恭嬪金氏・宣祖の寵愛をうけた光海君の母

恭嬪金氏(ゴンビンキムシ)は光海君と臨海君の母親です。

仁嬪金氏とともに宣祖の寵愛を争いました。しかし光海君を産んで2年後に死亡したため、ドラマに登場することはあまりありません。

史実の恭嬪金氏はどんな人物だったのか紹介します。

恭嬪金氏(ゴンビンキムシ)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1553年
没年月日:1577年

名前:金
称号:恭嬪、恭聖王后
父:金希哲(キム・チヒョル)
母:
夫:宣祖

子供:臨海君光海君

彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に14代宣祖の側室です。

日本では戦国時代の人になります。

おいたち

1553年。司圃署の役人・金希哲(キム・チヒョル)の娘として産まれました。 司圃署は宮中の菜園・園芸を管理する部署。金希哲は正6品相当の低級の役人です。

いつかはわかりませんが、宣祖の側室になりました。

1574年。淑儀(従二品)だったときに臨海君を出産しました。男児を出産したことで貴人(従1品)になりました。

恭嬪は宣祖の寵愛を独り占めしていました。他の側室達はなかなか宣祖に会うことができません。そのため他の側室との仲は悪かったようです。

1575年。光海君を出産。恭嬪(正一品)になりました。

光海君を産んだ後、恭嬪金氏は病気になりました。

あるとき恭嬪金氏は危篤状態になったことがありました。そのときは回復しましたが、恭嬪金氏は誰かが自分を呪っていると騒ぎ立てました。宣祖に対しても「誰が犯人か調べてくれないから私は死ぬのだ」と訴えると、宣祖は他の側室たちに冷たくするようになりました。

しかし側室たちに冷たい宣祖に対して昭容金氏(後の仁嬪金氏)は手厚くもてなしました。もともと恭嬪金氏と仲の悪かった昭容金氏は宣祖に対して恭嬪金氏の悪口を吹き込みます。宣祖の心は、気が強くわがままな恭嬪金氏よりも優しくしてくれる昭容金氏に傾いていきました。

やがて宣祖は病気になった恭嬪金氏を気の毒と思う気持ちが薄れ、昭容金氏を寵愛するようになります。昭容金氏ややがて仁嬪金氏となりますが、宣祖の寵愛は恭嬪金氏のときよりも深かったといわれます。

1577年(宣祖10年)。光海君を産んで2年後に恭嬪金氏は病気で死亡しました。

父の金希哲(キム・チヒョル)は壬辰倭乱(朝鮮出兵)のときに義勇兵として戦い戦死しました。そのため光海君の後ろ盾となる外戚がいなくなりました。このことも光海君の立場が不安定だった理由の一つになります。

王妃になった光海君の母

恭嬪金氏の息子・光海君が王になりました。光海君は自分の母に「恭聖王后」という称号を贈りました。墓も王妃にふさわしい立派なものに作り変えました。

しかし1623年に光海君が廃位になると恭聖王后の称号は取り消されました。彼女の墓も格下げになりました。しかし墓の外観はそのままで王族並みの墓が残っています。

テレビドラマ

許浚・宮廷医官への道 MBC 1999年 演:パク・チュミ
許浚・伝説の心医 MBC 2013年 演:チャン・チウン
火の女神ジョンイ MBC 2013年 演:ユ・シンエ


PAGE TOP