韓国ドラマ「トンイ」には賤民を守る秘密組織「コムゲ(剣契)」が登場します。
ドラマでは正義の集団として描かれていますが、史実の「コムゲ」は暴力的な武装集団でした。両班を襲う一方で、民衆からも恐れられていました。
この記事では「コムゲとは何か」「実在したのか」「史実とトンイのコムゲとの違い」 について詳しく解説します。
コムゲ(剣契)は実在した
剣契(コムゲ)の由来と成立の経緯
剣契(コムゲ)がいつごろから存在したのか正確な事はわかっていませんが、粛宗の時代に初めて記録がでてきます。少なくとも粛宗の時代には存在していたようです。
「朝鮮王朝実録」によると1684年2月25日、閔鼎重(ミン・ジョンジュン)が剣契の調査結果を報告しました。その内容は以下の通りです。
- 剣契(コムゲ)は香徒契(ヒャンドゲ)から発展した組織である。
- 香徒契はかつて庶民が葬式の費用のためにお金を出し合って積み立てる組織だった。
- メンバーを集める際に善悪を問わなかったため、いつしか暴力的になり葬儀で騒ぎを起こし暴力を振るったり、無理やり集金するようになった。
- 都家(ドガ、組織を運営する家)は彼らを匿うようになり、その都家を中心にして結成された集団が剣契になった。
とされています。
名前の由来
剣契には”剣で契約をする会”という意味があります。武力でまとまっている人々なんですね。剣を携帯して歩くの自分たちの生き方だと思っていたようです。
「殺掠契」や「鬨動契」とよばれることもあったようです。
コムゲの活動内容
コムゲは殺人、暴行、略奪などを行っていた反社会的な組織でした。両班に対し暴力を使うことが多く、反両班勢力だったといわれています。
朝鮮の裏社会で生きる人々で、武力を使って解決しようと考える人達の集まりですから次第にエスカレートしていきます。
ドラマ「トンイ」に登場するような賤民を助けるための組織とは違うようです。犯罪組織のようなものでした。
確かに最初は貧しい人達が両班に抵抗するために作った組織だったかもしれません。彼らにも言い分はあると思います。でも人は徒党をくむと過激なほうに流れてしまいます。
コムゲはあまりにも過激なので両班ではない民衆からも恐れられました。
「トンイ」のコムゲは史実とは違う
「トンイ」のコムゲは正義の味方
韓国ドラマ「トンイ」では、コムゲは賤民を守る正義の組織として描かれます。トンイの父が頭として登場。両班の横暴や権力者の不正から民衆を守るヒーロー的存在です。
どちらかと言えばケドラが頭をしていたコムゲ。両班に恨みを持ち暴力をふるう武装集団に近いかもしれません。
意外と豪華メンバーだった「トンイ」のコムゲ
ちなみに「トンイ」のコムゲを演じている役者は意外と豪華メンバーです。
- 頭:トンイの父。「六龍が飛ぶ」の「イ・ソンゲ」。
- トンイの兄トンジュ:「華たちの戦い・宮廷残酷物語」の「昭顕世子」。
- チョンス兄さん:「風の絵師」の「正祖」、「朱蒙」のヨンタバル商団「サヨン」。
- ケドラの父:「オクニョ」のおじさん「チ・チョンドク」。
コムゲの主要人物を演じてる人は意外と豪華メンバーです。これもドラマの中ではコムゲ=正義の味方だからなのでしょうね。
剣契(コムゲ)の史実での活動内容
民衆から恐れられる武装集団
1683年には対馬からの報告で台湾に逃れた明の残党が朝鮮に攻めてくるというものでした。この噂は朝廷だけでなく街中に広まり漢城(ソウル)が騒然としました。
そんな混乱した時期に剣契(コムゲ)が活動していました。彼らは太平簫(テピョンソ:管楽器)を使って大きな音を出し軍隊が活動しているかのように装ったり、中興洞に集まって戦いの訓練している様子が目撃されました。
「朝鮮王朝実録」によるとコムゲ達が訓練をしている様子はまるで軍隊みたいで、漢城の人々は不安に感じていると報告されています。
