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ヘチ 王座への道の実話・ドラマはどこまで本当?史実・派閥・出自を徹底解説

韓国ドラマ『ヘチ 王座への道』は、朝鮮王朝21代王・英祖(ヨンジョ/延礽君イ・グム)の若き日を描いた時代劇です。

王や王子たち派閥対立などの枠組みは実際の歴史に基づいていますが、ドラマとしての面白さを優先するために、事件の内容や人間関係はかなり大胆に脚色されています。

大まかに言うと『ヘチ 王座への道』は

「史実を土台にした作り話」
割合でいえば史実3割・脚色7割くらい

と考えるとちょうどいいバランスです。

この記事では、

  • どこまでが本当にあったことなのか

  • どこからがドラマオリジナルの脚色なのか

をわかりやすく紹介していきます。

 

この記事で分かること

  • 英祖(延礽君)の出自はどこまで卑しいとされたのか、その“貶められ方”の実像
  • 少論・老論の史実での立場と、ドラマとの大きなズレ
  • ミルプングン(密豊君)が本当は“後継者争いの本命”ではなく反乱で担がれた人物だったこと
  • 『ヘチ』がどの要素を強調し、どこを単純化しているか

 

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『ヘチ 王座への道』は史実の骨組みに脚色を盛った歴史ドラマ

まず押さえておきたいのは、

  • 王の系譜(粛宗→景宗→英祖)

  • 老論・少論という派閥の存在

  • 英祖が庶子出身であったこと

  • 英祖が改革を進めた名君として記憶されていること

このあたりは大枠として史実通りです。

一方で、

  • 誰がどのタイミングで英祖の命を狙ったのか

  • どの派閥が常に悪役だったのか

  • ミルプングンが英祖とどう対立したのか

  • 司憲府がどこまで“現場で戦う正義の味方”だったのか

といった細部はほとんどがドラマの演出です。

 

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史実の流れ:粛宗 → 景宗 → 英祖の王位継承

粛宗晩年:後継者問題と派閥対立

19代王・粛宗(スクチョン)の晩年、朝廷では「次の王を誰にするのか」が最大の政治テーマになっていました。

  • 正室・禧嬪張氏の息子:景宗(キョンジョン)

  • 側室・淑嬪崔氏の息子:延礽君(ヨニングン/のちの英祖)

この二人をめぐって、

  • 景宗を支える少論

  • 延礽君を推す老論

という対立が生まれます。

 

景宗の短い治世

粛宗の死後、嫡子である景宗が20代王として即位します。
でも景宗は病弱で子どももいませんでした。

「もし景宗が早く亡くなった場合、次の王は誰か?」
という問題が常に政治の裏側でくすぶっていたわけです。

 

英祖即位までの基本ライン

史実の大きな流れはこうです。

  1. 粛宗死去 → 景宗即位

  2. 少論は景宗を支え老論は延礽君を推す

  3. 景宗は病弱で後継ぎがいない

  4. 延礽君が世弟になる

  5. 景宗の死後、延礽君が英祖として即位

この「粛宗→景宗→英祖」という継承そのものはドラマと史実で共通しています。

 

老論・少論の本当の立場:ドラマとの最大のズレ

ドラマ『ヘチ』だと、

  • 老論:権力を私物化する悪党
  • 少論:弱者や正統性を守ろうとする良心派

みたいなイメージで描かれがちですが、史実の実像はかなり違います。

粛宗末期〜景宗期は「少論が実権を握っていた」

粛宗の晩年から景宗の時代にかけて、むしろ強い立場にいたのは少論です。

少論は

  • 粛宗の寵愛を受けた勢力として台頭
  • 景宗が即位すると「景宗を支える正統な派閥」という形で権力を握る

という流れがありました。

一方の老論は、王位継承問題や政治方針をめぐって少論と対立し、ときに「反逆の疑いあり」とされて弾圧される立場に追い込まれます。

 

辛壬獄事:少論もかなり過激な派閥だった

その象徴が1721〜22年の辛壬獄事(シニム獄事)です。

ドラマでは14~15話でヨニングンの謀反が疑われ追い詰められる場面が辛壬獄事をモデルにしていますが。史実ではかなり違います。

実際には少論政権が「老論が延礽君を利用してクーデターを企んでいる」と疑い、老論系の重臣たちを次々に逮捕・処刑・流刑に追い込んだ事件です。これで老論は大打撃を受けます。後に老論が政権を取ったときに少論を攻撃したのもこの恨みがあるからです。

