毛海峰・王直の養子になって倭寇認定された明の密貿易商

明2 明・宋

毛海峰(もう・かいほう)は16世紀の明の貿易商(密貿易専門)です。明の朝廷からは倭寇と思われていました。倭寇といっても明で生まれ育った漢人(漢族)です。

本名は毛烈(もう・れつ)。王滶(おう・ごう)ともいいます。

当時、明で最大の勢力を誇った貿易商(密貿易)王直(おう・ちょく)の養子です。当時の明は鎖国(中国では海禁といいます)をしていたので民間貿易はできません。民間の貿易商は密貿易していることになります。

毛海峰は西洋の火器の扱いが得意で王直に気に入られ養子になりました。日本にもやってきて貿易をしていました。

史実のはどんな人物だったのか紹介します。

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毛海峰の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:不明

姓 :毛(もう)
名 :烈(れつ)
字 :海峰(かいほう)
別名:王滶(おう・ごう)

国:明
地位:商人

父:毛相
母:不明
兄:毛明

妻:不明
子供:不明

日本では戦国時代になります。

おいたち

毛海峰の生年は不明。
出身地は寧波府鄞県(現在の中国浙江省寧波市)

父は官吏の毛相(もう・そう)
毛家は裕福な役人の家でした。
兄は科挙に合格しています。

明は鎖国(中国では海禁といいます)をしていました。
嘉靖帝時代も貿易が制限されていた時代。でも朝廷は海禁令を出して民間の貿易を禁止していまいたが。民間業者は海禁令を平気で破って密貿易をしていました。貿易業者は朝廷の重臣たちに賄賂を渡し、密貿易はあるていど黙認されていました。

そこで父の毛相は密輸を行っていました。密輸品には武器もありました。毛海峰は西洋の武器の扱いに詳しくなりました。

大商人・王直の養子になる

父の死後、商売(密輸)は兄の毛明が受け継ぎました。

毛明は投資に失敗。借金が返せなくなった毛明は弟の毛海峰を借金のカタとして手放してしまいます。

毛海峰は毛家の取引相手だった王直(おう・ちょく、汪直とも書きます)に預けられました。

王直は嘉靖時代を代表する明の大商人。明と諸外国(日本や東南アジア)との貿易で財をなした人物です。といっても明は民間の貿易を許可していないので王直の貿易は「密輸」です。そのため明の朝廷からは「王直は倭寇(海賊)の頭目」と思われていました。

様々な商人が王直の庇護のもと密輸に参加、利益を得ようとしていました。毛海峰の父もそうして儲けようとしていた人物のようです。

毛海峰は「仏郎機(フランキ)」というポルトガル制の大砲の扱いに詳しく。扱いも上手でした。

王直は西洋の火器の扱いに詳しい毛海峰を気に入って養子にしました。毛海峰は王直の養子になって 王滶(おう・ごう)の名を与えられました。

毛海峰は徐惟学や叶宗満とともに王直直属の船団長になりました。

王直の本拠地があった烈港と日本との貿易を担当していました。
王直は平戸(長崎県平戸市)や五島列島にも拠点をもっていました。平戸の大名・松浦氏や山口の大名・大内氏とも取引がありました。

種子島に鉄砲を伝えたのも王直の船です(東南アジアから明に行く途中で難破したようです)。

毛海峰は自分のことを「海峰」と言ってたので歴史の資料では「毛海峰」と書かれることが多いです。

明軍の烈港襲撃で本拠地を失って日本へ

一時期、密貿易を黙認していた明の朝廷でしたが。やっぱり取り締まろうということで。密貿易の取締を強化しました。するとそれに反発した明の貿易商達があちこちで略奪行為をはじめました。

嘉靖32年(1553年)。海賊に頭を悩ませていた明朝は海賊討伐を決定。

明の朝廷は「王直のしわざ」と判断。王忬(おう・よ)を派遣しました。

実際には王直とは別のグループが暴れていたようですが、当時は貿易商といえば「王直」というくらい名が知られていたようです。

王忬配下の武将・兪大猷(ゆ・たいゆう)と湯克寛(とう・こくかん)は烈港にやってきて、港や施設を破壊しました。

王直は数百人の仲間とともに烈港を脱出。平戸(長崎県平戸市)に逃げてきました。その中に毛海峰もいました。その後、王直と毛海峰は平戸や五島列島の拠点を中心に活動を続けます。

