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沈珍珠(睿真皇后)唐に実在した幻の皇后

とう 5.2 隋唐の皇后・側室

(出典:楽天市場)

麗王別姫のヒロイン「沈珍珠」は唐の時代に実在した人物。
11代皇帝・代宗の側室で12代皇帝徳宗の生母です。

珍珠は本名ではなく愛称です。真珠のように美しかったことから「珍珠」と呼ばれました。中国語では真珠は「珍珠」と書きます。

沈珍珠は広平王(後の代宗)の妾室でしたが唐の国を混乱に陥れた安史の乱で行方不明になりました。その後は夫の代宗や息子たちが探しましたがみつかりませんでした。

後に夫や息子が皇帝になったことから本人がいないまま睿真皇后の称号が与えられました。

幻の皇后といわれるミステリアスな存在です。

史実の沈珍珠はどんな人物だったのか紹介します。

 

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睿真皇后・沈珍珠の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:不明

国:唐

通称:沈珍珠(しん ちんじゅ)
本名:沈媛(しん えん)
称号:睿真皇后(えいしんこうごう)
父:沈易直
母:不明
夫:李俶(代宗)

子供:李适(徳宗)

彼女は唐の11代皇帝・代宗の妃です

日本では奈良時代になります。
孝謙天皇とほぼ同世代。同じ時代に生きた人物は吉備真備、阿倍仲麻呂です。

おいたち

出身は名家のお嬢様

本名は沈媛。

沈珍珠(しん ちんじゅ)という名前は民間に伝わる言い伝えです。

名門貴族・呉興沈氏の出身。

六代前の祖先・沈勰(しん・きょう)は南梁の安陸郡で太守をしていました。ところが南梁は滅亡。一族をひきつれて北周に移住しました。

沈勰のひ孫・沈琳の墓碑によると。沈勰の娘は武帝・宇文邕(うぶん・よう)の正室・沈皇后になっています。

歴史書では武帝・宇文邕の皇后は阿史那(アシナ)氏だけです。阿史那氏以外にも皇后がいたのかもしれません。

その後の沈一族も隋・唐に仕えました。

父の沈易直は唐の大理正(従五品下・警察と裁判官をあわせたような役職)でした。死後、秘書監(従三品)・大師(名誉職)を贈られています。

741年。玄宗の時代。宮殿に良家の評判のよい娘たちが集められました。宮廷に仕える宮女(侍女)を選ぶためでした。その中に沈珍珠もいました。

皇太子の宮殿で侍女になる

沈珍珠は皇太子の李亨(後の粛宗)の宮女に選ばれました。

当時、李亨には息子の李俶(のちの代宗)がいました。当時の李俶は広平王とよばれていました。

広平王・李俶の側室になる

どうやら李俶は父の宮殿で侍女として働いていた沈珍珠を気に入ったらしく、李俶は沈珍珠を自分の侍女にしました。

沈珍珠はすぐに広平王のお気に入りの妾になります。そのときに沈珍珠という愛称を与えられました。

名前の「珍珠」とは「真珠」という意味です。

沈珍珠の生年はわかっていません。このとき10代後半だったとすると沈珍珠の生年は722~727年になりますね。

742年。長男の李适(後の徳宗)が産まれます。

当時の唐では玄宗皇帝の寵愛をうけていた楊貴妃は一族を要職に就かせていました。

玄宗は韓国夫人の娘・崔氏を李俶の正室に決めました。李俶としては沈珍珠が気に入っていました。でも祖父・皇帝の命令なので逆らえません。

しかも崔氏は嫉妬深い性格だったらしく、沈珍珠の宮廷暮らしも楽ではなかったでしょう。

755年。楊一族と安禄山の対立が激しくなり安史の乱が起こります。

広平王と生き別れ

皇帝達は都を捨てて逃げました。置き去りにされた皇族や宮中関係者もいました。沈珍珠も取り残され戦争の混乱で広平王とは離れ離れになってしまいました。

沈珍珠は安禄山の兵に捕まってしまいます。

困難のさなか広平王の父・粛宗が即位しました。

757年。広平王は父・粛宗ともに洛陽を取り戻しました。沈珍珠は救出され、広平王と再開しました。

しかし反乱はまだ続いていました。長安は危険だと言うので沈珍珠は洛陽にとどまることになりました。

758年。広平王が皇太子になります。

再び生き別れ

759年。安禄山の一味、史思明が洛陽を襲撃。洛陽は陥落し沈珍珠は行方不明になりました。

761年。反乱が鎮圧され洛陽は平和になりました。でも、沈珍珠は見つかりませんでした。その後の消息は不明です。

 

