蕭承泰(しょう・しょうたい)は中国ドラマ「長安賢后伝」の登場人物。
ドラマの蕭承泰は四大親王のひとり。盛州王の息子の中では最年少。
蕭承泰(しょう・しょうたい)のモデルになったのは後金の王族・マングルタイです。マングルタイはヌルハチの五男。ホンタイジやドルゴンの異母兄です。
清朝の人物がモデルになってるのは「長安賢后伝」が「孝荘秘史」のリメイク作品だから。
「孝荘秘史」は後金から清朝の時代が舞台です。「長安賢后伝」は「孝荘秘史」の設定を唐の雰囲気がする中華王朝に置き換えたドラマなのです。
長安賢后伝に登場する蕭承泰のモデルになったマングルタイとはどのような人物だったのか紹介します。
ドラマ「長安賢后伝」の蕭承泰(しょう・しょうたい)とは
蕭承泰(しょう・しょうたい)
演:李澤
蕭尚遠の第五王子→衛王
四大親王のひとり。
四大親王の中では最年少。せっかちな性格でドラマに出てくるときは第四王子 蕭承耀といっしょに行動していることが多い。自分からはあまり動こうとせず、蕭承耀をそそのかすことが多いです。
父の死後。蕭承煦を始末しようといい出したのも蕭承泰。
蕭承睿が皇帝になった後。権力を失って失脚。
その後、蕭承煦を謀反にしようとしますが失敗。
ドラマが蕭承睿と賀蘭茗玉・蕭承煦の対立が中心になると、出番がなくなります。
蕭承泰のモデル マングルタイとは
ヌルハチの正妻の子
名前:マングルタイ(莽古爾泰)
姓:アイシンギョロ(愛新覚羅)
父は後金の建国者 ヌルハチ(努爾哈赤)
母は福普 フチャ(富察氏)氏。
ヌルハチの2人目めの正妻です。
マングルタイはヌルハチの5男。
母のフチャ氏は福普(正妻)なのでマングルタイは嫡子になります。
マングルタイは父ヌルハチとともに女真の統一や明との戦争に参加。手柄をたてました。ヌルハチ存命中の戦場での働きだけならホンタイジよりも上かもしれません。もちろん戦場に出たことのないドルゴンは比較相手にもなりません。
四大ベイレになる
ヌルハチは嫡子と弟の息子から4人を選んで四大ベイレ(親王)を任命しました。
ヌルハチの次男ダイシャン(1583)。
ヌルハチの弟シュルハチの息子アミン(1586)。
五男マングルタイ(1587)。
八男ホンタイジ(1592)です。
()内は生年。
マングルタイの序列は四大ベイレの3番目。ホンタイジよりは上です。
四大ベイレがハン(王)のヌルハチをサポートして政治を行うのが後金の制度です。
ヌルハチの死後。四大ベイレはヌルハチの遺言で大福普アバハイの殉死を伝えます。アバハイは4人いたヌルハチの正妻で唯一存命していた人物。アバハイにはアジゲ・ドルゴン・ドドの3人の息子がいました。
四大ベイレは殉死を嫌がるアバハイを説得。まだ成人していないドルゴン・ドドの面倒を見るという条件でアバハイは殉死を受け入れました。アジゲはこのとき成人して独立しています。
ドラマ「長安賢后伝」で沐王妃のモデルになったのがアバハイです。ドラマでは後々、沐王妃の死の真相を巡って兄弟間の争いが怒りますが。史実ではアバハイの殉死を巡る問題は起きてません。後にドルゴンが摂政王になったときも「母を死においやったのはホンタイジたちの陰謀だ」なんてことは言ってません。むしろ「母は言われて殉死したのではない、自ら殉死した」と殉死を美化しています。
ヌルハチ死後の後継者争いでは脱落
そして。次のハン(王)を選ぶ王族重臣会議が開かれました。満洲人の習慣では王が生前に後継者を選ぶ習慣はありません。
マングルタイはヌルハチの正妻の子です。四大ベイレの一人ですからハンになる資格があります。でもマングルタイは選ばれませんでした。
マングルタイは過去に生母フチャ氏を殺害しています。そのため王族や重臣たちからも評判がよくないのです。
生母のフチャ氏はかつてヌルハチを怒らせたことがありました。
その理由はヌルハチの次男ダイシャンと不適切な関係だったといわれます。ダイシャンとの不倫はアバハイが有名ですが。フチャ氏も同じようなことがあったといわれます。
というのも遊牧民社会では王の死後、妻や側室は次の王が養う事になっていました。当時ダイシャンは最も有力な後継者候補でした。
そこで年老いたヌルハチの次は息子のダイシャンだ。ということでヌルハチの福普がダイシャンに接近、親しくなろうとしていたのです。
そのためヌルハチは激怒しましたが、情があったのかあまり重い罰は与えられませんでした。ちなみにダイシャンはこの事件で後継者としての信用を失ってしまいます。
ところがマングルタイは父のご機嫌をとるため母を殺害してしまいました。マングルタイは戦場では強いのですが、性格に問題があったのでリーダーには向かないと判断され。ハンには選ばれませんでした。
四大ベイレはそれぞれ。ダイシャンは不倫。アミンはヌルハチの子ではない。マングルタイは母殺し。のマイナス面があり。唯一欠点がないのがホンタイジでした。そこでホンタイジに決定しました。ドラマのようなドラマチックな展開はなかったのです。
四大ベイレの共同統治
ホンタイジが後金のハン(王)になっても政治は四大ベイレの共同統治で行いました。ホンタイジはハンとはいっても四大ベイレ最年少で序列は一番下。王族会議を主催する立場ですが、独裁的な力はありません。
マングルタイたち四大ベイレはホンタイジにも遠慮がありません。当然ホンタイジは不満なので権力を握るための方法を考えます。
ホンタイジと対立
マングルタイはもともと気性が荒いうえにホンタイジより年長。しかも「共同統治者である」という意識のせいか。ホンタイジとマングルタイは仲があまり良くありません。
マングルタイの同母妹マングジもホンタイジと仲が悪く。兄妹でホンタイジと対立していました。
1631年。明との戦いの最中についに二人は衝突。
陣営にいるとき、ホンタイジとマングルタイは口論になりました。怒ったマングルタイは剣に手をかけました。同母弟(十男)のデゲレイがマングルタイを止めようと殴りましたが、マングルタイは逆上して剣を抜いて振り回しました。
この事件でマングルタイはホショイベイレ(親王)の座を剥奪されドロイベイレに降格。
その後。マングルタイはモンゴルや明との戦いにも参戦しましたが。陣中で病死しています。
その後。弟のデゲレイも病死しました。
四大ベイレの中でも気性が荒かったのがアミンとマングルタイ。その二人が蕭承耀と蕭承泰のモデルになりました。
コメント