戊申の日(2月12日)。左議政の閔鼎重が「都のならず者が剣契という集団を作り、ひそかに武術の練習をしております。このせいで町は騒がしくなり、将来は外敵以上に厄介な問題になる恐れがあります。捕盗庁に偵察と逮捕を命じ、遠方への流刑あるいはさらし首にするのはいかがでしょうか」と申し上げました。王様は申汝哲に特別に警戒し逮捕するように命じました。
「朝鮮王朝実録 粛宗実録 10年 2月12日(戊申)」
その後、十数人のコムゲが逮捕されました。そのうちの数人はナイフを使って自分の体を傷つけるなど、暴力を崇拝する傾向がありました。
その後しばらくはコムゲの問題は続きますが一旦はおさまります。
英祖の時代に再び問題になりました。このときは1725~1735年の間に守備隊長だった張鵬翼が鎮圧しました。
人として扱われない賤民の最後の手段
しかし当時の賤民の立場では仕方のないことかもしれません。
主のいない賤民は奴婢よりも地位が低く、獣と同じ扱いをされていました。
奴婢の方がマシです。確かに奴婢は主人から虐待を受けたり差別を受けることもあります。でも法律上は「主人の財産」として扱われるので、主人以外の人が奴婢に危害を加えることは許されません。
でも賤民には彼らを守る法律がありません。賤民は被害をうけても役人は相手にしてくれません。一般民衆ですら賤民を差別して危害を加えます。
物扱いされる奴婢の待遇はヒドいですが、家畜以下の存在として扱われる賤民はもっとヒドい立場です。
だから賤民は自分たちで身を守るしかありません。
賤民の中には苦しさから略奪を働くものもいました。倭寇に合流した賤民もいます。李氏朝鮮後半の倭寇(後期倭寇)は日本人は1~3割。残りは朝鮮か大陸の人でした。李氏朝鮮や清の記録にそう書かれています。
朝鮮では犯罪組織化する賤民がかなりいたようです。それほどひどい扱いを受けていたのでしょう。
殺主契と混同される場合も
似たような組織に奴婢が主人を殺すために作った「殺主契」という組織がありました。コムゲと殺主契は別物ですが、同じ時期に活動していたので両者が間違われている可能性もあります。
ワルジャと言われる者もいた
李圭祥の記録によると、コムゲは自分のことを「ワルジャ」と呼んでいたといいます。
「ワルジャ」とは朝鮮の「アウトロー」や「ならず者」のことです。特定の組織ではなく、社会からはみ出て自由気ままに生きる人々の通称でした。全てのワルジャがコムゲではありません。
つまり
- コムゲ(剣契): 組織化された武装集団。暴力・略奪・両班襲撃。
- ワルジャ: 個人または小規模のならず者。必ずしも暴力的ではなく、風変わりな生き方をする「アウトサイダー」も含みます。
つまりコムゲの中にワルジャがいたかもしれませんが、すべてのワルジャがコムゲではありません。
コムゲの歴史学的評価
戦後の東アジアはマルクス史観(共産主義のもとになった考え)の影響が強く、韓国や北朝鮮の歴史学会でもコムゲや民の反乱を安易に「階級闘争の始まり」と解釈する傾向があります。
でも冷静に史実を見れば、彼らは思想をもって活動しているわけではありません。権力者に立ち向かう場面もありますが、一方では民衆にも武力をふるい略奪・殺人といった犯罪行為を行っていました。コムゲは共産主義活動とは関係ありません。やはり暴力集団なのです。
まとめ:実在したコムゲ(剣契)は暴力集団
李氏朝鮮時代に実在した史実のコムゲは以下のような存在です。
- コムゲは賤民が中心の武装集団。
- 名前の通り、剣を結束の象徴とする組織。
- 活動は自己防衛と反権力行動を含むが、暴力や略奪も行った。
- ドラマ「トンイ」で描かれた正義の組織とは違う。
- マルクス史観に基づく単純な階級闘争説は史実とは違う。
史実のコムゲは追い詰められた社会的弱者が武力を使って自分たちを守り、略奪や暴力をふるう犯罪組織化したもの、といえますね。
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