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舒妃 葉赫那拉(納蘭)氏・名家出身のお嬢様妃は乾隆帝の寵愛が薄かった?

4.6 清・金

 舒妃(じょひ)葉赫那拉氏は清朝の第6代皇帝・乾隆帝かんりゅうていの側室。

「瓔珞<エイラク>」では 舒妃(じょひ) 納蘭·淳雪(のうらん・じゅんせつ)
「如懿傳」では  舒妃 葉赫那拉·意歡(イェヘナラ)として登場します。

史実の舒妃 葉赫那拉氏 はどんな人物だったのか紹介します。

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舒妃 葉赫那拉氏の史実

いつの時代の人?

生年月日:1728年
没年月日:1777年

姓:葉赫那拉(イェヘナラ)氏
称号:舒妃(じょひ)
地位: 貴人→舒嬪→舒妃
父:永綬
母:關思柏
夫:乾隆帝(かんりゅうてい)

子供
乾隆帝皇十子

彼女が生きたのは清王朝の第6代皇帝・乾隆帝の時代です。

日本では江戸時代になります。

葉赫那拉?納蘭?

葉赫那拉(イェヘナラ)、あるいは納蘭(ナラ)ともいいます。満州八旗のひとつ正黄旗に所属する名門貴族です。

清朝建国以前。明の時代にはイェヘ部は海西女直の有力な部族でした。

16世紀。ハダ部(哈達)のよびかけでフルン(同盟)が結ばれることになりました。

イェヘ(葉赫)はハダ(哈達)、ウラ(烏拉)、ホイファ(輝發)とともにナラ同盟に参加しました。ナラとはモンゴル語で「太陽」の意味です。

明朝末期、イェヘ(葉赫)は女直統一を目指す建州女直のヌルハチと争って降伏。ヌルハチは女直を統一してマンジュ(満洲)名前を変え、国名をダイチングルン(大清帝国、清朝)にしました。

清朝ではイェヘ部の子孫は葉赫那拉、葉赫勒、あるいは納蘭氏と名乗ることが多かったようです。

ナラという発音に漢字をあてはめたのが「那拉」「納蘭」「納喇」です。清朝ではナラ由来の名字を使う家もありました。

満洲族では日常生活では姓を使うことは殆どありません。個人名だけでお互いを呼ぶのです。名前を書くときも日本人や中国人のように姓+名を書くことはありません。

ウラ同盟の中では哈達那拉氏、輝發那拉氏は衰退しました。葉赫那拉(納蘭)氏、烏拉那拉氏は名門として残りました。

西太后も葉赫那拉氏の出身です。

子供たちも病に倒れる

1728年(雍正6年)。葉赫那拉氏は生まれました。

父・永綬は第4代皇帝・康熙帝時代の重臣・納蘭明珠の孫です。

富察傅恒フチャふこうの妻・葉赫那拉イェヘナラ氏も親戚だといわれます。永綬の娘という説もあります。

1741年(乾隆6年)。13歳のとき、八旗選秀に選ばれ宮殿に入りました。

八旗選秀とは満洲の名門氏族から皇帝の側室を選ぶしくみです。

宮廷に入った葉赫那拉氏はいきなり「貴人」の位を与えられました。

別格の皇后を除けば、皇貴妃・貴妃・妃・嬪に続く地位です。

身分が低い側室だと嬪より下の常在や答応から始まることが多いのです。

 清王室の側室の順番についてはこちらを見てください。
 ・清王室の後宮・皇后・皇貴妃・妃の順番と違い

でも葉赫那拉氏は名家出身なので最初から高い地位についたのです。

11月。孝聖憲皇太后こうせいけんこうたいごうの命令で「舒嬪」になりました。

同じ年には、嘉嬪海貴人、柏貴人に位が与えられています。

葉赫那拉イェヘナラ氏は彼女たちに比べると10歳以上若いです。でも入宮して1年で「嬪」の地位まで上がりました。

1743年(乾隆8年)。舒嬪の住む場所として「承乾宮」が与えられました。

1745年(乾隆10年)。高貴妃(死後、慧賢皇貴妃高佳氏と命名)が死去。葬儀場に向かうため、延禧宮の怡嬪や永壽宮の令嬪・魏氏れいぴんぎしと一緒に牛車に乗りました。

1748年(乾隆13年)。嫻貴妃輝発那拉氏が皇貴妃になり、次の皇后に決まりました。舒嬪たち4人の妃嬪も位が一つずつ上がることにになりました。

中国や朝鮮の王朝では新しい皇后が誕生すると、その徳を与えるため妃嬪たちを昇格させる慣習がありました。

1749年(乾隆14年)。「舒妃じょひ」になりました。

1751年(乾隆16年)。第十皇子を出産しました。ところがわずか3歳で若くして亡くします。

1767年(乾隆32年)。(数え)40歳を祝って乾隆帝から舒妃に銀四百五十両が贈られました。

1775年(乾隆40年)。皇貴妃魏氏が病気で亡くなります。舒妃は宮中で最高位の側室になりました。

舒妃は穎妃などをつれて承徳避暑山荘で静養中の皇太后 鈕祜祿ニオフル氏を見舞いました。皇太后はこの年亡くなります。86歳でした。

1777年(乾隆42年)。舒妃が病気で死去しました。享年50。皇子や皇女たちが葬儀に出席しました。

名家の出身で10代のころから高い地位を与えられていました。しかし歴史上の記録ではめだったエピソードはなく、寵愛が深い側室とはいえなさそうです。

家柄で選ばれ気位の高い舒妃は好まれなかったのでしょうか。

テレビドラマ

瓔珞〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜 2018、中国
 役名:舒妃・納蘭・淳雪  演:李春嬡

瓔珞が女官になって早い時期に担当した妃のひとり。瓔珞を嫌っていますが、かといって大きな陰謀を働くこともない小物として描かれます。その後もとくに大きな陰謀にかかわることなく生き残ります。

如懿傳〜紫禁城に散る宿命の王妃~ 2018、中国
 役名:舒妃・葉赫那拉・意歡 演:陳昊宇

皇太后に選ばれて側室になります。舒妃は乾隆帝に夢中になりますが、乾隆帝は母に押し付けられた舒妃を好きにはなれません。舒妃との間に子供を作ろうとはせず、密かに子供ができない薬を飲ませていました。舒妃はその事実を知ってショックで自害します。

舒妃は歴史上のエピソードが少ないです。自由に役作りできるのでドラマによってまったく描かれ方が違います。

如懿傳のように乾隆帝が薬を飲ませたのは作り話。舒妃は自害もしていません。乾隆帝の心境としては如懿傳の方が史実に近いかもしれません。

4.6 清・金
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アジア韓国歴史ドラマの史実

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