ホンタイジは大清帝国(後金)の第2代皇帝。
ヌルハチの八男。
ヌルハチには正妻が4人いました。3番めの正妻モンゴジェジェの生んだ唯一の息子です。
ホンタイジは父や兄たちとともに様々な戦いに参戦。手柄をたてました。後金建国後は四大ベイレの一人に選ばれ、後金の政治に関わりました。
ヌルハチの死後。王族会議で選ばれ第2代の後金のハン(君主)になります。
ホンタイジは名前に謎があることでも知られます。というのも「ホンタイジ」というのはモンゴル系の遊牧民社会では「副王」とか、ハンより格下の者に与えられる称号です。
ホンタイジがその呼び方を気に入って皇帝になった後も名前として使い続けたにしても。本名は別にあるはずなのです。いったいホンタイジの本名は何だったのでしょうか?
この記事ではホンタイジの名前の謎と、ホンタイジがハンになるまでを紹介します。
ホンタイジ の史実
いつの時代の人?
生年月日:1592年11月28日
没年月日:1643年9月21日
享年:50
在位:1626年10月20日 ~1643年9月21日)
姓:アイシンギョロ(愛新覚羅:あいしんかくら)
名:ホンタイジ(皇太極)
部族:ジュシェン(女直、女真)スクスネ部
国:マンジュグルン→後金→大清
廟号:太宗
通称:崇德帝
父:ヌルハチ(清太祖)
母:モンゴジェジェ(孝慈高皇后イェヘナラ氏)
正室:ジェルジェル(孝端文皇后)ボルジギト氏
側室:
ハルジョル(敏惠恭和元妃)ボルジギト氏
ナムジョン(懿靖大貴妃)ボルジギト氏
バトマゾー(康恵淑妃)ボルジギト氏
ブムブタイ(孝庄文皇后)ボルジギト氏
後金時代は一夫多妻制なので5人とも「フジン(福普)=妻」でしたが。
「大清」になってからは中華風の序列ができました。
他にも福晋(妻)や妾はいました。
子供:11男14女
九男 フリン(福臨、順治帝)ほか。
ホンタイジが生きたのは後金~清王朝の初期の時代です。
日本では江戸時代になります。
ホンタイジの名前の謎
ホンタイジは本名ではない?
ホンタイジの本名は「ホンタイジ」ではありません。
「ホンタイジ」の名前の由来はモンゴル語の「ホンタイジ」に由来します。モンゴルではハン(王)より格下の貴族が「ホンタイジ」と呼ばれます。大元(モンゴル帝国)以降に遊牧民の間で広まった呼び方です。
なので歴史上、遊牧民の首長が○○ホンタイジと名乗っているときがあります。
モンゴル語の「ホンタイジ」はもともとは漢語の「皇太子」に由来する言葉。「皇太子」がモンゴルに伝わって「将来の王」だったのが「王の次に偉い人物」という意味に変わり。貴族の称号としても使われるようになりました。
ホンタイジの本名は?
ホンタイジの名前は明では「喝竿」、朝鮮の「仁祖実録」では「黒還」と書かれていて。その発音からホンタイジの本名は「ヘカン」とも言われます。
でも当時の明や朝鮮の記録に「ホンタイジ」と発音できる「黄台吉」「洪太極」「洪太主」が出てくるので。「ホンタイジ」の呼び方は生前から使っていたようです。
ヘカンが成人したころに「ホンタイジ」の称号がヌルハチから与えられたのでしょう。後金では有力な王子に称号を与えられることはよくあります。
ホンタイジの母はイェヘ部の出身でモンゴルから帰化した人たちです。モンゴルの血を受け継ぐ王子にモンゴル系の部族で貴族の称号として使われていた「ホンタイジ」を称号として与えたのでしょう。
首長級の称号を与えるとはヌルハチもホンタイジに期待していたのかもしれません。
でもホンタイジはこの称号を気に入ったらしく、皇帝になった後も「ホンタイジ」を名前として使っています。
清朝時代の記録では「諱(いみな)」は「皇太極(ホンタイジ)」になっているので出世魚みたいに名前を変えたのかもしれません。
生まれながらにして地位の高い人とアピールしたかったのかもしれません。
おいたち
明朝末期の 万暦20年10月25日(1592年11月28日)
ヌルハチの居城 佛阿拉(現在の中国遼寧省撫順市)で生まれました。
父は当時、建州女直を統一して間もないヌルハチ。ヌルハチは自分の国をマンジュグルンと名付けていました。
母はイェヘ部の王ヤンギヌの娘モンゴジェジェ。
「モンゴジェジェ」は「モンゴル姐さん」という意味。というのもイェヘ部の祖先はモンゴルからジュシェン(女直、女真)にやってきた人たちだからです。
モンゴジェジェの元の名前は不明です。ヌルハチに嫁いでからはモンゴジェジェと呼ばれていたのでしょう。
ホンタイジはヌルハチの八男として生まれました。
モンゴジェジェはヌルハチの3人目の正妻(福普)。
ホンタイジは嫡子の中では4番目です。
モンゴジェジェの生んだ唯一の息子です。
ヌルハチの正妻はモンゴジェジェの他にも
ハハナ・ジャチン(トゥンギャ氏)
グンダイ(フチャ氏)
アバハイ(ウラナラ氏)がいました。
当時の女真社会ではフルン王族との縁組が最高のステータスでした。フルン王族出身の妃はモンゴジェジェ(イェヘナラ氏)とアバハイ(ウラナラ氏)です。
