孝誠仁皇后 は康煕帝が最も愛した女性

大清1.8 清・金

孝誠仁皇后こうせいじん こうごうは清朝の第4代皇帝・康煕帝こうきていの正室。

康煕帝に最も愛された女性といわれます。

ところが、息子の胤礽を生んだ後、亡くなってしまいます。

胤礽は皇太子になったのですが廃されてしまいます。

史実の 孝誠仁皇后 はどんな人物だったのか紹介します。

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孝誠仁皇后 の史実

孝诚仁皇后

Public domain, via Wikimedia Commons

故宮博物院にある肖像画

生年月日:1654年2月3日
没年月日:1674年6月6日
国:大清

姓:赫舎里(ヘセリ)氏
称号:孝誠仁皇后 (こうせいじん こうごう)
地位:皇后
父:ガブラ(噶布喇)
母:不明
夫:康煕帝(こうきてい)

妹:平妃

子供

承祜(早世)
胤礽(廃太子)

清王朝の第4代皇帝・乾隆帝の時代です。

日本では江戸時代になります。

満洲族の名門出身

1654年。満洲正黄旗の旗人・赫舎里(ヘセリ)氏の家に生まれました。満洲正黄旗は皇帝直属の集団。旗人は清朝の支配階級(貴族)。

つまり赫舎里(ヘセリ)氏は満洲族の名門貴族です。ソニン~ソンゴトゥの時代には皇家の愛新覚羅氏に次ぐ勢力を誇っていました。

父は領侍衛内大臣を努めたガブラ(噶布喇)。

祖父のソニン(索尼)はヌルハチ、ホンタイジに仕え功績をあげた重臣。順治帝時代には内大臣、議政大臣を努め歴代皇帝からの信頼が厚い人物です。康煕帝が若いときはソニンが摂政を務めました。

叔父に康煕帝の側近・ソンゴトゥ(索額図)がいます。

生母の姓は分かっていません。

孝誠仁皇后は3姉妹だったようです。一人の姉妹はヌルハチの子孫で大臣にもなったエビルンの息子と結婚。

妹は康煕帝の側室・平妃になりました。

皇后になる

1665年(康熙4年)。妃候補として入宮。

このころ朝廷の実力者だった祖父ソニン(索尼)は年老いてかつての力は衰えていました。でも父・ガブラ(噶布喇)、叔父・ソンゴトゥが大臣の地位にあり大きな影響力をもっていました。

太皇太后と康煕帝は、康煕帝と3ヶ月しか歳が離れていない赫舎里(ヘセリ)氏を皇后に選びました。

政略結婚でしたが康煕帝は孝誠仁皇后のことが大好きでした。

息子の出産と早すぎる死

1669年(康熙8年)。皇子・承祜を出産。

1672年(康熙11年)。承祜は3歳でこの世を去ります。

息子の死は孝誠仁皇后 にとって大変はショックだったので病気になりました。

康煕帝は遠征先で皇后が重病になったと聞くとすぐに北京に帰ってきました。

孝誠仁皇后は病気から回復。

その後、ふたたび妊娠しました。

1674年(康熙13年)。皇子・胤礽(いんじょう)を出産。

ところが孝誠仁皇后は胤礽を生んでその日の間に亡くなってしまいます。享年21。早すぎる死でした。

康煕帝は皇后の死を非常に嘆き悲しみます。

「仁孝皇后」の称号を贈りました。

康煕帝は胤礽(いんじょう)を皇太子にしました。

孝昭仁皇后を忘れられない康煕帝は3年間、皇后の座を空位にしていました。しかし昭聖太皇太后の希望で皇后を任命することにしました。そうして任命された孝昭仁皇后ですが翌年亡くなってしまいます。その後、皇后はおきませんでした。

孝懿仁皇后が任命されたことはありますが、死の直前に名誉職的に贈られた位なので皇后として活動した実績はありません。

康煕帝には大勢の側室がいました。皇后を選ぼうと思えばできたはずです。でも孝昭仁皇后の死後。康煕帝は自ら積極的に皇后を任命しようとしなかったのです。孝昭仁皇后がよほど忘れられなかったのでしょう。

1680年(康熙19年)。妹が康煕帝の側室(平妃)になりました。赫舎里(ヘセリ)氏と皇室の関係を保つための政略結婚だったようです。

康煕帝の死後。「孝誠恭粛正恵安和淑懿恪敏儷天襄聖仁皇后」の諱が与えられました。長いので「孝誠仁皇后」と呼ばれます。

息子が廃太子になる

孝誠仁皇后が生んだ胤礽(いんじょう)は、後に皇太子の座を廃されてしまいます。

胤礽の廃位とともにソンゴトゥ(索額図)も失脚して赫舎里(ヘセリ)氏の力は衰えました。

皇太子をめぐる争いに嫌気がした康煕帝は最後まで皇太子を決めることなく亡くなりました。

実力社会の満洲族では皇太子という制度はなじまなかったのです。

廃位のいきさつはこちらも御覧ください。

胤礽:2度も皇太子を廃位された悲運の皇子

このあたりの経緯をもとにドラマ化したのが「花散る宮廷の女たち」。

このドラマの中で康煕帝が忘れられないでいる皇后が孝誠仁皇后です。

テレビドラマ

・龍珠伝ラストプリンセス(2017年、中国、演:張維娜)
・花散る宮廷の女たち (2017年、中国、演:桑 娜)

「龍珠伝」では若き日の康煕帝の皇后として登場。ヒロイン李易歓と康煕帝の関係にヤキモキする様子が描かれていますが。李易歓は架空の人物なのでもちろん作り話です。

「花散る宮廷の女たち」では既に故人になっていて康熙帝の記憶の中だけの存在。でも最愛の妻の肖像画を息子の胤礽に譲ったり、容姿が孝誠仁皇后 にそっくりな第8王子の婚約相手・瑶君に心が揺れたりと。様々なところで孝誠仁皇后の影響が描かれます。

このドラマでは息子の胤礽とヒロイン 年姝媛(ねん・しゅえん)の関係を中心にドラマが進むのですが、既に紹介したように史実通り胤礽は廃位されてしまいます。

コメント

  1. ななし より:

    お忙しい年末にリクエストに答えて下さりありがとうございます♪
    いつもすごくわかりやすく書いてくださるので読んでいて楽しくなります。

    良いお年をお迎えください

    • Fumiya より:

      ありがとうございます。これからも増やす予定なのでまた見に来てくださいね。
      良いお年を。

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