中国時代劇「皇帝の恋・寂寞の庭に春暮れて」のヒロイン・衛琳琅(えい・りんろう)のモデルは良妃 衛氏です。ドラマでも琳琅が良嬪に任命されます。
ドラマ「皇帝の恋」では琳琅はチャハル親王アブダイの娘です。
ところが実在の良妃衛氏はチャハル親王の娘ではありません。
滿洲正黃旗包衣という身分の人です。庶民です。
ではなぜ良妃衛氏の父親がチャハル親王になっているのでしょうか?
実は史実でも良妃衛氏の父親の名前は「アブダイ」だったのです。
でもチャハル親王のアブダイ(歴史上はアブナイともいいます)とは別人。
いったいどういうことなんでしょうか?
良妃衛氏のドラマと史実の家族構成を紹介しながら説明します。
ドラマ「皇帝の恋」の設定
ヒロイン 衛琳琅(えい・りんろう)の本名は博爾濟吉特·良児(ボルジギト・りょうじ)
チャハル親王 博爾濟吉特·阿布鼐(ボルジギト・アブダイ)の娘です。
ここでドラマの設定の親子関係をまとめてみましょう。
チャハル親王 博爾濟吉特(ボルジギト)家
父:阿布鼐(アブダイ)
母:親王福普(フジン) 納蘭明珠の妹。
長男:布爾尼(ブルニ)
次男:羅布蔵
三男:阿思海(アシハイ):長慶
長女:良児(りょうじ) :衛琳琅(八皇子 胤禩の生母)
チャハル親王はモンゴルの親王なので、モンゴル(現在の内モンゴル)で暮らしています。でもドラマではなぜか北京の近く(子供の脚でたどり着ける距離)に住んでいました。「モンゴル」と一言も出てこないのも意図的なものでしょう。
納蘭家
父:明珠
母:未登場
長女:恵児(恵妃)子の存在は描かれない
長男:容若
阿布鼐の妻と明珠は兄妹。
良児(衛琳琅)と恵児(恵妃)、容若はいとこ
史実での家族関係
清朝の記録などから再現できる歴史上の家族構成はこのとおり。
太赤字はドラマ「皇帝の恋」登場人物のモデルになった人です。
モンゴル
チャハル親王
博爾濟吉特(ボルジギト)家
父:阿布柰(アブナイ)、阿布鼐(アブダイ)ともいいます
母:温荘公主 ホンタイジの娘
長男:布爾尼(ブルニ)
次男:羅布蔵
ボルジギト(モンゴル語ではボルジギン)はモンゴルの王族の姓。チンギス・ハーンの子孫が名のります。
満洲人や中国にはない姓なので、ドラマに「博爾濟吉特(ボルジギト)」という名前が出てきたら「モンゴル出身だな」と思ってください。
かつてモンゴルにはチャハル部という部族集団がいました。アブナイの家はチャハル部の王家でした。チャハル部が清朝に服従した後、チャハル王はチャハル親王になりました。
チャハル親王家はモンゴル(現在の内モンゴル)で暮らしています。
でもアブナイは康熙帝の命令を無視して紫禁城に来ませんでした。皇帝の命令を無視し続けたので幽閉されました。
その後、息子のブルニがチャハル親王になりました。
呉三桂の反乱のときにブルニが挙兵。反乱を起こしました。
ところがモンゴル・ホルチン部(太皇太后の実家)が清軍に協力。
ブルニはホルチン・清朝連合軍に敗北して戦死します。
ブルニの反乱鎮圧後、アブナイは処刑。一族も処刑されたり奴隷にされました。
ドラマではブルニの反乱を省略していきなりアブナイ(アブダイ)一家惨殺にしています。
史実ではオーバイとともにアブナイが反乱を計画したなんてことはありません。
清朝・満洲人
納蘭(ナラン)家/イェヘナラ氏
満洲正黄旗人
父:明珠 正一品 英殿大学士(皇帝を支える内閣の大臣)
母:愛新覚羅氏(英親王アジゲの五女)
長男:性徳(容若)
長女:李天保(軍機大大臣)の妻
次女:温郡王 延綬の妻
次男:揆敘
三男:揆方
三女:早世
明珠は康煕帝を支える重臣。
息子の性徳(容若は本名以外に使う通称)は康熙帝に仕える侍衛。清朝でも一番有名な詩人です。
恵妃とは家族ではありません。
烏拉那拉(ウラナラ)家/ウラナラ氏
内務府正黄旗包衣人
父:索尔和 内管領 正五品郎中(経理などの役人)
母:不明
娘:恵妃(一皇子 胤禔の生母)
ウラナラ氏は満洲の名門です。
でも恵妃の家は数世代前に没落した家。
皇后や妃が出る本筋のウラナラ家とは血筋が離れています。恵妃の実家は身分は低いのです。
ドラマや小説、ネットなどでは納蘭家の人にされています。でも恵妃はウラナラ氏の出身なので納蘭家の人ではありません。
くわしくはこちら↓
https://korea.sseikatsu.net/keihi/
衛家/覚禅氏
内務府正黄旗包衣領下人(辛者庫)
父:阿布鼐(アブダイ) 内管領
母:不明
娘:良妃(八皇子 胤禩の生母)
兄弟:噶達渾 内務府総管
→雍正帝の時代に満洲正藍旗人に格上げ
良妃の実家は衛氏。名前だけをみると漢人(漢民族)みたいですが。満州人です。
かつては覚禅氏と名乗っていました。良妃の家は地位は低く、辛者庫の所属です。
チャハル親王と良妃の父は同名の別人
良妃の父の名は史実でも阿布鼐(アブダイ)です。
チャハル親王アブナイ(またはアブダイ)とは別人です。
満洲人はモンゴルの影響をかなり受けているので、モンゴル風の名前をつけたりすることもあります。
どうして良妃をチャハル親王の娘にしたのだろうと思っていましたが。良妃の父親がチャハル親王のアブナイ(アブダイともいいます)と同名だったのですね。たまたま同名だったので同じ人物にしたようです。
チャハル親王の家の出身にすることで「一家が皇帝の命令で処刑された」という悲劇的なストーリーになりました。
うまいところに目をつけたものですね。
逆に言うと。史実の良妃衛氏と康煕帝にはドラマのようなドラマチックな出会いもロマンスもありません。
でも自分の地位が低いのを気にして息子の胤禩の将来を心配するという心優しいところがありました。最後は病になり薬を飲むのを拒んで亡くなりました。自分の身分の低さが息子の将来の邪魔になると思ったからのようです。実在の良妃も幸福とはいえない最期です。
同期の入宮には包衣出身の徳妃 烏雅(ウヤ)氏(四皇子 胤禛(雍正帝)、十四皇子 胤禵の生母)や、良妃と同じ辛者庫出身の定妃 萬琉哈(ワンリュハ)氏(十二皇子 胤祹の生母)。もいました。
この3人を中心にしたドラマを作っても面白いかもしれませんね。
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