ドラマ「独孤伽羅・皇后の願い」で伽羅の友人として登場する陸貞は、北周に実在した陸 令萱がモデルになっています。
歴史上の陸 令萱は北周の宮中で皇帝の乳母として権力を集めた悪女といわれます。
史実の陸 令萱ははどんな人物だったのか紹介します。
陸貞の史実
いつの時代の人?
生年月日:504年
没年月日:577年
名称:陸 令萱(りく れいけん)、または陸貞(りく てい)
夫:駱超
日本では飛鳥時代になります。
おいたち
出身地はわかっていませんが、鮮卑の一族でした。
陸令萱は駱超の妻でした。
駱超が反乱を計画。事前にばれてしまい駱超は捕らえられ処刑されました。
北斉の宮中に入る
陸令萱は息子の駱提婆(らく ていば)とともに北斉に連れて行かれます。陸令萱は後宮に入れられます。
令萱と駱提婆は北斉の第5代皇帝。武成帝(高湛)に使える宮奴になりました。
令萱は言葉が巧みで頭のよい女性でした。武成帝と胡皇后の信頼を勝ち取りました。
胡皇后が息子・高緯(後主)を出産すると令萱は乳母になりました。乾阿妳と呼ばれました。
561年。高緯が即位すると令萱は女侍中になり宮中で大きな影響力をもちました。
武成帝は譲位したものの太上皇帝として実際に政治を動かしていました。
北斉の宮中で大きな権力を得る
565年。武成帝が死去。高緯が政治を行います。
息子の穆提婆も役人として取り立てられ、高緯に仕えました。
569年。重臣の和士開(わ しかい)と協力。
和士開や穆提婆と対立していた趙郡王高叡(こう えい)を殺害。婁定遠を青州刺史に、元文遙を西兗州刺史に左遷させました。
高緯が寵愛していた穆 邪利(ぼく しゃり)を養女にして、右皇后にさせました。息子の駱提婆(らく ていば)は穆提婆と姓を変えました。
令萱は長公主(ちょうこうしゅ=皇帝の姉妹)よりも上の地位につきました。
571年。和士開が死亡。祖珽と協力して趙 彦深(ちょう げんしん)を西兗州刺史に左遷しました。
陸令萱は息子の穆提婆(ぼく ていば)とともに宮廷で大きな影響力を持ちました。陸令萱親子は官位を売って不当に利益を得たり、賄賂を受け取ったりして私腹を肥やしました。
胡太后が曇献との醜聞がながれ幽閉されると、陸令萱は太后の地位を要求しました。しかし重臣たちの反対で実現しませんでした。
576年。平陽の戦いで北斉が北周に敗退。すると息子の穆提婆は北周に寝返ります。
陸令萱は息子が裏切った責任をとらされて自害しました。
他の家族も処刑され財産は没収されました。
ドラマの陸貞
後宮の涙(原題:陸貞傳奇) 2013年、中国、演:趙麗穎
独孤伽羅(原題:独孤天下) 2018年、中国、演:呂一
独孤伽羅では陸貞は独孤伽羅の友人として登場。宮中で権力を握った陸令萱とは別人という事になってます。
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