ホンタイジは兄たちよりも母の格式が上。つまりホンタイジはヌルハチの息子の中でも最も良血の王子でした。
ホンタイジと同等の良血はアバハイの息子、アジゲ(1605年生)とドルゴン(1612年生)がいますが。ホンタイジより10歳以上若いです。ドルゴンは20歳も離れています。
若いころから頭がよく、読書好き。ヌルハチ配下の武将の中では唯一漢文の読み書きができました。当時の女真では読み書きはモンゴル文字が当たり前。漢文を読める人はあまりいません。
父と兄が戦場に出ている間、家の財政を管理していました。
1603年。ホンタイジは11歳のころ生母・モンゴジェジェが病になりました。モンゴジェジェは故郷の母や姉妹に会いたいと願いました。このころ、イェヘ部の王ヤンギヌは既に死亡。息子のナリンブルがあとをついでいました。ヌルハチはイェヘ部の王ナリンブルに連絡をとりました。ところがナリンブルは会うことを拒否しました。その後、モンゴジェジェは死亡しました。
ヌルハチの第二福普グンダイに育てられました。
成長するに連れて騎射(馬術と、弓術)も上達。文武に優れた青年になりました。父や兄とともに狩りにでかけることもありました。
1612年。ウラ部との戦いに参戦。この戦いで6つの城を攻略するなど手柄をたてました。
ヌルハチの晩年。ヌルハチは長男のチュイェンを太子(後継者)にしました。ところがチュイェンはすっかり王きどりになり、弟や大臣たちには「長兄のいうことを聞け」「自分に逆らうものは父の死後排除する」と言っていました。ホンタイジは兄弟や大臣と一緒にヌルハチに訴えました。
ヌルハチはチュイェンを注意しましたが、チュイェンは態度を変えません。チュイェンは太子を廃され幽閉されました。1615年。チュイェンは謀反を企てた罪で処刑されました。ヌルハチは二度と太子は決めませんでした。
1615年。ヌルハチが八旗という軍事組織を創設。ホンタイジは正白旗の旗主になりました。
後金の政治を担当する四大ベイレになる
1616年。ヌルハチが「ハン」を名乗り「後金」を建国しました。
ホンタイジは国政を担当する四大ベイレの一人になりました。ベイレはもともと王の意味(ハンより格下の首領クラス)です。後金では「親王」みたいな意味で使ってます。
ヌルハチは明への攻撃を決定。その作戦会議の場でホンタイジは撫順への先制攻撃を提案。ヌルハチはホンタイジのプランを採用しました。
1618年。ヌルハチは明に宣戦布告。
後金軍は撫順に軍をさしむけると撫順を守る明軍は降伏。
ここにきて明はヌルハチの勢力が予想以上に大きくなったことを気づいて、イェヘ(葉赫)部、朝鮮にも軍を出させて後金を攻撃することにしました。
1619年。サルフの戦いが始まりました。
ホンタイジも配下の正白旗軍を率いて戦いました。後金軍は明・葉赫・朝鮮連合軍に勝利します。ホンタイジはこの戦いでも功績をあげました。
その後もヌルハチの行った遠征に参戦しました。
ヌルハチの最期
1626年。ヌルハチは明に攻め込もうと山海関を目指しましたが。明の将軍の袁崇煥(えん・すうかん)は遼遠城にポルトガル製の大砲を大量に揃えて後金軍を待ち受け、後金軍は大敗。ホンタイジは火砲の威力を思い知りました。
後金軍は強い印象がありますが、鉄砲や火砲はあまり持っていません。昔ながらの騎馬軍団が主力です。後金軍は鉄砲を使いこなせない明や朝鮮軍が相手なら強さを発揮します。でも明が火砲の数を揃え、使いこなせる軍団がいて有能な指揮官のもとで城をしっかり守っていれば後金軍といえども簡単には勝てないのです。
清はこの弱点を克服して強くなりますがそれは後の話。
1626年8月11日。この戦いの怪我がもとでヌルハチは死亡します。
翌日、ヌルハチの遺言で妃のアバハイが殉葬されました。
ヌルハチの後継者選び
遊牧民社会では有力者たちの会議で支持を集めた王族が次のハン(王)になる伝統があります。ヌルハチの後継者も八旗のベイレ(王)たちの会議で決めることになりました。
候補になったのは四大ベイレ(ダイシャン、アミン、マングルタイ、ホンタイジ)の4人。
最終的にはベイレたちの会議で支持を多く集めたホンタイジがハンになりました。
しかし明との戦争はまだ続いています。
新しくハンになったホンタイジはヌルハチの死で動揺する後金の立て直しと自分の権力堅めからしなければいけませんでした。
ドラマのホンタイジ
孝荘秘史 2003年、中国、演:劉徳凱
大清風雲 2005年、中国、演:姜文(チアン・ウェン)
宮廷の泪・山河の恋 2012年、中国、演:劉愷威(ハウィック・ラウ)
皇后の記 2015年、中国、演:聶遠(ニエ・ユエン)
華政 2015年、韓国 演:鄭成雲(チョン・ソンウン)
孤高の皇妃 2017年、中国、演:林峯(レイモンド・ラム)
王家の愛 2018年、中国、演:富大龍(フー・ダーロン)
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