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ヘチ 王座への道 22・23話 安城決戦と蕩平開始

韓国時代劇「ヘチ 王座への道」第22・23・24話のあらすじとネタバレを紹介。

英祖の即位後に、イ・インジャとミルプングンが反乱を起こしました。安城での奇襲戦からイ・インジャ逮捕、そして英祖が長年の悲願だった蕩平政策を本格化させるまでの流れをたどりつつ、史実との違いや演出上のポイントも整理しました。

反乱の攻防と政治改革の意味をわかりやすく紹介します。

 

 

 この記事で分かること

  • 22・23話のあらすじとネタバレ
  • 安城での奇襲戦と反乱軍本隊壊滅までの流れ
  • イ・インジャ逮捕後、英祖が掲げる蕩平政策の内容と狙い
  • 司憲府を巡る英祖の改革と意味

韓国ドラマ「ヘチ・王座への道」 あらすじ ネタバレ全話一覧

ネタバレになる要素を含んでいます。ストーリーを知りたくない方はご注意ください。

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ヘチ 第22話 勝ち戦

22話あらすじとネタバレ

反乱軍を鎮圧

イ・インジャとミルプン君たち反乱軍は安城地域を進軍していました。

官軍に潜り込ませた間者から、官軍は稷山に陣を置くと情報を得ていたからです。間者の情報通りなのか、ミルプン君たちが安城についても官軍の姿は見えません。ひっそりしています。ミルプン君の前に偵察に送った馬が戻ってきました。ところが誰も載っていません。するともう一頭の馬も戻ってきました。そこには矢を受けた偵察隊がうつぶせになって乗っていました。イ・インジャとミルプン君が驚いていると矢が降ってきました。ミルプン君たちは裏をかかれたのです。

官軍は部隊内に間者がいることを知り、わざと稷山に陣をおくという情報を流しました。

官軍と反乱軍との間に激しい戦いが始まりました。イ・インジャは後退を命じますが、イ・グァンジャが退路を防ぎます。激しい戦いの末、官軍が勝利しました。

英祖が南人派を採用することを決め。ミン・ジノンたち老論派も賛成しました。その知らせが南人派の役人に届くと、彼らは官軍に患者がいることを教えたのです。

 

本隊の敗北を知った各地の反乱軍も降伏

一方、慶尚道ではチョ・ヒョンミョンの率いる兵が反乱軍に奪われた城を奪回しようと戦っていました。そこにパク・ムンスたちが援軍としてやってきます。本隊の敗北を知った反乱軍は投降しました。

本隊を指揮していたウィ・ビョンジュも捉えられました。しかしイ・インジャとミルプン君は逃亡します。

官軍は王宮に凱旋しました。王は兵たちに感謝の言葉をおくり、犠牲になった兵たちを忘れないと誓います。

ミルプン君を捨てて逃げるイ・インジャだが

パク・ムンスは、イ・インジャたち反乱軍を捕えるため出発しました。

一方、イ・インジャはミルプン君を捨ててようとしていました。南人派の援軍が来るからと嘘を言ってミルプン君を人目に付く場所で待たせ、その間にイ・インジャは逃げました。しかし山道を逃げるイ・インジャは追ってきたパク・ムンスに捕らえられてしまいます。

寛大な計らいをする英祖

翌朝。英祖は反乱軍の家族と同調者に寛大な計らいをすると発表。反乱軍に加わった者の家族や知人、反乱軍を助けた民を処罰することを禁止。いきすぎた拷問で罪人を死なせることも禁止しました。人々は驚きます。残党が再び決起するのを防ぐためです。

英祖の首を取り損ねたミルプン君は悔しくてたまりません。まだ王座をあきらめることができないミルプン君を見て、ユニョンはあきれ果てます。ユニョンはタルムンのもとに向かいました。どうせ殺されるならタルムンに殺されたいと思ったからです。ユニョンはタルムンに会い、ミルプン君の居場所を伝えました。

タルムンは英祖に会いユニョンから聞いた情報を伝えます。そしてユニョンを殺さないようにしてほしいと土下座しました。ユニョンは命拾いしました。タルムンはユニョンを漢陽の外に逃がします。

 

注目点:安城での奇襲戦は史実の戦いとどう違う?

ドラマでは官軍が偽情報を間者に流し、イ・インジャとミルプン君はそれを信じて安城ルートを選択。反乱軍の裏をかいてイ・インジャの前にイ・グァンジャが立ちはだかり、ドラマ的クライマックスとして描かれました。

史実でも戊申乱の決戦は安城・竹山一帯で行われ、ここで反乱軍本隊が壊滅し乱は一気に終息へ向かいます。 ただし官軍が「稷山に布陣する」と偽情報を流して安城で奇襲した、という具体的な情報戦の描写は記録にはありません。

反乱軍が清州から漢陽を目指して北上し、官軍に進路を押さえられて安城・竹山で敗れた、という大枠だけが史実で、劇中の「間者を逆手に取った頭脳戦」はかなり大胆な脚色と見てよさそうです。

 

注目点:乱の鎮圧とイ・インジャ逮捕は史実ではどうだった?

