韓国時代劇「イ・サン」にはパク・テス(朴大壽)が登場します。
幼いころのサンやソンヨンの友達でした。成人したパク・テスはやがてイ・サンを護衛する武官になります。
パク・テスは架空の人物です。
でもモチーフになった人物がいます。
それが白東脩(ペク・ドンス)です。
「ペク・ドンス」は韓国ではドラマが作られるくらい有名な人物。
でも韓国時代劇の「ペク・ドンス」はまったくの作り話なので事実ではありません。
実在した白東脩(ペク・ドンス)は武官でした。
武官の地位が低かった李氏朝鮮では珍しく現代でも名前が伝わっている人物。ペク・ドンスは朝鮮の武人の代名詞ともいえる存在なんです。
その実在した武官の白東脩(ペク・ドンス)がパク・テスのモデルになっています。
パク・テスのモデルになった白東脩(ペク・ドンス)はどんな人物だったのか紹介します。
「イ・サン」のパク・テス(朴大壽)とは
ドラマではイ・サン、ソンヨンとともに子供時代から登場。
幼いころに両親を亡くし、叔父のタルホに育てられました。タルホは宦官のため、パクテスも宦官にされそうになりましたが。タルホによって去勢は免れました。
宦官見習いとして宮中に入り、幼い頃のイ・サンやソンヨンと出会い友情を育みます。
結局、去勢する事ができず宮中を去りました。
その後、武官となるため勉強を開始。ホン・グギョンと出会って助けてもらい、武科試験に合格。武官になりました。
ソンヨンのことが好きですが、彼女の気持ちを知っているのでその気持は抑えています。
正祖の護衛となって活躍。どんなときでもサンを守りました。
ソンヨンやサンが亡くなっていく中でも生き続け。
ドラマの終わりではサンの息子・コン(第23代 純祖)の護衛官となるのでした。
ドラマの中でも印象的な人物です。
パク・テスは実在する?モデルはいる?
イ・サンは実在の人物。ソンヨンは脚色されていますが、実在する人物がモデルになっています。
でもパク・テスは架空の人物。
でもキャラ設定に参考にしたと思われる人物はいます。
それは正祖時代の護衛武官 白東脩(ペク・ドンス)です。
白東脩も武官になって正祖や純祖の護衛をしていました。パク・テスとは似ているところがあります。そこでパク・テスのモデルになったと思われる白東脩(ペク・ドンス)を紹介します。
パク・テスのモデル白東脩(ペク・ドンス)とは
科挙に降格してもなかなか武官になれなかった
ペク・ドンスは 1743年(英祖19年)に誕生。
祖先は両班で戸曹判書を勤めたこともある白時耉。20代景宗のとき政変で処刑されました。
白東脩の祖父は庶子だったので、白東脩は両班ではありません。
若いころに「剣仙」といわれた金体乾(キム・チェゴン)の息子・金光澤(キム・グァンテク)に剣を習いました。
1771年(英祖47年)。白東脩は科挙の武科に合格。でも身分が低かったことと、空いた役職がなかったので役職につくことができません。農業や牧畜をして暮らしていました。
正祖の護衛武官になる
1776年。正祖が即位。正祖は王宮を守る荘勇営を創設。すると白東脩は武官として採用されました。
1789年(正祖13年)。新しい武芸書を作成するように命令を受け、李徳懋や朴斉家とともに武家遺書「武芸図譜通志」を完成させました。
その後も武官を勤め、1792年には忠清道の県監を勤めました。県監は地方の役人です。現代の市長のようなものです。
1795年(正祖19年)。恵慶宮洪氏の生誕60年祭の年に荘勇営哨官に復帰。
ところが正祖の死後、災難がまっていました。
1806年(純祖6年)。領議政の李秉模が汚職があったと主張。白東脩は流罪になってしまいます。でも1810年(純祖10年)に許されて軍器副正に任命されました。
1816年(純祖16年)。死去。享年74歳。
白東脩が本当に汚職をしたのかはわかりません。
手柄をたてて有名になと、たいていは濡れ衣を着せられて失脚させられます。李氏朝鮮では武官の地位は低いので、あまり目立つような活躍をすると重臣たちから疎まれました。
純祖時代は正祖が育てた人材がことごとく粛清された時代。白東脩も濡れ衣の可能性はありますね。
パク・テスと白東脩には直接は関係ありません。
でも若い頃は貧しい生活をして、正祖が即位すると新しく作った軍の一員になるのは似ています。ペク・ドンスが参考になったのでしょうね。
ドラマ「イサン」後半には ペク・ドンス という名前の武官も少しだけ登場します。
ペク・ドンスを参考に作られたパク・テスとペク・ドンス自身が登場するとは面白いですね。
コメント
テスのモデルが実在してたんですね!他に実在された方はいますか?
武官では他にはいないようです。劇中の王族、側室、赤い服の重臣はほとんど実在します。