韓国ドラマ「太王四神記」にはファヌン(桓雄)というキャラクターが登場します。
このドラマではペ・ヨンジュンは主人公のタムドクとファヌンの二役を演じています。
ファヌン(桓雄)はドラマオリジナルの神ではなくて、高麗時代に書かれた「三国遺事」という書物に登場します。
桓雄はいわゆる檀君神話に出てくる天の神・桓因(帝釈天の別名)の庶子。
桓雄も檀君も神話なので歴史上は確認されていません。
神話の内容と桓雄とはどういう神様なのか紹介します。
檀君王倹の神話(三国遺事より)
三国遺事に書かれている内容は以下の通り。
古記によると。昔、桓因(帝釈天)の庶子・桓雄はよく天下を見下ろしては人間社会を欲しがっていました。そこで父は三つの高い山から太伯を選び、天符印三個を持たせて派遣しました。
桓雄は三千の歩兵を率いて太伯の山頂(妙香山)の神檀樹の下に降り立ちました。この場所を神市と名付け。桓雄天王と名乗りました。
桓雄は風の神、雨の神、雲の神を率いて人間界を統治して人々を導きました。
あるとき一頭の熊と一頭の虎が同じ穴に住んでいて「人になりたい」と桓雄に祈りました。
桓雄は霊力のある艾1束と蒜20個を与え「お前たちはこれを食べ100日間、太陽を見なければ人になれる」と言いました。熊は21日で女になりました。でも虎は我慢できずに人にはなれませんでした。
ところが熊女は結婚相手がなく。檀樹の下に来ては子供が欲しいと願いました。すると桓雄が人に変身して熊女と結婚。子ができました。それが檀君王倹です。
檀君王倹は堯の即位から50年後。平壤城を都に決めて国の名を「朝鮮」としました。やがて都を白岳山の阿斯達に移し、その国は1500年続いたといいます。
周の武王が即位した年。箕子を朝鮮の王に任命。檀君は阿斯達に隠れ、山の神になりました。享年1908歳。
出典:三国遺事
補足説明
古記:どの文献なのか不明。
天符印:天の神から与えられたハンコ(印)。支配者の証明。玉璽のこと。
艾:ヨモギ
蒜:ニンニク又は野蒜(ノビル)。
妙香山:現在の北朝鮮中部にある山。
堯:中国神話の君主。
周の武王が即位したのは紀元前1046年頃。
箕子:古代中国の殷王朝の王族。朝鮮半島北部に渡り箕子朝鮮を建国。
三国遺事とは何?
檀君神話が載ってる三国遺事(さんごくいじ)とは高麗時代の1280年代に高僧の一然が編纂した書物。
高麗時代の1145年に新羅・高句麗・百済の歴史をまとめた「三国史記」が完成。
当時は高麗が金に服従した後。日本では平安時代末期です。
でも僧侶の一然は国の役人で儒学者の金富軾ががまとめた「三国史記」には不満でした。
その歴史書に載っていない話を集めたのが「三国遺事」です。完成したのは1280年代。当時は高麗が元に服従、南宋が滅亡した後。日本では鎌倉時代。ニ度目の元寇が終わったころかほぼ同時期。
「日本書紀」が完成したのが720年ですから日本書紀のほうが先に完成しています。
一然は「日本帝記」を読める立場にあって「三国遺事」を書く時に利用していました。帝紀は現存していませんが「日本書紀」や「古事記」の元になった資料といわれます。
桓因は帝釈天
桓雄の父・桓因は帝釈天。一然も注釈でそう書いています。
帝釈天は仏教の守護神で天部(神)の王。
インドの神・インドラが中国に伝わって発音を漢字に置き換えたのが「釋提桓因陀羅」。省略して「釋提桓因」。さらに省略したのが「桓因」です。
朝鮮半島に仏教が伝わったのが西暦372年。高句麗の小獣林王の時代。小獣林王は19代高句麗国王・広開土王の伯父です。
桓雄は桓因(帝釈天)の庶子
檀君神話では桓雄は桓因(帝釈天)の「庶子」です。
嫡子ではありません。
なぜわざわざ庶子にしたのかはわかりません。
桓雄は地上世界が欲しくて3000の歩兵(徒)を連れてやって来ます。
ハンコで王様
このとき桓因(帝釈天)が桓雄に与えた「天符印」とは「天が与えたハンコ」。桓雄が地上の支配者と認められた証です。玉璽(ぎょくじ)のこと。
中華圏では印や璽は君主の証なので東アジアの神話では天から印(璽)をもらって王になる話が出てきます。例えば周書には皇帝の祖先が天から3つの璽をもらった話が載っています。
桓雄は神々の王・帝釈天の子だけあって風の神(原文では風伯)、雨の神(雨師)、雲の神(雲師)が配下にいます。天候を操っていたのでしょう。さらに人間に穀(穀物)や医療を広め、様々な法律や刑罰を作り人間界の360あまりのことを司って人々を導いたといわれます。
人になりたがる熊と虎
その後、なぜか洞窟に住んで人間になりたがっている熊と虎に人間になる方法を教えます。
虎は失敗しましたが。熊は100日でできるというところをなんと21日で成功。人間の女性になります。超時短です「100日ではなかったのか?」とは考えないでおきましょう。
その熊から変身した女性と桓雄との間に生まれたのが檀君王倹(だんくん おうけん)です。
北アジアから満洲地方の遊牧・狩猟民族には祖先が獣という話がよくあります。ツングース系部族にも祖先が熊や虎だったという話があります。桓雄が出会ったのはそうした部族かもしれません。
朝鮮王・王倹誕生
檀君王倹は「朝鮮」という国を作り王になります。
王倹という王は歴史上は実在しません。神話の出来事です。でも三国史記には高句麗の平壌に王倹という仙人がいたと書かれています。その仙人の名前からとっているのでしょう。
その後、桓雄や熊女がどうなったのかはわかりません。
高句麗建国神話のアレンジ?
