巴陵公主(比景公主)夫や妹夫妻とともに謀反を計画して賜死

4 隋・唐

 

巴陵公主は唐の太宗・李世民の娘。

比景公主ともいいます。

3代 高宗の時代。

夫の柴令武や妹の高陽公主夫妻とともに李元景を担いで謀反を起こそうとした、という罪で逮捕され。賜死になってしまいます。

史実の巴陵公主はどんな人物だったのか紹介します。

 

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巴陵公主の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:653年

姓:李
名:不明
称号:巴陵公主(はりょうこうしゅ)、比景公主(ひけいこうしゅ)
父:李世民
母:
夫:柴令武

彼女は唐の皇帝・李世民の七女。

日本では飛鳥時代になります。

おいたち

生年は不明。

父は唐の2代皇帝太宗・李世民。

母は不明。

巴陵公主の称号を与えられました。

柴令武と結婚。

柴令武(さい・れいぶ)は唐朝の中国統一に功績のあった凌煙閣二十四功臣 柴紹(さい・しょう)の次男。

柴令武の母は平陽昭公主。唐の初代皇帝 高祖・李淵(り・えん)の娘です。

巴陵公主は伯母の息子(いとこ)と結婚したわけです。

夫の柴令武は李泰の腹心

夫の柴令武は房遺愛(ぼう・いあい)とともに、李泰(り・たい)の腹心でした。

房遺愛の妻は李世民の十七女・高陽公主。つまり巴陵公主の異母妹です。高陽公主は夫の兄・房遺直と仲が悪く財産を巡って争っていました。さらに高陽公主は李世民とも仲が悪く李世民が死去したときも悲しみませんでした。

夫が同じ主君に仕える者同士、妻は姉妹だったわけです。

李泰は李世民の四男で皇太子 李承乾(り・しょうけん)と次の皇位を争っていました。

巴陵公主としてはここで李泰が皇太子→皇帝になれば夫も出世するし自分の地位も安泰と思ったことでしょう。

ところが、李泰は李承乾から皇太子の座を引きずり下ろすことに成功しますが。李泰も李世民の信頼を失って皇太子ににはなれませんでした。

皇太子になったのは重臣の長孫無忌(ちょうそん・むき)が推薦する 李治(り・じ)でした。

謀反を計画

649年。太宗・李世民が死去。李治が3代皇帝・高宗になりました。

652年(永徽3年)。李泰が死去。

柴令武、巴陵公主、房遺愛(ぼう・いあい)は 薛万徹(せつ・ばんてつ)とともに、荊王 李元景(り・げんけい)を担いで謀反を計画しました。

高陽公主はこの時期になっても夫の兄・房遺直とも仲が悪く、お互いに訴えを起こしていました。

重臣の長孫無忌(ちょうそん・むき)が房遺直の訴えをとりあげて調べている最中に房遺愛と高陽公主の謀反の計画が発覚、逮捕されました。

巴陵公主と柴令武も逮捕されてしまいます。

653年(永徽4年)2月。巴陵公主と李元景・李恪・高陽公主は賜死を命じらます。房遺愛・薛万徹・柴令武は斬首されました。

死後。「比景公主」の称号に変えられました。

李恪は直接謀反には加わってませんが、房遺愛が加担すると自白させられてしまいました。李治の兄・李恪が邪魔になった長孫無忌の思惑がはたらいています。

巴陵公主夫妻と高陽公主夫妻が日頃からどの程度仲が良かったのか?なぜ反乱を計画したのかは書かれていません。

房遺愛と薛万徹は親しかったですし。房遺愛と柴令武はともに李泰の腹心だった仲。巴陵公主と高陽公主は姉妹。これらの人物が結びついても不思議はありません。

李泰の死の直後でしたから、李泰の死と関係ありそうですね。頼るものを失った房遺愛と柴令武が李元景に接近したのかも知れません。

一方の長孫無忌はようやく始まった李治の治世を安泰にしたいですから。李治の皇位を脅かしそうな人物は排除したいという思惑もあったのかも知れません。

 

ドラマ

 

大唐女法医 2020年、中国 演:史卿妍

ドラマの巴陵公主はまだ未婚。父親の李世民からは愛されています。
蘇伏が好きで薬を飲ませて拉致してしまいます。父の李世民にばれて禁足(外出禁止)になってしまいます。

史実にあった謀反・賜死は描かれません。

 

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