第22話では安城で本隊が敗れた知らせが各地に伝わり、慶尚道の反乱軍も投降。イ・インジャとミルプン君は逃亡。ラストでは山道を逃げるイ・インジャが、追ってきたパク・ムンスに追い詰められて捕まる、というヒーロー的な決着になっています。

史実では清州で挙兵したイ・インジャ本隊が安城・竹山の戦いで大敗。指導者層は各地に散って逃走します。その後、官軍の追撃でイ・インジャら首謀者は捕らえられ、処刑されましたが、捕縛の現場にパク・ムンスがいたという具体的な記録は確認できません。

朴文秀(パク・ムンス)は乱鎮圧のため三南地方に派遣されたのは確かですが、ドラマのように「ラスボスを自ら取り押さえる英雄役」は、後世の“名暗行御史”イメージを重ねた創作と言えます。

 

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ヘチ 第23話 長年の悲願

23話あらすじとネタバレ

英祖は人事の改革案を発表

英祖は捕らえた反乱軍のイ・インジャを極刑にすると発表しました。英祖は世を変えるのは反乱ではない、他に道があることを証明してみせるとイ・インジャに言いました。

数日後。英祖は重臣を便殿に集めます。その中には南人派のものもいました。その存在を気に入らないと文句をいう人もいます。そんななか、英祖は人事を一新して朝廷を改革すると発表。南人派にも官職を与えました。英祖が考えたのは派閥に関係なく平等に官職を与える「蕩平政策」です。しかしこれに反対する重臣もいて大騒ぎになりました。

一方、イ・インジャは捕らえたものの。ミルプン君はまだ捕まっていませんでした。英祖は、混乱している今こそ改革を進めるのにいい時期だと思っていました。英祖は王ですがまだ充分な力がありません。彼が頼れるのは民心だけです。民は保身のために王の政策に反対する役人にうんざりしていました。反乱のときに真っ先に逃げたのも朝廷の役人でした。

ユニョンの最期

その頃。ミルプン君はユニョンとともにいました。タルムンの手下の手引で漢陽の外に逃げたものの、途中でミルプン君をみつけたのです。ユニョンは、ミルプン君がイ・インジャに見捨てられたと思い、ミルプン君が可愛そうになりました。タルムンの手下に金をやりミルプン君を清に向かう船に乗せようとします。ミルプン君はもはや自分には何の力もないと怯えていました。

手下の男が返ってこないことを不審に思ったタルムンは、男の家に向かいました。

タルムンの手下の家にいたミルプン君とユニョンは、タルムンが来る前に出ました。そして船着き場に向かいます。道の途中。二人は本当に船が用意できたのかと疑います。男は短刀をミルプン君に向けて今すぐ金を出すようにと脅しました。ユニョンはミルプン君をかばおうとして男に刺されてしまいます。「あの世で、王妃としてまっている」と言い残してユニョンは息絶えます。ミルプン君はそんなユニョンを抱きしめました。

あたりを探していたタルムンはユニョンの亡骸を発見しました。ミルプン君はすでにいませんでした。

英祖の蕩平政策が始まる

ミン・ジノンは英祖の蕩平政策を支持していました。その理由で老論派の他の重臣から批判されたら辞職するつもりでした。便殿会議では蕩平政策に反対するものはいませんでした。そこで英祖はイ・グァンジャを領議政に、チョ・ヒョンミョンを大司憲に任命しました。蕩平政策を成功させるにはこの二人の力が必要だったからです。

一方、司憲府はチョ・ヒョンミョンを大司憲として受け入れることを拒否しました。英祖は屈辱に思いますが今は耐えるしかないと思っていました。英祖は自ら司憲府に向かい、高官たちを集め司憲府の改革をおこなうことを宣言します。そんな英祖を監察たちは希望と期待に満ちた目でみつめていました。

 

注目点:蕩平政策はドラマのタイミングは史実と合っている?

英祖は便殿に老論・少論・南人の重臣を一堂に集め、「派閥にかかわらず平等に官職を与える」と人事一新を宣言します。“蕩平政策スタート宣言”のように描かれています。

実際の英祖は即位直後から「蕩平(タンピョン)」つまり派閥に偏らない用人方針を掲げていましたが、それが大きく正当化される転機になったのが1728年の戊申乱です。

乱の鎮圧過程で英祖は老論だけでなく少論系の武将も起用し「どの派閥でも有能なら登用する」という姿勢を見せました。 その後、翌年の癸酉約条などを通じて派閥バランスを意識した人事が制度化されていきます。

ドラマは、こうした数年にわたる政治過程を凝縮している、と見るとわかりやすいです。

司憲府と監察の英祖の「改革宣言」は本当?

ドラマでは英祖がチョ・ヒョンミョンを大司憲に任命すると司憲府が拒否。英祖は自ら司憲府へ乗り込み、監察たちを前に「司憲府も改革する」と宣言します。

史実の司憲府は司諫院や弘文館とならぶ「三司」の一つで、官吏の弾劾や政道の監察を担う強い発言権をもった機関でした。 英祖期にも三司の官僚たちはしばしば王の政策に異議を唱え、英祖がこれに怒って罷免や処罰を下すこともありましたが、一方で彼らの役割自体を否定したわけではありません。

戊申乱後に「司憲府丸ごと改革」という一大イベントがあったわけではなく、ドラマのような乗り込んで演説は創作です。ただし「三司の強いチェック機能」と「それに手を焼きながらも活用しようとした英祖という表現は史実の権力バランスをよく表現していると言えます。

 

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執筆者:フミヤ(歴史ブロガー)
京都在住。2017年から韓国・中国時代劇と史実をテーマにブログを運営。これまでに1500本以上の記事を執筆。90本以上の韓国・中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを史料(『朝鮮王朝実録』『三国史記』『三国遺事』『二十四史』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。類似サイトが増えた今も、朝鮮半島を含めたアジアとドラマを紹介するブログの一つとして更新を続けています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールページをご覧ください。
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