つまり、

少論も決して“穏健な良心派”ではなく、
政敵を容赦なく粛清する、かなり過激な政治勢力でした。

ドラマで描かれるような

「悪い老論 vs 良心的な少論」

という単純な対立は史実の感覚からするとかなり違和感があります。

実際には老論も少論もどちらも自分たちの正しさを信じて、時にはライバルを容赦なく潰しに行く“政治集団同士の戦い”くらいの方が史実に近いです。

 

英祖の出自と母・淑嬪崔氏

英祖は「使用人の子」ではない

ドラマではヨニングンは1話でいきなり「卑しい王子」とされてしまい。臣下からも軽蔑されています。

でも、ここは誤解がとても多い部分なのではっきり書いておきます。
  • 母は雑役女(ムスリ)ではない。
  • 王子としてあり得ないほど低い身分だったわけでもない。

「ヘチ」に限らずどのドラマもヨニングンの母をとても低い身分に描いていますが、実際にはそこまで低くはありません。
 

淑嬪崔氏は 宮女(宮人)だった

英祖の母・淑嬪崔氏(スクピン・チェ氏)は、もともと宮中で働く宮女(宮人)でした。これは「ムスリ(雑役の奴婢)」とは別のきちんと階層のある下級女官です。

宮女の世界にも序列があり、

  • 上位:尚宮など高位の女官

  • 中位:さまざまな役目を持つ女官

  • 下位:宮人(クンイン)

といった具合に段階があります。
淑嬪崔氏はこの「宮人」階層から王の寵愛を受けて側室に昇格し、のちに英祖の生母として高い地位に上りました。

さらに淑嬪崔氏は針房(チムバン)所属だったといいます。針房は王族の衣服を作る部署なので、宮人の中でも地位は高い方です。

 

つまり「最下層の使用人の子」という表現は不正確 です。

しかし英祖の政敵が彼女を貶めるために「ムスリ出身」と呼んだため、その蔑称が後世のイメージとして広がった、と考えられています。

 

それでも庶子であったことは英祖のハンデだった

ただし、英祖が庶子(側室の息子)であり、正室の息子ではなかったことは事実です。

当時の王朝では、

  • 嫡子(正室の子)

  • 庶子(側室の子)

の差は非常に大きく、「庶子のため王位継承で不利」 だったのは間違いありません。

しかも淑嬪崔氏は両班出身の側室ではなく宮女から成り上がった人でした。両班出身の側室よりも立場が弱いのは確かです。

ドラマの「卑しい王子」「徹底的に差別される弱者」という描き方は誇張が強いものの、その背景にはこうした身分制度上の差別があるのは確かです。

 

「景宗=正統」ではないからこそのプロパガンダ

もう一つ押さえておきたいのが、少論が推した景宗も両班から見れば「完璧な正統嫡子」ではなかったことです。

景宗の母・禧嬪張氏は大妃に仕えた宮人出身で中人階層でした。延礽君の母・淑嬪崔氏宮人から側室に上がった女性でした。どちらも側室で名門両班の娘というわけではありません。

つまり、身分だけを冷静に見れば

  • 景宗:宮人出身の母から生まれた王子
  • 延礽君:やはり宮人出身の母から生まれた王子

となり、少論の言うように「景宗は高貴で、延礽君は卑しい」と言い切れるほど決定的な差はありません。あってもせいぜい中人と庶人の差でしょう。

それでも少論が「英祖は卑しい血筋だ」「奴婢の子同然だ」とまで貶めたのはのは、

自分たちが担ぐ景宗の正統性の弱さから両班たちの目をそらす

という政治的な意図があったとも解釈できます。

景宗のほうも“ガチ両班嫡子”ではないからこそ、英祖を奴婢階級レベルまで落として見せる必要があった。

弱い犬ほどよく吠える。のことわざ通り。自分たちも後ろめたいからこそ、フェイクニュースを使ってでも相手をおとしめる必要があったのです。

こうした「正統性のプロパガンダ合戦」の中で英祖の出自は必要以上に卑しめられていったと考えると、ドラマでの扱いの低さもわかりやすくなります。

 

