清朝には様々な爵位があります。
爵位とは王朝などで地位の高い人に与えられる称号です。
親王といった日本人にもわかりやすい爵位もあれば。
貝勒、貝子といった、字を見ただけではどういう意味なのかわからないものまであります。
この記事では清朝の皇族男子に与えられる爵位を紹介します。
清朝の爵位
和碩親王(ホショイチンワン)
読み仮名:わせきしんのう
発音:ホショ・イ・チンワン
皇族、外藩(モンゴル・新疆ウイグル・チベットの王)に与えられる爵位の中で1番高い地位。
省略して親王(しんのう)と呼ばれることが多いです。
和碩(ホショ)は満洲語で「王国」を意味意味します。
歴代中華王朝が使っていた「親王」に和碩(ホショ)を組み合わせた称号です。「イ」は助詞。日本語の「てにおは」になる部分です。漢文と違って満洲語には日本語のような「てにおは」があるのです。
「ホショ・イ・チンワン」とは「王国の親王」という意味です。
清朝ができたばかりのころは「ホショイベイレ(和碩貝勒)」と呼ばれていました。紫禁城を居城にする時代になると明王朝を参考に中華王朝式に制度を変えていきました。
すべての皇子が親王になれるわけではありません。親王の地位が与えられるのは皇子でも有力な一部の人だけです。清朝では皇族の中でも親王の地位がかなり高いのです。
鉄帽子王
世襲制の親王爵位が10あります。世襲制の爵位を持つ皇族を「鉄帽子王」といいます。
礼・睿・豫・粛・鄭・荘・怡・恭・醇・慶
「漢字一文字」+「親王」の称号がつきます。
例:怡親王、初代の怡親王は康熙帝(こうきてい)の十三皇子・胤祥(いんしょう)。雍正帝(ようせいてい)の時代に親王に任命されました。胤祥の後継者は代々怡親王を名乗りました。
鉄帽子王以外にも一代限りの親王もいます。世襲制でない親王の子はワンランク下がって郡王になります。
親王の妻は 福普(フジン)です。
親王世子
親王の跡継ぎは世子といいます。
発音は「シィズ」
「世子」は「太子」よりワンランク低い後継者の称号。皇帝の後継者は「皇太子」ですが、皇帝よりも格が落ちる「王」の後継者には「太子」が使えません。そこで「世子」の称号を使います。同じ理由で朝鮮などの従属国の王の後継者も世子です。
世子は勝手に決めることができません。皇帝(実際に手続きを行っているのは内務府)の任命(冊封)が必要です。
親王世子の序列は親王の下、郡王の上です。
つまり親王世子は郡王よりも偉いのです。
多羅郡王(ドロイグイワン)
皇族、外藩(モンゴル・新疆ウイグル・チベットの王)に与えられる称号の中で2番めに高い地位です。
読み仮名:たらぐんおう
発音:ドロ・イ・グイワン
省略して郡王(ぐんおう)と呼ばれることが多いです。
明朝時代からあった称号「郡王」に満洲語のドロイを組合わせた称号。「郡」とは国より狭い範囲の地域のことです。古代中国では現代日本と違って、国>郡>県の順に広さが変わります。
郡王の妻も福普です。
郡王長子
郡王の後継者は長子といいます。
郡王長子の序列は、郡王の下。多羅貝勒の上です。
多羅貝勒(ドロイベイレ)
皇族、外藩(モンゴル・新疆ウイグル・チベットの王)に与えられる称号の中で3番めに高い地位。
「ベイレ」は満洲(女真)語の「王」の意味。いくつかの部族をまとめる力の強い部族長は地域のリーダーでした。そのような部族をまとめる「王」のような存在を「ベイレ」とよんでいました。ヌルハチも最初は「ベイレ」でした。
ドロ(多羅)はもともとは「道路」の意味。そこから国より狭い範囲の地域を意味する言葉になりました。日本でいうと「東海道」や「北海道」の「道」に相当する言葉です。
ドロイベイレとは「(国より狭い)地域を支配する王」といった意味です。
ヌルハチが「後金」を建国して君主に「ハン」の称号を使うと「ベイレ」は皇族に与えられる称号になりました。
省略して貝勒(ベイレ)と呼ばれることが多いです。
固山貝子(グサイベイセ)
皇族、外藩(モンゴル・新疆ウイグル・チベットの王)に与えられる称号の中で4番めに高い地位。
もともと「グサ」は満洲語で「旗:軍団兼行政単位」。満洲人は軍団と領民が一体になった旗(グサ)という独特な組織をもっています。