桓因(帝釈天)は天帝の仏教的表現とみることもできます。天帝は中華圏で信じられている天空の神です。
高句麗には檀君神話に似た話があります。
三国史記(1145年完成)によると。
高句麗の建国者・東明聖王 朱蒙。
扶余出身。
父:天帝の子を名乗る解慕漱。
柳花を誘った後、太陽の光になって接触。
母:河伯(河の神)の娘・柳花
卵から生まれた。
となっています。
解慕漱は三国史記では北夫余に降りてきて北夫余の王になりました。その後、東夫余の金蛙王の女・柳花に手を出しています。
もともと高句麗建国神話は夫余の神話をもとに作ってあるのです。
夫余神話では後に夫余王になる東明の母は北国の王の侍女。東明は命を狙われ、国を逃れて自分の国を作りました。そういう筋書きなら庶子なのはわかります。でも桓雄が東明王に合わせる必要があったのか不思議です。
桓因(帝釈天)と天帝が同じなら。
桓雄と解慕漱の立場は同じ。
国の始祖・檀君と朱蒙の立場も重なります。
檀樹は仏教にとって重要な木
檀樹とは栴檀(せんだん)の木のこと。もともとはインドや東南アジアに自生する香木です。
栴檀は仏教では重要。仏教の経典でもインドの牛頭山に生える白檀が紹介されています。白檀は牛頭栴檀とも呼ばれ重要な木でした。
朝鮮半島には香木の栴檀はなく、薬用や防虫効果のある別の木が栴檀と呼ばれます。
高麗時代、妙香山は栴檀の生える場所と信じられていていました。仏教の栴檀信仰と結びついて妙香山は聖地になっていました。
檀君とは檀の君主という意味です。
つまり檀君神話は扶余・高句麗神話をもとにアジア地域の様々な信仰や神話・伝承を組み合わせて作ったのだと考えられています。
お寺の由来話?
檀君神話は13世紀の高麗で突然出てくる話。正史の「三国史記」や中国の歴史書には載ってません。「三国遺事」より古い記録には「檀君」はでてきません。
この神話の特徴は桓因(帝釈天)、桓雄天王、檀樹など仏教的な言葉が多いこと。
すでに紹介した通り物語の舞台になっている妙香山は高麗時代にはいくつもの寺院がありました。妙香山は高麗時代には仏教が栄えた場所です。
しかも妙香山はかつての高句麗領にあります。
これは想像になりますが。
妙香山の寺院が高句麗神話や様々な話をもとに古い国を創造。寺院のある場所が古代の神が降り立った場所にして由緒をアピール。自分たちの権威を高め信仰を集めようとしたのかもしれません。
当時の高麗は女真の金やモンゴルに苦しめられていた時代。神話を創作して心の拠り所にしようとしたのかもしれません。
でも儒学者や役人たちはそんなのは嘘だと思っていたのでしょう。
一然は妙香山の人ではないです。でも一然は僧侶ですからそういう話があるのを知って「三国遺事」に載せたのかもしれません。
享年1908歳
そう考えると檀君の1908歳という異常な長寿も納得いきます。
こんなに長いのは始まりを中国神話の君主・堯に合わせたから。(でも神の子・檀君は中国に遠慮して堯の50年後にずらしています)。
そして終わりを漢文史料にある箕子朝鮮の直前まで引っ張ったので1908年も生きたことになってしまいました。
お寺としては伝統や由緒があると主張できればよかったのでしょう。
正史には載らなかった神話
もし檀君が民族の正当な始祖なら「三国史記」に載っているはずです。
なにしろ「三国史記」は王命で編纂した「正史」です。正当な由来があるのに載せてなかったら厳罰ものです。
でも宗教勢力の作った物語なら正史に書いてないのも当然かも知れません。
一然は高僧ですが「三国遺事」は個人の書いた本です。王命で作ったのではありません。高麗の朝廷でも信じる者はあまりいなかったのでしょう。
ところが民族の祖先の物語は需要があるらしく、その後の歴史の中で事あるごとに復活。根強い人気があるのです。
太王四神記に登場するチュシンの国についてはこちらで紹介しています。
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