死後も捜索は続く

代宗時代

762年。広平王が即位、代宗になりました。代宗は沈珍珠のことがわすれられず、皇后の地位をあけたまま即位しました。代宗には他にも後宮に貴妃獨孤氏がいましたが皇后にはなれませんでした。広平王の沈珍珠への愛情は別格だったようです。

779年。代宗が死去。息子の李适が即位。徳宗になりました。

 

息子の徳宗時代

徳宗は沈珍珠の息子です。母の沈珍珠に「睿貞皇太后」の称号を贈りました。徳宗も母のことがわすれられず沈珍珠を探しました。でも今回も見つかりませんでした。

高力士の娘という娘が沈珍珠なのではないかと噂されました。調べたところ別人でした。

その後も沈珍珠が見つかったという噂もありました。その全てが偽物でした。偽沈珍珠事件が何度か起きています。唐の国ではそれだけ関心が高かったようです。

 

孫の順宗時代

805年。徳宗が死去。順宗が即位しました。順宗は沈珍珠の孫です。
順宗も祖母を探しましたが見つかりませんでした。

やがて捜索は打ち切られ、陵墓が造られました。もちろん本人のいないお墓です。

 

TVドラマ

麗王別姫 2017年、中国 演:景甜(ジン・ティエン)

 

 

コメント

  1. 冬珠に より:

    初めまして。
    現在放映中の『麗王別姫』に嵌ってしまい、あらすじやwikiなど読みました。そこで疑問に思ったのですが、史実では何故、沈珍珠は洛陽に取り残されたのに、後に貴妃となる独狐氏は取り残されなかったのでしょうか?

    私の推測ですが、

    ①洛陽脱出は後回しにされ間に合わなかった。沈珍珠は若い頃に第一皇子の李适を産んでますが、他に確認できる所生の子女が見当たりません。寵愛がより若い?独狐氏に移りそちらの脱出が優先された。

    ②ドラマのように妊娠・出産で身動きが取れなかった。

    どのようにお考えでしょうか?

    よろしくお願いいたします。

    • Fumiya より:

      冬珠にさんこんにちは。
      私も不思議に思ってもう一度調べてみました。
      長安脱出の時はまだ独孤氏はいなかったようです。
      長安奪回後。
      李俶が皇太子になった後に選んだ新しい妃が独狐氏です。

      • 冬珠ファン より:

        Fumiyaさん、お返事ありがとうございます。

        獨孤氏の件、納得致しました。

        また、崔妃はやはり正妃だったので洛陽に留め置かれる事なく
        李俶に同行できたという事ですね。

        • Fumiya より:

          長安脱出は楊国忠の提案で行われました。密かに逃げるために同行できる人たちは限られたようです。
          崔妃が脱出できたのも正妃で楊一族の血をひいていたからでしょうね。

  2. やさい参謀 より:

    麗王別姫が面白くて関連情報を調べていたところ、たまたまこちらのサイトを拝見させてもらい、色々と新しい発見がありとても感謝しています。

    自分も少し沈珍珠の情報を調べてみたのですが、麗王別姫で描かれていた様な沈珍珠と安慶緒の関係に関する情報が特に出てこなかったので、二人の関係(特に珍珠に対する安慶緒の異常な執着心など)は演出の可能性が高いですねw
    (史実もドラマの様に案慶緒が珍珠に夢中であったなら凄く歴史のロマンがあるのですがw)

    そこで疑問があるのですが、珍珠が安禄山の乱の時に逃げ遅れて洛陽で捕らわれの身になっていた時に、安禄山は長男を唐朝廷に処刑された恨みから捕らえた皇族を次々に殺害していたにも関わらず、史実でもなぜか救出されるまで珍珠が唐に怒りを抱いたていた安禄山に処刑されなかったのかがとても不思議に思いました。

    ドラマでは珍珠が処刑されそうな時に安慶緒が機転を利かして急所を外し死んだように見せかけてなんとか安禄山を欺いていましたが、洛陽で捕らわれていた最中の珍珠がどういう状態で過ごしていたのかの情報がないので、人質として何かを要求するわけでもないのにどういう理由で安禄山が珍珠を生かして生かしていたのかが凄く謎です。