リーダーの王直が逮捕される

嘉靖32年(1553年)。新しく総督になった胡宗憲(こ・そうけん)は武力だけでは倭寇を撲滅できないと考え。王直が戻ってくれば官位を与え貿易を許可すると説得。

嘉靖34年(1555年)。胡宗憲は使者の蒋洲(さい・しゅう)、副使の陳可願(ちん・かがん)を五島列島に派遣してきました。毛海峰は蒋洲と会って王直に紹介しました。

王直は蒋洲の提案を受け入れました。王直たちは明朝廷の重臣に賄賂を贈っていました。胡宗憲の提案に自信があったようです。

王直は九州最大の大名で主要な取引先だった大友宗麟に明と貿易ができると報告しました。

毛海峰と叶宗満は王直の命令で陳可願を護衛して明に渡り胡宗憲に会いました。蒋洲は五島列島に残りました。胡宗憲は毛海峰と叶宗満を説得。毛海峰たちも胡宗憲を信用しました。

嘉靖36年(1557年)。王直と毛海峰は使者の蒋洲、大友家の使節団400人、王直の所にいた明からの流人600人とともに明に渡りました。

ところが明に渡る途中で蒋洲の船が嵐で流されて明に漂着。現地の役人に捕まってしまい罪人として投獄されてしまいます。

王直と毛海峰たちも明に到着すると明の水軍に取り囲まれてしまいます。

しばらく膠着状態が続きました。

嘉靖36年(1558年)2月。明の朝廷は兪大猷(ゆ・たいゆう)と戚継光(せき・けいこう)に総攻撃を命令。

この戦いで王直と叶宗満が逮捕されてしまいます。

毛海峰は大友艦隊とともに明の包囲を破って脱出。日本に戻りました。

大友宗麟はその後、明に見切りをつけてポルトガルとの貿易(南蛮貿易)を積極的に進めます。

胡宗憲は途中までは本気で王直を取り立てるつもりだったようです。ところが明の朝廷で胡宗憲の仲間だった趙文華(ちょう・ぶんか)が失脚。朝廷内で孤立した胡宗憲は王直を裏切りました。

嘉靖38年(1559年)。王直は処刑されました。

後に胡宗憲も倭寇との内通を疑われれて処刑されます。

王直の復讐を誓って海賊になる

明の裏切りにあった後。毛海峰は王直の復讐を誓い王直の残党を集めて江南から福建あたりの海岸を荒らしまわりました。

毛海峰だけではありません。王直の死後。統制がとれなくなった明の海賊は明の沿岸を荒らし回ります。

これが「嘉靖大倭寇」とよばれる争いです。

それ以前から本物の倭寇や明の海賊による略奪行為はありました。倭寇は明の軍隊も手を焼くほど強かったので倭寇に出会うと逃げ出すものもいたほどです。

そこで明の海賊も日本人風の髪型をして日本刀(かなりの数の日本刀が明に輸出されています)をもち倭寇の真似をするようになります。その方が楽に稼げるからです。

海賊の襲撃は王直の死後からさらに大規模な争いに発展します。倭寇(海寇、海盗ともいいます)は多国籍の武装組織になっていました。

この時代の倭寇は7~9割が中国人。このことは中国はもちろん日本でもあまり知られていません。「嘉靖大倭寇」は明の内乱といったほうが良いかもしれません。

毛海峰の最期がどうなったのかは不明です。王直派の残党を率いて「嘉靖大倭寇」を戦い命を落したのかもしれません。

 

テレビドラマ

花様衛士 2019年、中国 演:梁靖晨
 ドラマは嘉靖37年から始まるので王直はすでに投獄中か処刑後。
 毛海峰が海賊のリーダーの用になってます。賄賂政治加として有名な巌世蕃に味方しているという設定。歴史上、毛海峰と巌世蕃が繋がっていたという証拠はありませんが。王直派は朝廷の重臣にも賄賂を渡していたのでありえない設定ではありません。

 

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