ベイセは「諸侯」。軍団司令官みたいな意味です。「グサ・イ・ベイセ」の言葉が持つ意味は「軍団の司令官」みたいなかんじです。
清朝では皇族やモンゴル貴族に与えられる称号になりました。清朝では「称号」として使ってるだけなので固山貝子が実際に旗の指揮官をしているわけではありません。
省略して貝子(ベイセ)と呼ばれることが多いです。
奉恩鎮國公
皇族、外藩(モンゴル・新疆ウイグル・チベットの王)に与えられる称号の中で5番めに高い地位。
読み仮名は「ほうおんちんこくこう」
省略して「鎮国公」と呼ばれることが多いです。
こちらは満洲語由来ではなく歴代中華王朝から採用した爵位。
奉恩輔國公
皇族、外藩(モンゴル・新疆ウイグル・チベットの王)に与えられる称号の中で6番めに高い地位。
読み仮名は「ほうおんほこくこう」
省略して「輔国公」と呼ばれることが多いです。
こちらも満洲語由来ではなく歴代中華王朝から採用した爵位。
親王(世子)・郡王(長子)・多羅貝勒・固山貝子・奉恩鎮國公・奉恩輔國公の爵位を持つ一には一品・ニ品のような品階がありません。品階を超越したところにある存在だからです。
品階は臣下に与えられるもの。親王~輔國公は皇帝の子や親戚。爵位をもつ皇族は立場上は正一品の重臣より偉いのです。
清朝の爵位は権威だけ?
親王(世子)・郡王(長子)・多羅貝勒・固山貝子・奉恩鎮國公・奉恩輔國公になっても領地が大幅に増えるわけではありません。兵隊もほとんど持てません。親王でも数十人の兵をもてるだけです。屋敷を警備するのに必要最低限な兵力です。
これは歴代中華王朝が王侯貴族に土地や私兵をもたせすぎて、王族同士の戦いがおきていたから。清朝では皇族の内乱を防ぐため、皇族に高い爵位を与えても土地や私兵はほとんど持たせませんでした。おかげで清朝では皇族の大規模な反乱が起こりませんでした。こうして300年の長い王朝を支えたのです。
爵位では土地や兵があまり増えない代わりに、国から給料が出ます。
例えば皇族の親王は毎年国から銀1万両の俸禄が支給されました。中国では「両」は重さの単位。1両は約37g。銀1万両は370000g=370kgの銀が支給されました。外藩の親王は銀2500両です。他にも米や様々な現物支給があります。
銀は「銀錠」の形で支給されます。「元宝」といいます。ドラマの字幕では 銀子(ぎんす)になってることも多いです。
「元宝」とはこういう餃子の形をしたやつです。
中国時代劇や韓国時代劇でよく賄賂に渡しているやつですね。元の時代にこの形が広まったから「元宝」。かつてはもっと馬蹄の形に似た形をしていました。そのため日本では馬蹄銀ともいいます。
餃子は元宝の形に似ているので財運の象徴だとか?風水かなにかの本で見たことあります。
ちなみに餃子を「ギョーザ」と発音するのは満洲語「giyose」からきているようです。中国語(北京語)では餃子は「チャオズ(jiaozi)」です。
山東方言からという説もありますが。満洲語の方がギョーザに近いです。少なくとも日本人がギョーザと呼ぶのは満州に行った人が広めたのでしょう。
意外なところで馴染みがあるのですね。
それはともかく。
清朝時代には銀でできた「元宝」が支給され、通貨としても流通していました。
清朝の皇族はサラリーマンだったわけです。
旗王にならないと意味がない?
爵位とは別に。「旗王」という役職があります。清朝には8つの旗(グサ)があります。八旗といいます。
旗(グサ)は軍団と領地が一体になったもの。「旗王」になると旗(グサ)の支配権が与えられます。旗王は軍隊と行政の両方のトップです。
いくら親王・郡王になっても称号だけ。もちろんとても地位が高いので人々から敬われます。でも身分は高いのですが力はありません。
旗王は配下の軍の指揮権と領民の支配権をもっています。つまり「旗王」になるかならないかでは、影響力がぜんぜん違うのです。
八旗のうち3つは皇帝直轄です。残りの5つは有力な皇族が旗王に任命されて管理します。つまり本当に力を持っている皇族は5人しかいない。というわけです。
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