    結局、捕らわれの最中に安慶緒が謀反を起こし、その後の燕内部のごたごたや唐の反撃もあり安慶緒は洛陽を捨てそのどさくさで珍珠が救出された事になっていますが、もしドラマの様に安慶緒が珍珠に執着していたならばこの時にも手放さなかったと思います。

    Fumiyaさんの考察では、珍珠が安禄山に洛陽で捕らわれの最中に処刑されたかったのは安慶緒が何かしらの介入をしたから(ひょっとして本当に愛していたから)だと思いますか? 是非意見を聞かせて頂けると嬉しいです。

    では、これからも中国ドラマの情報を楽しみにしています。 長文失礼しました。

    • Fumiya より:

      やさい参謀さん、こんにちは。
      そうですね。詳しいことはわかりませんけれど。
      安禄山は楊国忠や家族を殺した玄宗に恨みはあっても。王族の側室まで殺す必要はなかったのでしょう。
      安禄山や安慶緒は、沈氏を自分の側室にしようと思って生かしておいたのかもしれません。
      安慶緒が唐軍に攻められて洛陽を放棄した時に沈氏を連れて行かなかったのは、玄宗が主な妃と血の繋がりのある息子・孫だけを連れて逃げたのと同じ。
      沈氏は安慶緒にとっても本命ではなかったのだと思います。とくに安慶緒が落ち延びるときは多くの裏切りが出たので後宮の人たちまで連れて逃げる余裕はなかったと思います。
      以上が私の想像です。

  3. 松ぼっくり より:

    私はやっぱり麗王別姫なのです。

    長安に安倍仲麿がいる時 玄宗皇帝から国会図書館の館長に確か任命された と読みました。
    ならば珍珠のお父様 珍易直とお会いに?一緒に仕事を されたのではないでしょうか、期待しています。 教えて下さい。m(_ _)m

    • Fumiya より:

      こんにちは。珍易直の資料はなかなか見つからなくて探すのに手間取ってしまいました。
      探している間に新たな事実がわかってしまいました。実は、珍易直の生前の仕事は大理正(従五品下・警察と裁判官をあわせたような役職)でした。
      秘書監(従三品)は死後に名誉職として贈られた位でした。というわけで珍易直と安倍仲麻呂が一緒に仕事したことはなかったみたいです。同じ時期に唐にいたのはたしかなんですけどね。ちょっと部署が違うみたいです。期待させてすみません。
      沈氏(劇中の珍珠)が入宮したときの仲麻呂の位は従五位上。その後、生前の仲麻呂は正三位まで昇格。死後、従二品になります。
      仲麻呂は珍珠のお父さんよりも高い位にいたみたいです。

  4. ななし より:

    いつもドラマを見ては「実際はどうだったのかな?」と楽しく読ませて頂いてます。

    是非、実際の崔彩屏はどんな方だったのかも載せて頂けたら嬉しいです。

    • Fumiya より:

      ななしさん、ありがとうございます。
      崔彩屏は作ってませんでしたね。さっそく作ってみました。他にも知りたい人物があればリクエストくださいね。

      • ななし より:

        早速ありがとうございました♡すごく嬉しいです!
        これからも楽しみにしています。

        またわからない人物がいた時はよろしくお願い致します。

      • まつぼっくり より:

        珍珠のご両親は本当に殺されたのですか。後ろだてがないからと催崔屏や靖遥ら側近からもいじめられましたが…

        • Fumiya より:

          まつぼっくりさんこんにちは。珍珠の両親が殺されたのはドラマの作り話です。歴史上は名家の娘を集めた選抜試験で宮中に入ってます。後ろ盾がまったくない。なんてことはなかったと思います。でも相手は楊貴妃と関係のある人たちですから。相手が強すぎますね。

          • 松ぼっくり より:

            ありがとうm(_ _)m。
            私は今もって日本の歴史と共に見るのが大好きです。

            珍珠が静遥に追い出されて2年李俶から離れます。
            そして可干に真実を知らされ
            た時
            李俶は静遥を咎める場面がないのが悔しくてなりません。
            いくら静遥に助けて貰ったとは言え珍珠の気持ちに報わない。李俶の言葉がないのが…  

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