唐朝時代の宮廷・側室たちの称号と順番

4 隋・唐

唐王朝の後宮には大勢の人たちがいました。皇后を頂点に多くの側室や女官・侍女たちが働いています。側室の種類や数もそれまでの中華王朝より増えました。

皇后が一番上なのはわかります。でも妃は何人もいますし、他にも沢山の側室たちがいます。側室にはどのような称号があって、どのような順番だったのでしょうか?

わかりづらい唐王朝の側室たちの称号とその順番を紹介します。

唐の側室のランク分けはその後の中華王朝や朝鮮王朝のお手本になりました。秦や漢ではなく、唐が中華王朝の後宮制度の基本を作ったといっても良いかも知れません。

ドラマを見るときの参考にしてください。

正室

皇后

皇帝の正妻。

皇后は一人だけです。

「陰陽思想」では男が陽、女が陰とされ。皇帝が男の代表で陽、皇后が女の代表で陰の気を象徴すると考えられました。

陰陽思想の「陽」と「陰」は現代人の考える陰陽とは違って、エネルギーの性質の違いを表現したもの。陽が良くて陰が悪いという意味ではありません。

性質の違うエネルギーのバランスでこの世はできていると考えるのが「陰陽思想」。そこで王朝には皇帝と皇后が存在しないとバランスがとれないと考えるので。皇帝が存在すれば皇后は必ず存在します。

皇帝が臣下を束ねるのと同じで、皇后は後宮を束ねる役目があります。側室や侍女たちの頂点に立つ存在です。

皇帝の妻としての立場と、女性の組織(後宮)をまとめるトップとしての役目があります。側室と比べると遥かに責任が重い立場です。

中宮、正宮とも呼ばれます。これは皇后の住む宮殿が宮廷の中央にあったからです。

側室

四夫人

品階:正一品

一般人の場合、夫人は正妻の意味ですが。
皇帝だけは皇后の下に夫人がきます。それだけ皇后は特別な存在なのです。

妃にも順番がある

唐では側室の最高ランクが「四夫人」。

貴妃、淑妃、徳妃、賢妃

それぞれ一人ずつ任命します。

品階では差はありません。

身分は同等とされますが。実際には

1:貴妃、2:淑妃、3:徳妃、4:賢妃の順番があります。

四夫人の中では貴妃が一番偉いです。皇后がいないときは貴妃が皇后の代役を務めます。

座る順番や場所を決める時などで順番が必要なときは貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の順に行います。

漢の時代の最初には皇后以外の側室はみんな「夫人」と呼ばれていました。その後、称号が増えたり減ったりしています。

隋王朝の初期。皇后・独孤伽羅が生きていた時代は行き場のない女性を保護するなどの理由がない限りは後宮に側室を入れませんでした。そのため側室にランクはありません。

独孤伽羅の死後。隋文帝・楊堅や煬帝・楊広は少しずつ側室の数やランクを増やしました。
唐になって側室の最高ランクは四夫人(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃)になりました。

同じ称号の人が同じ時期に二人以上存在することはありません。(貴妃が2人いるなんてことはありません)。
称号を持つ人が亡くなったときは新しく任命されます。

九嬪

品階:正二品

嬪は妃に継ぐ地位の側室。

隋の時代・独孤伽羅死亡後に側室の数が増やされ「嬪」のランクが作られました。

唐の時代には最大9人の嬪が任命されました。

それぞれ

昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛

という称号が与えられす。

ひとつの称号につき一人ずつ任命するので嬪は9人が定員です。

漢の時代に作られたとされる「周礼」には理想の後宮は「一后、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻」と書かれています。古代中国の数秘術「易経」で縁起のいい数とされる、1、3、9、27、81にあわせています(3の倍数)。

周礼は法律ではなく、理想を書いただけの書物。実際の制度とは違います。

ですが王朝によっては周礼を根拠に9つの嬪が設けられることがありました。

世婦(せいふ)

婕妤・美人・才人をあわせて世婦といいます。
それぞれ定員が9人で27世婦

婕妤(しょうよ)

品階:正三品

定員は9人。

漢の時代、側室は夫人だけでしたが。漢の武帝の時代に「婕妤」という称号が作られました。その後、皇帝や王朝によって婕妤があったりなかったりします。「婕」は(皇帝の)恩恵を受ける。「妤」は(皇帝を)助ける。という意味があります。

唐では「嬪」の下のランクに「婕妤」を設けました。

唐王朝以後も「婕妤」の地位はありました。清王朝では廃止になりました。

美人

品階:正四品

古代中国や越国(ベトナム)で側室に使われた称号。婕妤の下、才人の上。漢の時代から魏の時代にかけて側室の称号として使われるようになりました。

唐では定員は9人。

中国の文献で◯◯美人と書いてあっても褒め言葉や愛称で「美人」を使ってるときもあるので、称号なのかよくわからないこともあります。

才人

正五品

女官の称号。
側室の称号も兼ねます。

定員は9人。

才人=皇帝の側室とは限りませんが、その権利はある。というか寵愛を受ける可能性はあります。

武則天が宮中に入ったときは太宗・李世民の才人でした。

御妻(ぎょさい)

宝林・御女・采女をあわせて御妻といいます。
定員はそれぞれ27人、あわせて81御妻。

宝林

正六品

定員は27人

才人の下の側室の称号。隋煬帝の時代に作られました。

御女

品階:正七品

宝林の下、采女の上。

古代中国の理想の制度を書いた「周礼」を根拠に作られた称号。

もともとは「女御」といいます。

隋文帝の時代に称号を作りました。でも皇后の独孤伽羅が側室をもつのを許さなかったので実際に任命されることはありませんでした。隋煬帝の時代から任命されるようになりました。

唐では定員は27人。

日本の宮中用語で「女御(にょうご)=中宮の下の地位の側室」の語源になった言葉。

采女

品階:正八品

最下級の側室。または女官の称号。臣民の娘から選ばれることが多かったので「採女」と呼ばれ、「采女」になりました。「采」には「いろどり」の意味もあります。この地位になると皇帝に会える機会もあまりありません。

唐では定員は27人

王朝によっては無位のこともありますが。唐では「正八品」でした。

日本の宮中用語で侍女を意味する 采女(うねめ)の語源になりました。

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