ミルプングン(密豊君)の位置づけ

ドラマではミルプングン(密豊君)は非常な悪役として登場。しかも彼も王位継承争いに絡んできます。でも史実の密豊君は粛宗時代には後継者候補ではありませんでした。

ここもドラマと史実のギャップが大きい部分です。

粛宗の段階では「後継者候補」ではない

ミルプングン(密豊君イ・タン)は、昭顕世子の曾孫にあたる王族。血統だけ見れば「かなり筋の良い支流王族」です。

でも

粛宗の生前から、
「景宗・延礽君と並ぶ後継候補」として
名指しされていたわけではありません。

 

ドラマのように「粛宗の前で堂々と王位を争うライバル」だったわけではなく、史料でみるかぎり、粛宗時代はそれほど目立っていません。

 

英祖即位後に担がれた王族

ミルプングンの名前が大きく歴史に姿を現すのは、英祖が即位したあとです。

英祖即位の4年後、1728年に起きた反乱
「李麟佐の乱(イ・インジャの乱)」 で反乱勢力は

「庶子出身の英祖は正統性に欠ける」
「もっと血筋の正しい王族を王にすべきだ」

という名目のもと、
旗印としてミルプングンを王に担ぎ上げた のです。

つまり、ミルプングンは

  • 粛宗時代:表向きの後継争いには関わっていない

  • 英祖時代:反乱勢力が利用した“正統血統”

という位置づけになります。

 

ドラマは「若き日の宿敵」として再構成

ドラマ『ヘチ』ではミルプングンは

  • 若い頃からヨニングン(英祖)と対立するライバル王子

  • 悪役の代表のような存在

として描かれます。

これは、李麟佐の乱での担ぎ上げられ方という史実の要素を、時間軸を前倒ししてドラマの前半から混ぜている と考えると分かりやすいです。

歴史的には「英祖の即位前から、粛宗の前でギラギラ王位を狙っていた」というより「英祖の即位後に反乱勢力が利用した後付けの対立軸」といえます。

この辺は李麟佐が中心になり密豊君を利用しただけの『テバク』の方が史実に近いです。

 

「ヘチ」と司憲府(サホンブ)とは?

ヘチ(獬豸)とは?

「ヘチ(獬豸/カイチ)」は、

  • 一本角の獣

  • 正義の象徴

  • 善悪を見抜き、不正を噛みついて裁く

と信じられた想像上の霊獣です。

朝鮮王朝では公正な裁きや正義の象徴として扱われ、宮廷や役所の前にヘチ像が置かれることもありました。

司憲府(サホンブ)の実際の役割

司憲府は、

  • 官吏の不正を監察

  • 王に対して諫言

  • 不正を働いた者を弾劾

といった役割を持つ監察・司法機関です。

ただし党争が激しくなると、

  • 司憲府自体が派閥に利用される

  • 特定派閥の敵を弾劾する道具になる

といったことも多く「常に完全な正義の組織」とは言えませんでした。

 

ドラマでの司憲府=現場で戦うヒーロー集団

『ヘチ』では司憲府の官僚たちが

  • 自ら現場に出て捜査

  • 権力者に体を張って立ち向かう

といったヒーロー的描かれ方をします。

史実の司憲府はもっと文書中心・上奏中心の官庁なので、ここもかなりドラマ的な脚色です。

とはいえ、

「ヘチ=正義の象徴」
「司憲府=不正と戦う部署」

というタイトルの付け方は、ドラマとして非常にうまく作られていると言えます。

 

史実の英祖:名君イメージの光と影

改革王としての英祖

英祖は約50年以上という長い治世を持ち多くの改革を行いました。

代表的なものだけ挙げると、

  • 三覆法の導入(死刑判決の再審を義務づける制度)

  • 残酷な刑罰の廃止・軽減

  • 賤民や庶子への差別緩和

  • 税制改革

  • 教育制度・科挙制度の整備

などがあります。

このため、英祖〜正祖の時代は「朝鮮後期の最盛期」と評価されることも多く、英祖はしばしば「名君」「人権的な王」として語られます。

 

