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清王室の後宮・皇后・皇貴妃・妃の順番と違い

0 ドラマが分かる歴史の知識

清王朝を舞台にしたドラマを見ていると皇后や様々な名前の側室が登場します。

日本の大奥のような愛憎劇が中国王朝の後宮でも行われているんですね。

皇后が一番上なのはわかります。でも貴妃とか◯◯妃とか、たくさんの呼び方があって分かりづらいですよね。

そこで日本人にはなじみのない清王朝の側室の呼び方や順番を紹介します。

ドラマを見るときの参考にしてください。

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清王朝の後宮

皇后(こうごう)皇帝の正室

皇帝の正室を皇后といいます。
皇后は一人だけです。

中国歴代王朝は「陰陽思想」が根強いです。

陽と陰のバランスがとれてないと上手くいかない。という考えです。陽がよくて陰が悪いのではなく、エネルギーの性質の違いです。どちらが強くなりすぎてもうまくいかないのです。

陰陽思想では男は「陽」、女が「陰」と考えられています。

男の代表が「皇帝」、女の代表が「皇后」です。

ですから皇帝が存在すれば皇后も必要です。皇后の位を長い間明けることは良くないことでした。皇后が何かの理由でいなくなった場合は別の人を皇后にします。

中国王朝では皇后は出身一族の姓で呼ばれます。

「◯◯皇后」です。

皇帝と同じ姓の人は皇后にはなれません。

清王朝では満州族から皇后が選ばれるので中国人(漢民族)とは違う姓の人が多いです。

中宮、正宮とも呼ばれます。これは皇后の住む宮殿が宮廷の中央にあったからです。

皇貴妃(こうきひ)皇后の代理

後宮では皇后の次に偉いです。側室の最高位。

定員は1人

皇貴妃の名は「皇后」と「貴妃」を足して作られました。「貴妃」はそれまで側室の最高位だったからです。

皇貴妃の称号は明の時代から使われました。最初は皇后の代理人の意味でした。皇帝を産んだ側室が死後に与えられる称号としても使われました。

清王朝では側室から皇后に昇格する時。皇后の候補者に一時的に与えられる称号として使われます。

でも皇貴妃になった人の全てが皇后になれるわけではありません。皇貴妃のまま終わることもあります。

また、皇帝から特に愛された側室が死後に与えられる称号としても使われます。側室が病気になって「もう助からない」と判断された時、死の直前に贈られることもあります。

清王朝で「皇貴妃」の位を持った人が皇貴妃になった直後に死亡することが多いのはそのためです。

貴妃(きひ)事実上の側室の最高位

後宮では皇后・皇貴妃に次ぐ3番めの地位。

定員は2人です。

側室では皇貴妃の次に偉い立場です。でも皇貴妃は臨時の地位なので常に存在するわけではありません。

つまり普通は貴妃が側室の中で一番偉いのです。

清王朝では他にも◯妃という地位があるので間際らしいです。でも貴妃は他の◯妃よりも偉いです。

貴の前に皇以外の漢字が付くことがあります。「熹貴妃」といったぐあいです。

これは貴妃は何人かいるので区別するためです。貴妃の前についていた称号をとって呼ばれることが多いです。貴妃になる前に「熹妃」と呼ばれていたら、その人は「熹貴妃」になります。

ドラマの貴妃

雍正帝の時代
貴妃年氏
熹貴妃(後の孝聖憲皇后、宮廷の諍い女のヒロイン)

妃(ひ)

皇貴妃・貴妃の次に偉い側室。
定員は4人です。
ところが、康熙帝・乾隆帝の時代は5~6人いました。

妃の前に漢字一文字がつきます。
恵妃、宜妃、徳妃、栄妃、良妃、嫻妃、慶妃など。

他の漢民族の王朝では妃の前に付く漢字で偉い順番が違いました。でも清王朝では貴妃以外の地位はみんな同じです。同じ時代に漢字がかぶることはありません。

嬪(ひん)

側室の中では、皇貴妃・貴妃・妃に次ぐ4番めの地位。

定員は6人です。
やはりというか康熙帝・乾隆帝の時代には6人以上の嬪がいました。

朝鮮王朝なら嬪は側室の最高位です。でも皇帝の存在する中国では嬪の上に皇后・妃がいます。中国王朝では嬪になっても中堅クラスなのです。

貴人(きじん)

側室の中では、皇貴妃・貴妃・妃・嬪に次ぐ5番めの地位。

定員はありません。

常在

側室の中では6番目の地位。

定員はありません。

常在は明王朝では女官の位でしたが、清王朝では側室の地位になりました。
下級の側室ですが、最下位ではありません。

お付きの者として女官3名、宦官2名が与えられます。

答応

定員はありません。

清王朝では側室の最下位。

側室は皇帝の家族扱いということになっていますが宮廷内でも地位は低いです。

高位の宦官よりも地位が低く、彼らにお辞儀しなければいけません。

 

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