中国ドラマ「大唐流流」には 歆楠公主(読み方:きんなんこうしゅ)という皇帝の娘が登場します。
主人公・盛楚慕の弟・盛楚令のことが好きで。
最初はヒロイン・傅柔を恋のライバルと勘違いしますが。あとで仲良くなって協力したりします。
歆楠公主(きんなんこうしゅ)にはモデルになった歴史上の人物がいます。
7世紀に生きた唐の公主(皇帝の娘)。清河公主(せいかこうしゅ)と豫章公主(よしょうこうしゅ)です。
ドラマの歆楠公主と、モデルになった清河公主と豫章公主はどのような人物だったのか紹介します。
モデルになった実在の公主
清河公主(せいか こうしゅ)
姓:李(り)
諱:敬(けい)
字:徳賢(とくけん)
生年:624年
没年:664年
父:太祖・李世民
母:不明(側室)
本名は李敬(り・けん)
唐朝の太宗・李世民の十一女。
貞観2年(628年)。「清河公主」の称号が与えラられました。三千戸の領地を与えられました。
貞観7年(633年)。程知亮(懐亮、弘亮)と結婚。
程知亮(てい・ちりょう)は将軍・程知節(てい・ちせつ)の次男。程知節は唐の建国に功績のあった重臣リスト「凌煙閣二十四功臣」にも選ばれています。
麟徳元年(664年)。清河公主死去。
享年41(数歳)
昭陵に葬られました。
豫章公主(よしょう こうしゅ)
姓:李(り)
名前:不明
生年:624年
没年:664年
父:太祖・李世民
母:下嬪 某氏
本名は不明。
父は太祖・李世民
李世民の五女。
母は嬪クラスの側室。姓は不明。
某氏というのは「某」という姓があるのではなく、「わからない」という意味。
生母は豫章公主を産んだときに亡くなりました。
そのため長孫皇后に育てられました。長孫皇后は豫章公主を我が子のように可愛がって育てました。
豫章公主は凌煙閣二十四功臣のひとり。唐儉の息子・唐義識(唐善識)と結婚しました。
貞観15年(641年)。豫章公主は「自分とわが子の平安を祈願するため」資金を出して龍門石窟の南壁に小さな祠を作りました。
時期はわかりませんが、豫章公主は死去。
豫章公主の死後、太宗・李世民は悲しみのあまり、喪の期間を過ぎても喪服を着て過ごしていました。
豫章公主は夫の唐義識と一緒に昭陵に葬られています。
ドラマの歆楠公主(きんなん こうしゅ)
称号:歆楠公主(きんなんこうしゅ)
演:呉佳怡(ウー・ジアイー)
父:皇帝
養母:皇后
生母は皇帝の側室、すでに他界。
盛楚令のことが好き。最初は傅柔と盛楚令の関係を誤解して、傅柔に難癖をつけたました。でも誤解がとけて後に姉妹のように仲良くなります。
傅柔たちの助けを借りて皇帝に盛楚令との結婚を認めてもらうことに成功しました。 宮中での反乱の後。盛楚令と結婚。傅柔と 盛楚慕も皇帝から結婚を認めてもらい。歆楠公主と盛楚令、傅柔と盛楚慕は結婚式を一緒に行います。
ドラマの歆楠公主(きんなんこうしゅ)は、母が皇帝の側室で。母はすでに他界して皇后に育てられた。という設定は豫章公主をモデルにして。
将軍・程知節(盛驍靖のモデル)の次男・程知亮(盛楚令のモデル)と結婚した。という部分は清河公主をモデルにしています。
実在した二人の公主を一人にあわせた設定の人物なのですね。
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