しかし、家族には厳しい一面も

一方で、英祖の人生には「思悼世子事件」という大きな影が落ちています。

息子の思悼世子を重罪人とみなし、米びつに閉じ込めて死なせたと伝えられるこの事件は、

  • 父としての英祖

  • 王としての英祖

両方の顔を複雑に照らし出す出来事です。

『ヘチ』は英祖の若いころを扱うため、この事件までは踏み込んでいませんが、「英祖=100%善人の理想王」ではなく、矛盾や苦悩を抱えた王だった。ことも確かでしょう。

 

脚色が多いからこそ面白い:『ヘチ』の楽しみ方

ここまで見ると、

「史実と違うところが多すぎるのでは?」

と感じるかもしれません。

でも歴史ドラマは「歴史をそのまま再現する」のではなく、

歴史をベースにどのようにエンタメ作品として成立させるか

というところにおもしろさがあります。

  • 英祖の庶子としてのハンデ → 分かりやすい逆境に

  • 党争の複雑さ → わかりやすい善悪の対立に整理

  • ミルプングン → 長期的な宿敵として再配置

  • 司憲府 → 人情味のあるヒーロー集団にアレンジ

こうした脚色があるからこそ、『ヘチ』は重いテーマを扱いつつもエンタメとして成立している、とも言えます。

 

よくある疑問Q&A(ヘチはどこまで実話?)

Q1.英祖は本当にあそこまで差別されていた?
→ 庶子で差別があったのは事実。ただし「使用人の子」「ムスリの子」という言い方は言い過ぎで、母は宮女(宮人)出身です。ドラマほど極端な虐げられ方をしたかどうかは疑問です。

Q2.景宗と英祖は直接バチバチに対立していた?
→ 兄弟間の個人的な大喧嘩というより、「景宗を支える少論」と「延礽君を推す老論」という派閥同士の対立が前面に出ていました。ドラマのような“兄弟の宿命の対立”は、かなり物語寄りの演出です。

Q3.ミルプングンは本当に英祖のライバル王子?
→ 粛宗時代の公式な後継候補というより、英祖即位後の「李麟佐の乱」で反乱勢力が担ぎ上げた王族です。ドラマのように若い頃からずっと英祖とライバル関係だったわけではありません。

Q4.司憲府は史実でもあんなにカッコいい?
→ 役人の不正をただす大事な機関だったのは確かですが、現場で剣を振るって戦う組織ではありません。党争に巻き込まれ、政治的に利用されることもありました。

Q5.『ヘチ』は歴史を知るうえでどのくらい役立つ?
→ 人物名・王位継承の流れ・派閥名など、「入口」としてはとても役に立ちます。ただし、細部の政治過程や人物の性格はかなり脚色されているので、史実を知りたい場合は史書や歴史解説とセットで見るのがおすすめです。

 

まとめ:『ヘチ』は史実をもとに大胆に脚色したドラマ

  • 王の系譜や党争の枠組みは史実

  • 英祖の庶子出身・改革王としての側面も史実

  • ただし派閥の善悪、人物の性格、事件の因果関係は大きく脚色

  • ミルプングンは粛宗時代の後継者候補というより、英祖即位後に反乱側が担いだ“正統血統のカード”

  • 司憲府も史実よりドラマ的にヒーロー化されている

『ヘチ 王座への道』は、「歴史を素材にした物語」として楽しみつつ、「本当の歴史はどうだったんだろう?」と一歩深掘りしたくなる作品です。

ドラマで感情を動かされたあと、史実の英祖・景宗・粛宗、そして老論・少論や李麟佐の乱などを改めて調べてみると、同じシーンがまったく違う味わいに見えてきます。

 

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執筆者:フミヤ(歴史ブロガー)
京都在住。2017年から韓国・中国時代劇と史実をテーマにブログを運営。これまでに1500本以上の記事を執筆。90本以上の韓国・中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを史料(『朝鮮王朝実録』『三国史記』『三国遺事』『二十四史』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。類似サイトが増えた今も、朝鮮半島を含めたアジアとドラマを紹介するブログの一つとして更新を続けています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールページをご覧ください。
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