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上陽賦:王藺(おうりん)は実在するの?モデルは?

上陽賦(じょうようぶ) 2 ドラマ人物

王藺(おう りん)は中国ドラマ「上陽賦(じょうようぶ)」の登場人物。

ヒロインの王儇(おう・けん)の父親で大成国の丞相(宰相)。

大成国の貴族で一番力を持つ名門・琅琊王氏の出身です。

代々皇后を出してきた一族で、娘の王儇も将来の皇后にしようとしています。最終的には皇帝に代わって自分が権力をもとうと考えています。

上陽賦は架空の王朝を舞台にしたドラマ。でもゼロから作っているのではありません。モデルになった国や人がいます。

王藺(おう りん)のモデルになった人物は実在するのでしょうか?いるとしたら史実ではそのような人物だったのでしょうか?

ドラマに登場する王藺(おう りん)とそのモデルになった人物を紹介します。

 

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ドラマ「上陽賦」の王藺(おう りん)

王藺(おう りん)

演:于和偉(ユー・ホーウェイ)
(三国志・司馬懿 軍師連盟:曹操)

声:志村貴博

 

王藺(おう りん) 周辺の相関図

関係者の相関図を載せておきます。

上陽賦相関図

 

ドラマ「上陽賦」の王藺とは

靖国公。大成国の丞相(宰相)。
妹は王皇后。皇帝からの信頼が厚い重臣。
皇帝の死後。自分が次の皇帝になろうと野心を持ちます。

 

王 偃(おう えん)

王藺のモデルになったのが王偃(おう えん)という人物。

王偃は古代中国の南北朝時代。宋(劉宋)の政治家で貴族。

名門の琅邪 王氏の出身です。

司馬睿(元帝)に協力して東普の建国に貢献した王導のひ孫。

父は王嘏。
母は鄱陽長公主。東普の8代皇帝 簡文帝 司馬昱の娘。

琅邪 王氏は東普・劉宋で力をもつ貴族でした。東普・劉宋や皇族とも代々縁組をしています。

王偃は宋武帝 劉裕(りゅう ゆう)の次女・呉興長公主 劉栄男と結婚。

王偃は皇帝から信頼され大都督、太傅、丞相など重要な役職を任されました。王偃は控えめな性格で、皇帝には忠実でした。

恐妻家だった王偃

王偃は本人が問題を起こすことはなかったのですが。妻の呉興長公主 劉栄男は怖い人物だったようです。「劉栄男」という名前ですが女です。名前通りの人物になってしまったようです。

呉興長公主は短気な人物でした。呉興長公主は気に入らないことがあると夫の王偃の服を脱がせて木から吊り下げて虐待していました。

あるときとても寒い日に王偃は吊り下げられました。王偃の弟の王恢は、兄が虐待されていることを聞いて助けに来ました。王恢は王偃を助け出し、呉興長公主を罵倒しました。王偃は助けられた時凍えていたといいます。

中華王朝の公主はとても偉そうにしていて、皇帝の権力を利用してわがままなな人が多かったようです。下手に逆らうと皇帝に言いつけて処罰を受けることもあるので大変です。

王偃は丞相まで務めたのですが、おとなしい性格だったようで皇帝に忠実なのはもちろん、妻からも虐待を受けるような人物でした。

王偃の子供

男子:
王藻(東陽郡太守。文帝の六女・臨川長公主劉英媛と結婚。王藻が呉崇祖を寵愛したので臨川長公主は皇帝に訴えて王藻は投獄され、獄中死しました)
王懋(光禄大夫・南郷侯)
王攸(太宰従事中郎、早逝)
王臻

女子:
王憲嫄(宋孝武帝の妃・文穆皇后)
 王憲嫄が上陽賦のヒロイン・王儇(おう けん)のモデル。

 

王偃は琅邪 王氏の生まれて家族構成も王藺と同じでモデルになったのは間違いないです。でも、ドラマの王藺は野心家で自分が皇帝になろうとしています。史実の王偃は皇帝に忠実な臣下でした。王偃と王藺の性格は正反対です。

悪い王氏のイメージは次に紹介する王敦の方が近いです。

 

王敦(おう とん)

東普の建国に協力

王敦(おう とん)は東普時代の重臣。東普の建国に貢献した王導の従兄弟。

王敦も王導とともに東普の建国に協力。建国後も反乱を鎮圧して実績を重ね。王敦の力は皇帝より大きいのではないかと言われるようになりました。「王馬が天下を共有する」と言われたのもこのころ。

元帝 司馬睿(しば えい)は琅邪 王氏の力が大きくなるのが不満でした。建国に貢献した王導や王敦を遠ざけ、自分が選んだ側近を可愛がって政治をしようとしました。

第一次王敦の乱

それに怒ったのが王敦です。元帝の側近 劉隗(りゅう かい)、刁協(ちょう きょう)達の排除を訴えて反乱を起こしました。元帝は王敦に攻撃を止めるように命令しましたが、王敦はいうことを聞きません。

劉隗、刁協たち元帝の側近は殺害され。落胆した元帝もまもなく死亡しました。

こうして1回めの反乱は成功。元帝の死後。皇太子 司馬紹が2代皇帝 明帝になりました。

司馬紹は勇敢で評判のいい人物でした。自分のいいなりになりそうもないと思った王敦は司馬紹の即位に反対しました。司馬紹を支持する重臣 温嶠たちが抵抗。司馬紹は無事即位しました。

王敦と王敦の兄 王含。そして彼らの部下たちは明帝をバカにして失礼な態度をとっていました。その野蛮なふるまいに同じ琅邪 王氏からも嫌われて、王敦、王含は孤立していきます。

第二次王敦の乱の最中に死亡

王敦・王含のふるまいに我慢できなくなった明帝は祖約、蘇峻を呼び出して王敦の討伐を命令しました。

このとき王敦は重病で軍の指揮がとれず兄の王含が指揮しましたが敗北。王敦も病死しました。

ドラマ「上陽賦」の王藺の行いは王敦に近いですね。

王藺は王偃と王敦をあわせたような人物のようです。

 

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