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徐恵(徐賢妃) 李世民の愛した側室は唐で初めての女流詩人

4.4 隋・唐

徐恵は唐の第2第皇帝 太宗・李世民の妃です。

唐時代の女性詩人としても知られています。唐で最初の女流詩人といわれます。

中国ドラマ「武則天・The Empress」では 徐慧(じょけい)の名で登場します。

「恵」と「慧」の発音はどちらも「ケイ」、中国語では「フェイ」です。

「恵」は「めぐむ、情けをかける」という意味。
「慧」は「かしこい」という意味です。幼いころから語学が堪能で女性詩人としても有名だった徐恵らしいネーミングです。

死後、賢妃に追尊されました。

徐賢妃(じょけんひ)と呼ばれます。

史実の徐恵はどんな人物だったのか紹介します。

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の史実

いつの時代の人?

生年月日:627年
没年月日:650年

名称:徐恵(じょ けい)
地位:才人(正五品)→婕妤(正三品)→充容(正二品)→賢妃(追封)( 正一品 )
父:徐孝徳
母:姜化
夫:李世民(唐 2代皇帝太宗)

兄弟:徐齐聃、徐齊莊 、
妹:徐婕妤

子供:なし

彼女は唐の第2代皇帝・太宗の側室です。

日本では飛鳥時代になります。

おいたち

生まれて5ヶ月で言葉を喋り。4歳で「論語」「毛詩」を暗記しました。8歳で文章を書いたと言われます。彼女の書いた文章を見て父親は驚きました。徐恵が天才だという噂は世間に広まりました。やがて徐恵の噂は皇帝・太宗のもとにも届きます。太宗は彼女の評判を聞いて宮廷に召し出して才人(正五品)にしました。

徐恵は宮殿で読書をするのが好きでした。

太宗は徐恵の書いた美しい詩が気にいりました。太宗が愛した文徳皇后を思い出すようだったといいます。太宗は徐恵を婕妤(正三品)にしました。

貞観末年。唐は遠征を繰り返していました。宮殿の建築も行ったため、民衆が兵役や労役に駆り出されて苦しんでいました。徐恵は人々を気の毒に思い太宗に遠征をやめるように進言したといいます。太宗は徐恵の意見を採用し、彼女に褒美を与えました。

649年。太宗の死後。悲しみのあまり病気になり、翌年に死亡しました。食事や薬を口にせず、自殺をしたのだともいわれます。享年24。

太宗のあとを継いだ高宗によって「賢妃」の称号が与えられました。彼女の父を知事に昇進させました。 

詩人としての徐賢妃

徐恵は幼いころから語学力が優れていました。唐時代最初の女流歌人といわれます。宮中での生活の間にいくつもの詩を残しています。

徐賢妃の残した作品

・進太宗
 原文:
 朝來臨鏡臺,妝罷暫裴回。
 千金始一笑,一召詎能來。

 太宗との思い出を詩にしたもの。太宗が呼び出したにも関わらず、徐恵が化粧に時間をかけて太宗を焦らしている様子がユーモアを交えて描かれています。

・擬小山篇
 徐恵が子供の頃に書いたといわれる詩。この詩がなければ徐恵が太宗と会うこともなかったかもしれません。内容的には女性が男性を想う気持ちをうたったもの。10歳に満たない少女が大人の女性のような詩を作ったら父親はびっくりするでしょう。

・相和歌辭。長門怨
・長門怨
 漢の武帝の時代、寵愛を失った陳皇后の悲しみを歌ったもの。中国では有名な題材らしく李白など何人もの詩人が同じ題材で詩を作っています。長門は陳皇后の住んでいた宮殿です。

・秋風函谷應詔
 宮殿の外の自然の風景を描いた詩。宮中の女性は宮殿で暮らすことの多いので、山や河を題材にするのは珍しいです。太宗が遠征したときの様子をイメージしているともいわれます。

・賦得北方有佳人
 北部の女性の美しさを詠った詩

など

TVドラマの徐恵

武則天 The Empress(原題:媚娘传奇) 2014年、中国 演:張鈞甯 役名:徐慧

ドラマでは徐慧の名で登場します。優しくおとなしい性格で主人公・武如意の親友になります。しかしやがて李世民を巡ってライバル関係になり。武如意に嫉妬心を抱くようになります。

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