PR

「大唐流流」盛楚慕のモデルになった武将・程処黙とは?

大唐流流 5.4 隋唐 臣下・人々

中国ドラマ「大唐流流~宮廷を支えた若き女官~」には許凱(シュー・カイ)演じる 盛楚慕(せい・そぼ)が登場します。

盛楚慕(せい・そぼ)は架空の人物です。でもモデルになった人がいます。

7世紀の唐の時代に生きた将軍・程処黙(てい・しょもく)という人物です。

程処嗣(てい・しょし)ともいいます。

テレビドラマ「大唐流流」では名前は「盛楚慕」になってますが「大唐流流」の原作小説「老虎不下山」では「程処黙」という名前で登場しています。

もともと原作小説の「老虎不下山」では歴史上の人物は史実通りの名前が付いていました。ところがテレビドラマになると名前が変えられてしまいました。たぶん歴史の記録とくらべても大幅に脚色されて歴史のイメージと違うので、中国当局の検閲でひっかかって名前を変えさせられたのでしょう。中国ではこういうことはよくあります。

中国で発表された初期の画像では許凱の演じる役が「程処黙」になっています。ドラマの製作途中で名前が変えられたのかもしれません。

では「盛楚慕」のモデルになった「程処黙」とはどんな人物だったのでしょうか。

「大唐流流」に登場する「盛楚慕」とモデルになった程処黙について紹介します。

 

PR

程処黙の史実

父:程知節(てい・ちせつ)
母:清河崔氏
程咬金 (593~665) 程知節
兄弟:
程懷亮
程処弼

名前については諸説あり。

歴史書「新唐書」「旧唐書」に載っている「程処黙」が一般的。民間伝承や物語では「程処嗣」「程懷黙」と書かれていることもあります。

父は唐の将軍・程知節(こうちせつ)

父の程知節は太宗・李世民に仕え唐の中国統一や拡大に貢献した将軍です。

・程 知節(てい ちせつ)の詳しい説明はこちら

 

母は程知節の二人目の正室・清河 崔氏(さいし)。
程知節の最初の妻・陸氏は貞観2年に病死したので再婚です。崔氏は60歳まで生きました。

程処黙は程知節と崔氏の長男。

弟の程処亮、程處政、程處弼は崔氏の子供

程処黙が生まれた年はわかりません。

程知節の前妻・陸氏が死亡したのが貞観2年(628年)。清河 崔氏と再婚したのはその後。

程処黙が生まれたのは貞観年間のはじめのころになりそうです。

父は唐でも有名な将軍。息子たちも軍に入り武将になりました。

程処黙は長男ですから父の後を継ぐのを期待されたでしょう。

時期はわかりませんが「明威将軍」になりました。中国では「○○将軍」という称号がたくさんあります。「将軍」の肩書が付いているからといって軍で一番エライとは限りません。

唐では45ある武官の称号の中で上から14番目。ランクは「従四品下」。

桂州(現在の広西チワン族自治区桂林市)溎南府の折衝都尉(せっしょうとい)を務めました。折衝都尉とは地方を守る軍団司令部・折衝府の長官のことです。

父・程知節の死後。「盧国公」の爵位を受け継ぎました。

程知節は父の爵位を受け継いだので、若くして死亡したとか。罪人として処罰されたとか、家を追い出されたなんてことはなさそうです。

意外と記録が少ない

程処黙が誰と結婚したのか。子供がいたのかいないのか。いつ亡くなったのかは記録がありません。

明清朝時代なら臣下の記録も多いのですが。唐時代はよほど大きな手柄をたてたり、国にかかわる大事でもおきないと記録は残りません。

程処黙は穏やかな人生をおくったのかもしれません。

弟の程処亮は唐太宗・李世民の三女・清河公主と結婚しています。皇帝一族と親戚になるのは大変なことですが。なぜ長男ではなく次男の程処亮と結婚したのかは謎です。ドラマのように恋愛結婚できる時代ではありません。程処亮はよほど李世民から気に入られていたのかもしれません。

でも記録がないということは。自由にドラマが作れることにもなります。

そこで「大唐流流」のように商人の娘から女官になった傅柔と結婚する。

という設定が生まれたのでしょう。

 

大唐流流の 盛楚慕

ドラマに登場する盛楚慕の紹介をします。

思いっきりネタバレになるので興味がない方は飛ばしてください。

盛楚慕は、唐の将軍・盛驍靖の長男。

幼い頃から母親に甘やかされて育ち、長安でも有名な遊び人でした。

将軍・陸雲戟の息子・陸琪と喧嘩して父親に怒られますが。逃げ出して広州に行ってしまいます。

広州では商人の娘・傅柔(ふ・じゅう)一目ぼれ。そこで、彼女に認められる男になろうと決心します。

叔父から武術を学び、学問を勉強。軍に入ります。

立派になって自分の望みを叶えられると思ったのですが、ところが家族が反対。さらに皇帝からも傅柔とは距離をおくように命令されてしまいます。

そんなとき盛国で反乱がおきて出陣。遠征先で大きな成果を上げましが、将軍・陸雲戟親子に殺されそうになります。

生き延びた彼は、皇后と上皇を救い、趙王を捕らえ、韓王を守りました。その働きを皇帝に認められて精鋭軍団を作るよう命じられました。

ところが楚俊と燕兒が犠牲になり、その裏に宮中の陰謀があることを知ります。そして皇帝を救うため、軍を率いて反乱を鎮圧のでした。

その功績が認められ傅柔との結婚を許され。若き将軍となります。

「大唐見聞録」の程処黙

程処黙は「大唐見聞録」にも登場しています。

こちらは実名の「程処黙」で出ています。

「大唐見聞録」もかなりアレンジされていますが。人物の名前を変えるドラマと変えないドラマの違いはよくわかりません。

「大唐見聞録」では将軍・程咬金の息子。

程咬金は程知節の別名。
咬金は幼名だとも言われます。中国では「知節」よりも「咬金」で知られているようです。

ドラマの程処黙は主人公の雲燁や皇太子の仲間。
熱血漢で考えるより先に行動してしまうところはありますが。正義感の強い人物として描かれ。雲燁のいい友人でした。

歴史上はほぼ記録がない程処黙ですが。父が有名な将軍の程知節だったこと。太宗・李世民の時代はドラマ化の機会が多いことなどの条件が揃っています。そのため程処黙はドラマには何度か登場しているようです。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました