデアを提案。永楽帝は喜びます。
一方、永楽帝は大型船を建造させ。馬和に鄭の姓を与え、海外諸国に朝貢させるための交渉を命じました。鄭和は永楽3年から大規模な船団を率いて航海に出発します。
建国以来の長引く戦争で疲弊した国を立て直すは大きな問題です。その一方で永楽帝の野望はさらに膨らみ。海外諸国にも目を向けていました。中国史でも有名な「鄭和の大航海です」。目的は海の向こうの国も朝貢国にすること。永楽帝はモンゴル帝国に追いつき追い越すのを目標にしていました。クビライ・カーンのようになりたかったようです。
第43話 安らかなる別れ
病気が悪化する徐妙雲
皇后 徐妙雲は体調を崩し、日に日に悪くなっていました。徐妙雲は永楽帝 朱棣と孫の朱瞻基について話した後、昏睡状態になってしまいます。永楽帝は盛太医を名医と信じていましたが、盛太医でもどうにもできないほど悪化。徐妙雲の命が残り少ないと知った永楽帝は悲しんで恩赦や祈祷を行わせました。
妙雲は長年の苦労もありますし、夫の挙兵で弟たちが死亡したり幽閉されたりと気苦労が絶えません。
弟・徐允恭との別れ徐妙雲の最期
そのとき屋敷に幽閉されていた徐允恭が死亡。徐妙雲は病の身をおして弟の葬儀に出席しました。でも妹の徐妙錦は朱棣のせいで兄たちが死んだと責め立てました。徐妙錦は弟が助かることを望んでいましたがそれは実現せず悲しみに打ちひしがれて倒れてしまいます。
そして徐妙錦自身の最期もせまっていたのでした。
妙錦がついに亡くなってしまいました。苦労の連続で最後は弟二人を失いました。実際、徐皇后は野心の大きな夫のせいで大変だったと思います。史実をもとにしたドラマだとどうしても悲しい展開になってしまうことも多いです。実際にはもっと苦労していると思いますが現実は厳しいですね。
・史実の徐皇后(仁孝皇后)についてはこちらで詳しく紹介しています。
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